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2016年ノーベル文学賞 ロックの精霊・ボブ・ディラン(受賞理由 米国歌謡に乗せて新しい詩の表現を創造した)

2016-10-13 | Weblog

ノーベル文学賞

ボブ・ディランさんに 米国人歌手

スウェーデン・アカデミーは13日、2016年のノーベル文学賞を米国のシンガー・ソングライター、ボブ・ディランさん( Bob Dylan、1941年5月24日生)に授与すると発表した。歌手の同賞受賞は初めて。ディランさんは「風に吹かれて」などメッセージ性の高い作品で知られる米音楽界の大御所。授賞理由は「偉大な米国の歌の伝統において新たな詩的表現を創造した」としている。

1941年、米中西部のミネソタ州生まれ。幼い頃からギターに親しみ、大学を中退するとニューヨークに移住。62年にアルバム「ボブ・ディラン」でデビュー。「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」など数々のヒット曲を作った。

歌詞をメロディーの「従者」という位置付けから脱却させ、反戦や反権力、価値観の転換など明確な主張をフレーズに盛り込んだ。60年代の米国で、公民権運動やベトナム戦争への反対運動が盛り上がる世情を背景に、社会派シンガーとして頂点に立ち、「フォークの神様」などと形容された。自作自演の創作スタイルはビートルズやローリング・ストーンズ、日本では吉田拓郎さんら、世界の音楽家に計り知れない影響を与えた。

ディランさんはフォークにとどまらず、ロックやジャズなど多様なスタイルを追求。詞の内容は、人間同士の争いの愚かさを風刺した「風に吹かれて」、転変する生活を描く「ライク・ア・ローリング・ストーン」、死を象徴的にうたった「天国への扉」など、巧みな比喩と抽象的な表現で、陰影豊かに現代社会と人間を描写している。

08年には「類いまれな詩の力を持つリリカルな作品によりポピュラーミュージックとアメリカ文化に重大な影響を与えた」との理由で、ピュリツァー賞の特別賞を受賞している。

78年に初来日。デビュー50年を超えた。自ら作曲した曲は600曲以上、これまでに世界中で2000回以上のライブを行っている。アルバムのセールスは全世界で1億枚を超えている。

風に吹かれて(かぜにふかれて、Blowin' in the Wind

ボブ・ディランのセカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(1963年)に収録され、シングル・カットされた楽曲。ピーター・ポール&マリーのカバーが世界的にヒットして、作者のディランを一躍有名にした。1960年代のアメリカ公民権運動の賛歌とも呼ばれ、現在に至るまでディランの作中最も愛唱されることの多い歌曲となっている。

 シンプルで力強い旋律と和声進行を持つメッセージ・ソング。三連から成り、いずれも「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」「一人一人にいくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのだろうか」「人はどれだけの死人を見れば、これは死に過ぎだと気づくのか」というプロテスト・ソング風の問いかけと、「男はどれだけの道を歩けば、一人前と認められるのか」「山が海に流されてなくなってしまうのに、どのくらいの時間がかかるのか」という抽象的な問いかけが交互に繰り返されたあと、「答えは風に吹かれている」というリフレインで締めくくられる。この曖昧さが自由な解釈を可能にしており、従来のフォークファンばかりでなく、既成の社会構造に不満を持つ人々に広く受け入れられることになった。アメリカ合衆国では、特に公民権運動を進める人々の間でテーマソングのようになり、やがて日本においても広く歌われるようになった。井上陽水の「最後のニュース」や、はしだのりひことシューベルツの「風」、中島みゆきの「時代」、南沙織の「哀しい妖精」など、日本のフォークや歌謡曲の歌詞にその影響を受けたものが多く見出せる。

Blowin in The Wind - Bob Dylan

解説 異例受賞、新潮流

「ロックの精霊」と言われるスター、ボブ・ディランさんのノーベル文学賞受賞が決まったことは、115年の歴史を持つ同賞が新たな流れに入ったという印象を強めた。

シンガー・ソングライターとして、初めての受賞。ポピュラー音楽の世界では神格化されるほど大きな存在で、同賞でも長年候補として名前が挙がっていたものの、必ずしも本命視はされていなかった。しかし今回の受賞で、彼の作品が文学的にも高く評価されるものだったことが証明された。

専門の文学者ではなく、複数のジャンルとの境界で活躍する人物が受賞するのは異例だった。ただ昨年は、ベラルーシの作家でジャーナリストのスベトラーナ・アレクシエービッチさんが受賞。表現の手段が多様化する中、対象が純粋な文学にとどまらず、より大衆化する方向へ拡大していることをうかがわせる。


参考:

村上春樹さんの受賞の「壁」

ノーベル文学賞(13日発表見込み)で、毎年有力候補として紹介される村上春樹さん(67)。「今年こそ」と熱狂的なファンは期待するが、本当のところ、受賞の可能性はどうなのか。スウェーデンの一握りの審査員が選ぶ独特の判断基準を調べてみると、村上文学の「軽さ」が受賞のハードルになっているという声が聞こえてきた。

英ブックメーカー(賭け屋)は9月、2年ぶりに村上さんをトップ候補の賭け率にした。しかしこれは一般の人たちの期待値。ノーベル文学賞が審査されるストックホルムで活躍するジャーナリスト、デューク雪子さん(50)に電話すると、「難しい」との答えだ。「今のところ、アカデミーの会員たちの好みとちょっと違ってて彼が描く世界の深みを会員がわかっているかどうか。面白さを読み取っていない感じがするので」

雪子さんは「ノルウェイの森」など7冊の村上作品を日本人の母、叡子さんと共訳。ノーベル文学賞を選ぶスウェーデン・アカデミーにも詳しい。

「アカデミーから漏れ聞こえてくる声は『才能は十分認めるが……』なんです。『……』をはっきりは言わないんですが、何かが望まれている。深みというのか……。軽すぎると思われているんじゃないですかね。日本で言う純文学的な要素もあるけどちょっと軽いというニュアンスで、アメリカの作家と並べて語られますね。作品を出し過ぎるという声も聞きます」

村上さんは日本の出版業界では寡作な方だが、アカデミーの基準からすれば「よく出す」ことになるのか。彼らが言う「軽さ」とは何なのか。

思い当たる節がある。2000年、南アフリカのノーベル賞作家、ナディン・ゴーディマさん(1923〜14年)に取材した時のこと。他の受賞作家の作品の重厚さを語る中、米国の人気作家、ジョン・アービングの名を挙げたら「アービング?」と顔をしかめた。

「ガープの世界」などベストセラーを生み出した作家で、村上さんが翻訳したこともあり、似た系統と言える。ゴーディマさんの反応が、「純文学」と「なんとなく純文学」とのギャップ、つまり、アカデミーの趣味と村上作品の間にある薄くも堅牢(けんろう)な「壁」を象徴している気がした。

そんな話を豪州在住のノーベル賞作家、J・M・クッツェーさん(76)にメールすると、「恥ずかしながら、村上氏の作品は読んでいないので、彼について答えられません」としながらも、アカデミーの審査基準に関する論評が返ってきた。「ノーベル文学賞は、作家が今より重んじられていた時代(1901年)に創設された。例えば、トルストイが亡くなった10年、彼は世界で最も著名な人物と呼ばれていた。アルフレッド・ノーベルは、作家たちは時代の思想に大きな衝撃を与え得ると考えており、アカデミーはその精神を維持していると思います」

「時代の思想への衝撃」が足りないのが軽さなのか。

この点を、共著「村上春樹で世界を読む」(2013年)を発表した作家、三輪太郎さん(54)に聞いてみた。「村上作品の受け止め方は学生でも軽く感じる人と深みを感じる人に二極化します。それは、村上氏が歴史性を切り落として文学を始めたことと無縁ではない」

切り落としとは、社会の時事的な問題から外れ、あくまでも個人の「僕」の自己洞察や葛藤を描いた初期作品を指している。「何事もより強く、速く、高くと圧力釜のような中で人が必死に生きてきたのが近代です。もうたくさんだ、次に行こうと文学で声を上げたのが村上氏です。それが、『ダンス・ダンス・ダンス』(88年)あたりから、このままでいいのかと近代から切り離した自分を疑い始める。主人公が井戸に入り込み日本の戦史に触れる『ねじまき鳥クロニクル』では95年という時代の曲がり角を見事に描いた。近代社会からいかに脱皮するかという問題を先取りしてきた村上氏は決して軽くはない。理解されないのが不思議です」

先の雪子さんも似た見方だ。「テロ、政治の不透明さなど今の気持ち悪さは、村上作品の世界そのものです。常に世界から切り離されている感じがして、何をがんばればいいかゴールが見えないロシアや欧州の若者たちは、自分のことを書いているかのように感じ、彼の作品にはまるんです」

こうした個人の不安など置かれた状況や感覚は確かに世界に通じるが、その先を提示していないのが問題と語るのは、「村上春樹はノーベル賞をとれるのか?」を出したばかりの文芸評論家、川村湊さん(65)だ。「作品にちりばめられた闇や悪がどうなったか、突き放した形で作品が終わっており、解決というか、もう一つ踏み込んでない。その踏み込めなさが、ノーベル賞向きにならない理由では」

「理想に向かう最も優れた作品」が創設期からの審査基準だが「村上作品は、文学による人道的な社会改革といったノーベル賞型の価値観とは違う。受賞理由を書くのも難しいのでは」と川村さんは言う。

質で比較なら可能性

とはいえ、審査基準は時代とともに変化するのでは? そもそもだれが選んでいるのだろう。

アカデミーは定員18人、実働16人の終身会員で構成され、全員がスウェーデン人だ。1月末まで世界中のペンクラブや元受賞者から推薦を募る。候補者は年平均350人ほど。その後、小委員会が4月までに約20人を選び、夏前に約5人に絞り込む。それから2カ月かけ、アカデミー会員は週1回の公式会合をしながら5人の全作品を読み込み、10月に投票で過半数に達した者を受賞者にする。

複数の地元ジャーナリストらによると、今年はこれまでの周期からみて、ジャンルでは詩人か短編作家、地域で見ると中東、米国、アフリカが濃厚だがアジアもあり得るという。名が挙がるのは、シリアの詩人、アドニス氏(86)▽韓国の詩人、高銀氏(83)▽米国の小説家、ドン・デリーロ氏(79)▽ケニアの小説家、グギ・ワ・ジオンゴ氏(78)ら。村上さんは地元では今年は有力視されていない。

雪子さんの父で文化ジャーナリスト、クリステル・デュークさん(83)も「確かに村上作品は『ノーベル賞型』ではない」とみているが、圧政に反抗する文学といった旧来の価値基準は急激に薄れているという。

「アカデミー会員は随分世代交代した。この12月には72年生まれの女性作家が入り、作家と女性の比率が高まり、好みが大きく変わる予感があります」。かつては裁判官や科学者など文学と無縁の人々もいた「老人クラブ」は過去10年、会員の死去に伴い50代、60代の「若手作家」らが入り、現在の平均年齢は69・6歳。実働16人のうち女性は4人。学者兼業の人も含めれば作家、詩人など物書きが12人に上る。

賞選びで政治性や社会参画はかつてほど重視されず、「大事なのはあくまでも文学の質」とデュークさん。村上作品はノーベル賞の伝統やローカル性になじみにくいものの「選ぶ側の議論の内容も変わってきており、近い将来、取る可能性は十分にある」とみている。

村上作品はノーベル文学賞に耐えられない「軽さ」ではない。時代に与えた衝撃は、これから評価されるのではないだろうか。

主なノーベル文学賞の受賞理由

発表年  受賞者名(国名)     受賞理由

2012 莫言           民話と歴史、現代性が一体となった幻惑的なリアリズム

     (中国)=写真[1]

2010 バルガス・リョサ     権力構造の見取り図を描き、個人の抵抗や敗北の姿を鋭く表現

     (ペルー)=同[2]

2006 オルハン・パムク     故郷の憂鬱な魂を探り、文化の衝突と織り合わせの象徴を発見

     (トルコ)=同[3]

2003 J・M・クッツェー    西洋文明の残酷な合理性と見せかけの道徳性を容赦なく批判した

     (南アフリカ)=同[4]

1994 大江健三郎        現代の人間の苦悩を揺れ動く一枚の絵として描き出した

     (日本)=同[5]

1968 川端康成         日本人の心の本質を表現、世界の人々に深い感銘を与えた

     (日本)=同[6]