人生、消去法
世捨て人のつぶやき




ここのところ、仕事で忙殺され、なんかこう余裕がなくなってしまって、本もろくに読めていない。
本だけじゃなく、ブログも飛ばし読みの飛ばし読みといった感じで、正直ダメだなーという感慨ばかりが募っている・・・
眠りが浅くなり、明け方に仕事の夢を見るようになってしまった。やれやれ。
眠りが浅いせいで疲れがとれないというサイクルがついてしまったので、昨日は一念発起して病院で安定剤をもらってきた。
なので、今日の朝は眠ったという充実感を久々に感じた。
といっても、昨日の晩は発泡酒3リットル飲んでるから、なんだかな、ではあるが。

で、本題。
久々にちょっと頭が動き出したら、久々にこのブログを読めた(なんかRSS登録してんだが、読めないのね。ずっと)。
↓これ
http://charm.at.webry.info/200702/article_7.html

そこで、こんな箇所がある。
シグムンド・フロイトの精神分析では、男性原理(去勢不安・男根羨望)に基づくエディプスコンプレックスの体験と克服を重視して、幼児期(4-6歳頃)の正常なリビドー発達と超自我の形成に欠かせないものと考えます。母親への愛情欲求を断念して父親の権威に屈服するという意味合いを持つエディプスコンプレックス(エディプス葛藤)は、自分の思い通りにならない『社会的な他者の原型』である父親によって、子供の持つ幼児的な全能感や魔術的な思考が打ち砕かれる経験です。

ま、一時はよくフロイトも読んだものだが、今回ふと、これって基本的に近代的な家族形態を前提にしてるだけか、と思った。
このくらい誰でも知ってるレベルの話なんだろうが、私の鈍な頭には分かっていなかったのだ。
父親が外に働きに出て、母親が家を守る。
父親は社会に繋がる役割、母親は家庭を守る役割。
フロイトが言ったエディプスコンプレックスの克服とは、世間的には「マザコンの阻止」みたいな印象を与えているだろうが(笑)、それは比喩的に言えば、家族という「第2の子宮」から社会という「第2の外界」への誕生のことをいってるんだろうな、と。

なんだ、そういうことかよ、と今さらながら思った。
未熟な状態で第1の生を受ける人間、そしてそこから第2の生としての社会への誕生。
そこでようやく人間は「人間」になるということなのだろう。

しかし、それは今の時代にとって前提とできるものなのだろうか?
おそらくはそうではない。

夫婦共働き、シングルマザーにシングルファーザー、いや核家族化自体がそもそもの前提を掘り崩すものなのではないだろうか・・・?
ドゥルーズ・ガタリを待つまでもなく、こんな図式自体が有効性を持ったのは、もう遠いむかしの出来事なのだ。
って、ま、それは言い過ぎか。ていうか、ま、今になって初めて誰もが認めざるを得ない状況に到ったというか。

ま、今日のところはこんなところか。
復活できたら、また。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする


   記事一覧画像一覧読者一覧フォトチャンネル一覧