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橋下発言に批判続々 オランダ人元慰安婦ら(血塗られた太陽’日の丸’の証言記録)更新5/25

2013-05-24 | Weblog

オランダ人元慰安婦、「償い事業」責任者が証言集出版

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オランダ人元慰安婦の証言集「壊された花」を近く出版するハマーさん。手にしているのは表紙の見本=18日、オランダ・ハーグで、斎藤義彦撮影
オランダ人元慰安婦の証言集「壊された花」を近く出版するハマーさん。手にしているのは表紙の見本=18日、オランダ・ハーグ

 【ブリュッセル】第二次大戦中に旧日本軍により慰安婦にさせられたオランダ人被害者に対する「償い事業」の実施責任者だった女性が、元慰安婦8人の証言記録集「壊された花」を8月15日に出版する。元慰安婦は死ぬまで心的後遺症に苦しめられたという。元責任者は「大多数の元慰安婦が死ぬ一方、政治家が歴史をねじ曲げている。若い人に悲惨な事実を学んでほしい」と話す。

 筆者はオランダ・ハーグ在住のマルガリータ・ハマー・モノ・ド・フロワドビーユさん(71)。「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)がオランダで実施した元慰安婦への支援事業(1998〜2001年)で、事業実施委員長を務めた。

 ハマーさんは79人の元慰安婦を認定する作業の中で被害者と親しくなり、そのうちの8人から当時の状況やその後の人生を聞き、まとめた。

 元慰安婦の一人、エルナさん(仮名、06年に81歳で死亡)は証言集に「若く咲き誇っていたあの日/血塗られた太陽に花は壊された/傷は永遠に続く」との詩を死の数カ月前に寄せた。血塗られた太陽は日の丸を指す。

 日本軍は1942年、当時オランダの植民地だったインドネシアに進攻。オランダ人民間人9万人、軍人4万人を収容所に入れた。

 エルナさんは43年に母親とジャワ島中部アンバラワの収容所に入れられた。44年2月に軍の将校が来て18歳だったエルナさんを含む17〜28歳の女性17人をスマランに連行。

 エルナさんは軍医による性病検査の後、将校に強姦(ごうかん)され、軍医にも強姦された。拒否しても「収容所の家族を殺す」と脅された。2カ月後、慰安所は軍幹部の命令で閉鎖され収容所に戻されたが、妊娠がわかり中絶した。

 戦後、スマランの慰安所を設置した軍人や民間人10人がBC級戦犯としてバタビア臨時軍法会議で死刑を含む有罪判決を受けた。

 エルナさんは戦後、オランダ兵と結婚したが度々、慰安所を巡る悪夢に悩まされた。特に夫が亡くなってからは心的外傷が強まり眠れない日が続いた。

 「慰安婦にされた被害者の人生全体が台無しにされ、傷が癒えることはなかった。慰安婦制度が必要だったなどという政治家の発言はおかしい」とハマーさんは話す。


更新・追加記事


追加記事:橋下・日本維新の会共同代表、慰安婦発言 オランダでも抗議 慰安婦支援者、大使に書簡

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【ブリュッセル】橋下徹・大阪市長が、第二次大戦中の旧日本軍による従軍慰安婦制度が「当時は必要だった」と主張したことに対し、オランダ人元慰安婦への「償い事業」の実施責任者だった2人が駐オランダ日本大使に「誤った危険な発言」とする抗議書簡を送ったことが23日わかった。橋下発言への欧州からの抗議は初めて。元責任者は毎日新聞に「発言は被害者を傷つけるもの」と批判した。

長嶺安政駐オランダ大使に16日付で書簡を送ったのはマルガリータ・ハマー・モノ・ド・フロワドビーユさん(71)ら2人。旧日本軍占領下のインドネシアで慰安婦にされたとして償い事業の対象となったオランダ国籍保有者79人への医療福祉支援事業(1998〜2001年)の実施責任者だった。

ハマーさんによると、書簡では橋下発言に「憂慮」を表明。発言は従来の日本政府見解を逸脱した「間違った方向」で、従軍慰安婦の被害国、とりわけアジアにとり「危険なものだ」と非難した。

元慰安婦の大半は死亡しているが、全員と接触して事業を行ったハマーさんは「発言はこれまでの元慰安婦へのおわびを否定するもので、謝罪が謝罪でなくなる。日本の首相のおわびの手紙で救われた元慰安婦を深く傷つけた」と述べた。

ハマーさんは、橋下市長が07年の安倍政権の政府見解を根拠に強制性を否定している点に関し「日本軍政下で収容所に入っていたオランダ人慰安婦への強制は明白。安倍晋三首相の見解が橋下市長の発言の基礎になった」と首相も批判した。

オランダ政府の93年の調査報告は、インドネシアで65人が強制的に慰安婦にさせられたことは「確実」と指摘している。長嶺大使は「コメントは差し控える」としている。MAINICHI

補足:インドネシアのオランダ人慰安婦

オランダが植民地支配していたインドネシアを、第二次世界大戦中の1942〜45年に旧日本軍が占領。オランダ政府の調査によると、占領下で欧州系の女性200〜300人が慰安所におり、うち65人が、強制収容所から暴力で連行されるなど「確実に」慰安婦になるよう強制された。軍の呼びかけに「自主的」に応じ慰安婦になった例は除外されたが、「背景に軍の暴力や貧困があり、自主的とは認めづらい」としている。収容所の外にいたインドネシア系オランダ人が軍に連行された例もある。


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