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アップル スティーブ・ジョブズ IV 

2014-04-14 | Weblog

:その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。(略)結局、私はそれを一つだけ買うことにした。(略)

その檸檬の冷たさはたとえようもなくよかった。その頃私は肺尖を悪くしていていつも身体に熱が出た。(略)

その熱い故だったのだろう、握っている掌から身内に浸み透ってゆくようなその冷たさは快いものだった。私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。

それの産地だというカリフォルニヤが想像に上って来る。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんで来る。  

そしてふかぶかと胸一杯に匂やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。

これは、31歳の若さで亡くなった小説家梶井基次郎の短編「檸檬(レモン)」からの抜粋である。

:レモンの香りがする米国カリフォルニア。この自由な大地がスティブ・ジョブズを育んだ。

 米アップル株は9月6日終値で676・27ドル、時価総額はマイクロソフトがドットコムバブルの絶頂だった1999年12月に記録した6189億ドルを上回り、史上最高となった。

 昨年の統計だが、国連加盟国数193か国として、アップル社の時価総額は165か国の国内総生産(GDP)の合計を上回った。

手持ちの現金が増えるばかりのアップル社、今年3月には17年ぶりに配当再開や自社株買いを打ち出した。この株主還元策を好感して株価を押し上げてきた。先月、韓国サムスン電子との米国での特許訴訟に決着がつき、さらに勢いづいている。

:ジョブズは2007年1月9日、社名「apple computer,Inc」から、computerの文字をとり、「apple incorporated」に変更した。1976年、自宅のガレージで開発し一時代を定義したパソコンの時代を自らが終焉させた。そしてプラットフォーマーとしての新しいアップル時代の構築に向けスタートさせた。

米調査会社によると、アップルの携帯電話台数シェアは世界の9%にすぎないが、世界の携帯市場で得られる収益の73%を握っているという。劣勢にあるグーグルやアマゾンといった他のプラットフォーマーもアップルを追従している。

生前のジョブズは限られた余命のなかで、人材の育成に一生懸命だった。2009年「アップル大学」を立ち上げた。中間管理職社員に自らがおかした経営の過ちをケーススタディさせるためだ。そのために、統括責任者兼学部長にはジョエル・ポドルニー(Joel Podolny)をスカウトした。彼は米国東部のエール大学大学院ビジネススクールで学部長を務めた組織行動学の専門だ。スタンフォード大学で10年近く、その前はハーバード大学でも教えていた人物だ。

また、2010年には、新社屋の建設にも着手した。米ヒューレットパッカードがクパティーノ市に所有する土地を買い上げた。そして死の僅か5ヶ月前、自らが市議会の公聴会に臨んで、建設計画を披露して質疑に応じている。これが公の場に出る最後の機会の一つとなった。

計画では、現状の緑濃いアンズ果樹林の森をほぼ残したうえで、太陽光パネルで覆われた自家発電施設を完備したドーナツ型4階建てのオフィス棟をたて、最大1万3000人の社員を収容させる。2015年の完成だ。

:カリフォルニア大地、中でもジョブズがこよなく愛した人に優しいサンフランシスコは澄み切った大空、燦燦と降り注ぐ太陽の光、乾燥した空気、それに朝方に立ち込める霧の街だ。その街を象徴する吊橋、ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)を渡り、さらに北にのびる国道101号線をさかのぼると、東西に走る州道128号線と交差する。この州道沿いはナパ・バリーやソノマと呼ばれるブドウ畑が広がるワイン街道だ。その州道を西にとり太平洋に向かってドライブしていくと、ジョブズが生前好んで訪れた安らぎの場所、レッドウッド国立&州立公園だ。

そこには1億6千万年前の恐竜の時代に出現したというジャイアント・セコイアメスギ(Sequoia sempervirens)と呼ばれる針葉樹の原生林が、太平洋沿岸の細長い地域に広がっている。

高さは110メートル以上、ビルの35階にも匹敵する世界で最も高い針葉樹の原生林だ。樹齢は2200年のものが現在知られる最高齢である。現地のチェロキー族インディアンは「神の木」と崇め、昔から神霊が宿ると信じられている。ジョブズは迫りくる死を前に、神の木に余命への救いの祈りをささげたに違いない。

:昨年10月30日、ニューヨークタイムズ紙に掲載された実妹、モナ・シンプソンの「兄への追悼頌徳文(A sister's eulogy for Steve Jobs)」。その中に述べられていた文章が思い出される。

私が兄の死から学んだこと、それは人格とはあらゆるものの根幹にあるものだ、ということです。兄の死に様はまさに兄の生き様そのものでありました。 What I learned from my brother’s death was that character is essential: What he was, was how he died.

そのとき悟りました。兄は死さえも主体的に取り組んでいたんだと。死は兄に起こった出来事ではなく、死は成し遂げるためでした。 This is what I learned: he was working at this, too. Death didn’t happen to Steve, he achieved it.

だから、ジョブズは身をもって自分の「生き様(成功の哲学)」を世にしめしてくれたばかりか、また「死に様(死の哲学)」すらもしめしてくれている。そしてスタンフォード大学の卒業式でのスピーチ(遺言)のなかで語った「ドット(人生の節目)」のすべてが、死を成し遂げたことで繋がったことになる。

ジョブズにとっては、「死ぬ」という行為は「人生をつくる」ための最後の仕上げ作業だった。そしてそれを仕上げたわけである。だから妹は「achieved(成し遂げた)」と表現している。

2012年9月夏の終わり、シリアの情勢が日々、深刻化する中で、ふと、ジョブズを想い出した次第である。 父母の顔も知らず赤子で里親にだされたシリア系米国人ジョブズ。当時、米国留学生だった実父が、赤子のジョブズを祖国シリアに連れ帰っていたら、現代社会はどうなっていただろうか。そう考えると、とても運命的な人物だ。

(2012/9/8 続く)

 

参考:

✩ カリフォルニア、レッドウッド国立&州立公園

 

  

✩ 曲「花のサンフランシスコ/ゴールデンゲートブリッジ」

 

 

 


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