Kindleにて。
まさに今知りたいことがズバリタイトルに有るのでポチった一冊。
分断の分析は、
1.知識人がアイデンティティの分断を見つける。
2.メディアがそれを拡散する。
3.人々がそれを受容し社会が分断される
というもの。
うーん、いまいち納得できない。
というのも、分断がアイデンティティによるものとすれば、究極的には個人レベルにまで分断されようものだが、実際に起っているのは個的な分断を塗りつぶすかのような、大文字の「分断」であるからだ(cf.アメリカの共和党対民主党、イギリスのブレグジット派対反対派)。
このような、微視的分断と巨視的分断の移行を、著者は「選挙」という民主主義の手続きが必然的に生み出す、様々な選挙戦略の手法により可能になっていると解する。
著者は、リバタリアン的な主張の持ち主のようで、これからのあるべき個人像は、自由意志に基づいた、アイデンティティを取捨選択できる個人というものだ。
これも、私には理想論的に聞こえる。
というのも、アイデンティティというものには、不可避的に受け入れざるを得ない要素というものがあると思うからだ。
著者は仮想通貨の越境性を持ち出し、その政治的インパクトについて語る。
そして、国民国家という枠組みが今後溶解していくことになるだろうという未来予想図を示す。
しかし、今起こっているのは国民国家の再生(あるいはゾンビ化)ではないだろうか。
著者は、日本では保守派の一派として、YouTubeでチャンネルくららなどに出演する論客でもある。
しかし、その「保守」の意味は多分にアメリカ的なものであり、一種の自由至上主義にしか見えず、果たして日本的文脈での保守なのだろうかとの疑問は拭えない。
しかし、これも保守派の自民党が改革・憲法改正を叫び、革新・リベラル側が既得権の保護(労組など)と護憲にこだわるという、ねじれ現象の証なのかもしれない。
いささか、物足りない印象の読後感であった。