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思った時が人生の始まり、遅いということはありません(見目さんの青春に乾杯)

2013-03-20 | Weblog

夜間中学 81歳卒業の春 川口-荒川間片道2時間かけ登校:

「一つずつ勉強ができるようになるのが、うれしかった」。そう話す見目(けんもく)律子さん(81)=埼玉県川口市=は十九日、東京都荒川区立第九中学校(同区東尾久)夜間学級を、十代の若者や外国人ら二十六人の同級生とともに卒業した。若いころ学べなかった英語や数学を理解できる喜びを深めようと、四月から定時制高校に進学する。 

 約百五十人の卒業生の最前列に夜間学級生が並んだ卒業式。石崎和夫校長(60)は式辞で八十一歳の見目さんに触れ「意欲に頭が下がります」と話した。

 栃木県で生まれ育った見目さんは太平洋戦争中、国民学校初等科を卒業。高等科は家庭の事情で一年で辞め、家の手伝いや畑仕事などをしていた。

 二十七歳で結婚。三十代後半から給食の調理師を務め、共働きで三人の子どもを大学へ行かせたが、勉強を教えられなかった。

 同窓会や町内会の会合に出ても、発言を控えがちだった。勉強をしていない自分に、気後れしていた。通信教育も考えたが「基礎ができていない私には無理」と諦めた。

 「悔いを残したくない」と、七十八歳で地元の市役所に相談。夜間学級の存在を知ったが、埼玉県内にはなく、どうにか通える荒川区立第九中に入学。

 午後三時ごろ家を出て、バスとJR、都電荒川線を乗り継ぐ片道二時間近くの登校。帰宅は同十時半すぎ。足腰への負担から整骨院にも通った。

 分数の計算が理解でき、街の看板の英語が読めた。分かること、できることが増えるのは楽しかった。

 苦手の数学を克服しようと、夏休み中も毎日のように登校。「本当に一生懸命。向学心を抱く生徒に教師も真剣に応える、教育の原点があった」と松田公好副校長(54)。十代の級友も刺激を受け、勉強に取り組み始めた。

 級友は十~二十代が多く、中国人やネパール人、ロシア人も。一緒に食べた夜の給食、新潟への修学旅行。思い出は尽きない。

 一昨年秋には荒川区内で開催された「中学生の主張」大会に学校代表で出場し、学ぶ喜びをつづった作文「私の再出発」を発表。同居の次女(50)に「お母さん、青春してるね」とからかわれた。

 進学先は都立飛鳥高校(北区王子)の定時制。「勉強に欲張りになったの」。自信を胸に、笑顔を輝かせた。

 

卒業証書を授与される見目律子さん=19日、    東京都荒川区の区立第九中学校で

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