人生、消去法
世捨て人のつぶやき




話題の文藝春秋の村上春樹インタビュー記事を読んでみた。
もともと村上春樹ファンではあるので、興味はあったのだが
インタビューとはいえ、やはり村上春樹だなと思わせる文章があった。

特に次の部分。
「システム」という言葉にはいろんな要素があります。われわれがパレスチナの問題を考えるとき、そこにあるいちばんの問題点は、原理主義と原理主義が正面から向き合っていることです。シオニズムとイスラム原理主義の対立です。そしてその強烈な二つのモーメントに挟まれて、一般の市民たちが、巻き添えを食って傷つき、死んでいくわけです。
 人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです。(文藝春秋4月号 P.166 下段。太字・下線は引用者による)


「魂の柔らかい部分」
いい言葉だ。

この日本でも、失われた10年(15年?)のうちに
どんどん人々から、この「魂の柔らかい部分」が
失われつつあるように思う。
では、この日本における「システム」とは一体何だろうか?
この引用部分に続いて、村上春樹はオウム事件を例に
そのイメージを描き出すが、結論はない。

ただ、個人的なことを交えて考えると
日本人の場合、どうも何かの原理主義には
どうやってもなりそうにないような気がする。

ま、河合隼雄やら養老孟司やら、あとロラン・バルトとかもだったか
みんな言うように、どうも中心がないって感じなのだな。
にもかかわらず、何かこう強力な結束力みたいなものを生み出す
磁力と言うか、場と言うか、なんかそういう力を生み出す
そんなシステムがあるような気がするのだ。

それがこの15年ほどの間は完全にマイナスの方向へ働いてしまっている。
本当に出口がない感じなのだ。
完全に捕われてしまっていて、八方ふさがりになっている感じ。

うまくまとまんないが、そんな感じ。

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