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卑劣な安倍、ネット上で反安保学生に不安を呼び起こす陽動作戦(「デモに参加したら就職できなくなる」と)

2015-07-30 | Weblog

全国的な反安保学生デモのうねりに恐れをなした安倍は、ネトウヨを総動員して、”デモ参加は就職に影響する”と盛んにツイッター投稿させて、学生を怖気づかせ、デモから遠ざける卑劣な陽動作戦にでている。日本が戦争できる国になったら就活どころの問題ではなくなる。学徒徴兵で命をかけての戦場行きだ。

デモに参加すると就職に不利?「人生詰む」飛び交う

朝日新聞7月30日

安保法案に反対の声を上げる学生団体が注目され、若者が国会前に足を運んでいる。しかし、ネット上では「デモに行けば就職できない」という声が飛び交う。本当に就職に不利になるのだろうか。

都内に住む女子大生(19)は、衆院特別委の強行採決直後の15日夜、初めて国会前のデモに参加した。

家を出る前、母と祖母に「デモに参加して就職できなくなった人も昔はいたのよ」と言われた。「行動しないと気持ちがおさまらない」と1人で出かけたが、「就職に響くって本当かな」という心配も、頭の片隅に残った。

衆院の安保審議が大詰めを迎えた14日以降、「就職や結婚に響く可能性」などという大学生のデモ参加をめぐるツイートが次々と投稿された。「デモに行くだけで、確実に人生詰みますよ」「就職に不利益が…」。16日にツイッターに投稿されたつぶやきは約3千回もリツイートされた。

「デモに行くなどの政治的表現の自由は、憲法が保障する権利の中でも価値が高いもの」と一橋大大学院の阪口正二郎教授(憲法学)は話す。しかし、誰を採用するかは「企業活動の自由」でもある。

「三菱樹脂事件」では、学生の思想を理由に企業が採用を拒否したことが争われた。1973年の最高裁判決は「特定の思想信条を有する者を雇うことを拒んでも、当然に違法とはできない」とした。しかし、学界から「憲法で保障される思想、信条の自由を考慮していない」と批判され、三菱樹脂社も結局学生を雇った。阪口教授は「企業が思想で採用を拒む自由は、時代を追って狭くなっている」と指摘する。

職業安定法が99年に改正され、企業が求職者の個人情報を集めるのは業務に必要な範囲に限られた。厚生労働省は思想信条などに関わる情報の収集を原則禁止する指針を出している。

雇用問題に詳しい成蹊大の原昌登教授(労働法)は「労働法学界では、職務内容や能力と関連がないにもかかわらず、思想信条を理由に採用拒否するような行為は公序良俗に反し不法行為になるという考えが多数派だ」と説明する。また、思想を理由に内定を取り消された場合は、労働基準法違反で無効になる。

思想信条による企業側の採用拒否について「あるべきではないが、あり得ないともいえない」と話すのは就活事情に詳しい千葉商科大専任講師の常見陽平さんだ。「社風によっては敬遠することもあるかもしれないし、不採用の理由は明かされないから分からない」

一方、企業は近年「社会問題への感度の高さを評価する傾向にある」という。「国会前に足を運ぶのは、デモでヘイトスピーチを叫ぶのとはわけが違う。むしろ肯定的に受け取る可能性は十分ある」と感じる。

実際に採用する側はどう感じるのか。

大手化学メーカーで採用を担当する幹部は「デモが就職に不利なんて、いつの時代の話ですか。学生がデモに参加したかなんて調べるヒマもリソースもありませんよ」と一刀両断。「うちの会社には学生運動出身の役員も何人もいますし、私もキャンパスの学長室で座り込みをしていて写真を撮られました。もう30年以上も前かなあ」と笑う。 


<安保法案>若者に広がる不安 反対6割

河北新聞7月28日

          安保法案をめぐる賛成、反対、その他の主な理由

「あまりにも憲法を軽視している」「米国との同盟を強化すべきだ」。集団的自衛権行使の解禁を柱とする安全保障関連法案が15日、衆院平和安全法制特別委員会で自民、公明両党の賛成により可決された。
 
河北新報社は東北の未来を担う10~30代の100人に緊急アンケートを行い、「国の在り方」を変える可能性を秘めた安保法案をどう見ているのか意識を探った。

◎東北の10~30代100人アンケート/「賛成」は2割

アンケートは東北6県の取材網を通じ14、15の両日実施。男性53人、女性47人から回答を得た。年代別は10代23人、20代43人、30代34人だった。
 
安保法案に「反対」は回答者の約6割に上り、与党単独での強行採決に批判的な声が多かった。「賛成」は約2割で、米国との同盟重視、中国や北朝鮮の潜在的な脅威を主な理由に挙げた。男女比でみると「反対」は女性の約7割、男性は6割弱。「賛成」は女性が約1割にとどまったのに対し、男性は約3割に上り、法案に対する女性の支持が男性より低かった。

「多くの学者が『違憲』と指摘する中、解釈の変更だけでごり押ししようとしている」と語るのは、いわき市の自営業小松浩二さん(35)。法案は国の根幹を揺るがし、国民の命に関わる問題なのに政府・与党は十分に議論を尽くしていないと感じるという。
 
盛岡市の会社員遠藤美穂さん(37)は「とても大事なことをこんなに急いで決める必要があるのか」と話し、郡山市の自営業久保田彩乃さん(30)も「法案を100時間審議したからいいという問題ではない」と不満を口にした。
 
「戦争ができる国になってしまう」という不安を口にする回答者も多かった。青森市のアルバイト佐々木千夏さん(24)は「安心して生活できる世の中の方がいい」と語り、米沢市のNPO法人職員堀仁美さん(26)も「不安を抱えて暮らすような状況を次世代に残したくない」と話した。
 
一方、賛成する回答者は、中国や北朝鮮による不安定な東アジア情勢への対応力強化を理由に挙げた。由利本荘市の会社員佐藤智典さん(33)は「日本の脅威に対する自衛力の向上につながる」と話し、石巻市の自営業男性(33)は「戦争反対を唱えることに力を注ぎ、丸腰でいるより抑止力を高めるべきだ」と力を込めた。
 
栗原市のNPO法人職員高橋由香さん(34)のように「法案の中身が分からない」などの理由で、「その他」を選んだ回答者も約2割いた。

安保法案もっと声を 女子学生の訴え、ネットで大反響

「今日は私、本当に腹が立ってここに来ました」。安全保障関連法案が衆院特別委員会で可決された15日夜、学生たちがJR大阪駅近くで行った緊急行動で、関西学院大学(西宮市)4年、寺田ともかさん(21)の訴えたスピーチが反響を呼んでいる。

インターネット上で拡散し、12日間で3万7千人が自分のフェイスブックにシェア(共有)した。一人の女子学生の声が世代を超え、多くの人の心を揺さぶっている。

寺田さんは大阪府出身。小学2年生のとき、米同時多発テロがあった。飛行機がビルに突っ込むテレビの映像に「アメリカの人がかわいそう」と思った。

だが、米国はアフガニスタンを報復攻撃し、その後はイラク戦争も始めた。正義を掲げた戦争で多くの子どもが犠牲になった。「正義というものが分からなくなった」

高校生のとき、平和学習で広島を訪問。被爆者のおばあさんがこう言った。「勉強はね、真実を見抜く目を養うためにするのです。戦時中、お国の言うことは正しいと思っていたが、真実ではなかった」。重い言葉だった。「自分の頭で考え、見極めなくちゃ」と思った。

今年5月、友人に誘われ、安保法案に反対する「シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)関西」の結成に加わった。仲間と学習会を開き、理解を深めた。

7月15日。大阪へ向かう電車で、スピーチを考えた。理論的なことより、どこにでもいる人間の、当たり前の言葉で伝えよう。スマートフォンを握り、あふれる思いを一気に書き上げた。

寺田さんのスピーチ動画は今もネットで拡散を続ける。「沈黙している人たちに読んでほしい」など共感のコメントが多い。

一方で「これで好戦的な相手を抑止できるのか」などの反論も寄せられている。

法案は27日、参院審議入りした。寺田さんは反響の大きさに驚きつつ「今、自分にできることに最善を尽くすだけ。審議を注視し、これからも自分の頭で考え、自分の言葉で発信していきたい」と話す。  (神戸新聞7月28日)


 <安保法案>学生も声あげて!宮城で連携組織

参院本会議で審議が始まった安全保障関連法案に反対する宮城県内の大学生が、学生ネットワーク「SEALDsTOHOKU」を結成した。

8月9日に仙台市内で学生デモパレードを企画。「今の政治の動きをおかしいと思っている学生は一緒に声を上げよう」と参加を呼び掛けている。

メンバーは東北大や東北学院大、東北福祉大などの学生約20人。国会周辺で抗議活動を続ける関東の学生グループ「SEALDs」に賛同して、ソーシャルネットワークサービス(SNS)などを通じて知り合い、18日に発足した。

宮城県庁で27日に記者発表した東北大法学部2年の久道瑛美さん(19)と安達由紀さん(19)は、法案内容や与党の審議の進め方の問題点を強調。「法案は戦争に限りなく近づく内容。改憲せず憲法解釈を変えて法案を通そうとする安倍政権のやり方は民主主義の根幹を覆しかねない」と訴えた。

周囲には政治に無関心な学生が多いという。久道さんは「友達からどう見られているか、気にしながら活動している。それでも、普通の学生が政治に問題意識を持ち、おかしいことはおかしいと言える雰囲気をつくりたい」と語った。

パレードは東北の学生なら誰でも参加できる。目標は500人。ツィッターやフェイスブックで情報発信している。  (河北新報7月28日)

 


追悼 知の巨人、反戦の原点は過酷な戦争体験だった

2015-07-30 | Weblog

追悼“知の巨人”鶴見俊輔さん 殺人犯も恐れぬ意外な理由

評論家で哲学者の鶴見俊輔さんが7月20日、肺炎のため京都市内の病院で亡くなった。93歳だった。

鶴見さんは2004年に加藤周一さん、大江健三郎さんらとともに「九条の会」をつくり、戦争をしない国を求めて活動してきた。一方で、漫画や映画にも造詣が深く、多くの文化人と交流があった。

作家・評論家の黒川創さん(54)は、鶴見さんらが創刊した雑誌「思想の科学」に編集者として参加。鶴見さんの背中を見てきた。

「編集者というと、売れっ子作家の原稿が上がるのをじっと待つイメージがありますが、それとはぜんぜん違う。(思想の科学の)企画会議でいつもアイデアを出して圧倒していたのが、鶴見さんでした」

同誌に寄稿したこともあるのが、作家でエッセイストの落合恵子さん(70)。同じ時期に朝日新聞の書評委員をしていた。初対面のエピソードをこう懐かしむ。

「憲法学者の奥平康弘さんのご著書の書評を前に、専門ではないからとためらっていたら、『違う角度の見方ができるはず』と背中を押してくださった。好奇心が旺盛で少年みたいなところがありました」

映画評論家の佐藤忠男さん(84)は「つながりを大切にする方」と評す。初めて「思想の科学」に映画の評論を送ったときのことだ。

「単に採用、不採用とかではなく、励ましの言葉を十何枚もの便箋にしたためてあった。長い時間かけて書いてくださったんです」

フリーライターの永江朗さん(57)は、京都の自宅で子ども時代の話を聞いたことがある。印象深かったのは、日米開戦後、渡米していた鶴見さんが無政府主義者の容疑で勾留されたときのこと。殺人犯と同じ房になったという。

「『怖くなかったのか』と尋ねると、鶴見さんは『怖いわけがない。人を殺すくらい純粋でいい人なんだから』と笑うんです。そんなものの見方があるのかと感心しました」(永江さん)

過酷な戦争体験が反戦の原点となり、平和を訴え続けた。惜しむ声はやまない。

「今のこの時代に必要な方。その思想と姿勢を受け継ぎたい」と落合さん。黒川さんは言う。

「60代ぐらいから持病があり、遅かれ早かれそういうことになると覚悟はしていた。でも、そのときから30年以上も現役プレーヤーとして先頭に立ってくれた。ありきたりな言葉だけれど、長生きしてくれて本当にありがとう」  

※週刊朝日 2015年8月7日号

 


略歴

鶴見俊輔氏死去 万引き・退学…小学校卒でハーバード 行動派知識人

93歳で死去した鶴見俊輔さんは15歳で渡米。ハーバード大卒という経歴の一方で、万引きをしたり、不登校になったり、破天荒な少年時代を送っていました。帰国後はベトナム戦争に反対、憲法問題にも積極的に関わり、行動する知識人として歴史に名前を残しました。

「万引きしては換金」 *1

「母親は小遣いをくれなかった。万引きしては換金し、家の門の下に土を掘って埋め、必要なときに掘り出して使っていた」

1998年2月5日のインタビュー記事で、決して優等生ではなかった少年時代を振り返っています。

小学校は当時のエリート校、旧東京高師(現筑波大)付属小でした。しかし、成績が悪くて付属中に進めません。受験して東京府立高等学校尋常科に入りますが「朝起きると学校へ行けない」という状況に。2カ月でやめ、次に入学した東京府立第五中学校も二学期までしかもちませんでした。「これでぼくの日本での学歴は終わった」

国会議事堂の南通用門前に座り込みをし、機動隊員に排除される安保拒否百人委員会のメンバーで評論家の鶴見俊輔さん=1970年6月21日、東京・霞が関

 「16歳でハーバード入学」*2

15歳の時、将来を心配した親のすすめで、アメリカに留学します。アメリカではミドルセックスというハーバード大学へ進学する者が多い予備校へ入ります。「そこでは私がだれであるかを周りの人は知りませんし、私もまじめでした」。日本とは違う環境で勉強に励み、16歳でハーバード大学に入学します。

日米開戦、留置場で卒論 *3

ハーバード大生の時に日米が開戦。日本人の鶴見さんは敵国人として逮捕され留置場に入れられます。留置場で書いた卒論が、教授会の投票で認められ卒業しました。

1998年2月3日のインタビュー記事で、鶴見さんは祖国との違いを実感した瞬間について語っています。「政府と大学が別の判断に立つことを知った。アメリカの民主主義の岩床はしっかりしていることを、この獄中の体験でつかんだ」。

日本は必ず負けると確信していたという鶴見さん。「負けるときには日本にいたい」と、1942年に捕虜交換船で日本へ帰ります。

「私は戦争の中で生きてきた」 *4

戦後は、ベトナム戦争に反対する「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」で、米軍脱走兵を支援します。近年では、憲法についても発言。憲法改正が現実味を帯びると、作家の大江健三郎さんら文化人でつくる「九条の会」を立ち上げます。

2005年10月にあった講演会では、憲法への熱い思いを語っています。

「私は戦争の中で生きてきました。戦争が自分の中に遺(のこ)したものが、私を憲法9条を守る方向へ持っていったんです。私は1億人の中の一人になっても、やりますよ。あったりまえのことだ」

記者会見するベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の鶴見俊輔さん(右から2人目)ら。米軍岩国基地の核貯蔵疑惑が国会で取り上げられた直後に基地所属の反戦兵士4人が本国に強制送還された問題をめぐり、「核(貯蔵)の疑惑は深まるばかり」と語った=1971年11月26日、山口県岩国市

マンガ「がきデカ」を評価 ユニークな視点 *5

鶴見さんは、山上たつひこさんのマンガ「がきデカ」を、高く評価するなど、独特のセンスで戦後の日本を論じました。

「がきデカ」の主人公は、ムキダシの欲望であばれ回る少年です。

そんな「がきデカ」について、鶴見さんは「自分の欲望に従って生きようというがきデカが増えたことがファシズムの防波堤になる、と思う。簡単に、命令一下の体制に追い込むわけにはいかないですよ」と評しました。
 

鶴見俊輔さん=2006年1月17日

日米開戦から震災まで体験 *6

日米開戦を身をもって体験し、戦時中に帰国。戦後の高度経済成長、バブル、そして東日本大震災による原発事故まで、その視野の広さと深い思想は、知識人だけではない、多くの人に影響を与えました。

震災後の2011年6月21日にあった講演で「日露戦争以来、大国になったつもりで文明の進歩をひたすら信じ続けてきた日本人は、敗戦後も目をそらしてきた根本問題に(震災と原発事故で)直面している」と語っていた鶴見さん。

「受け身の力をここで超えること。九条は、何らかの行動、態度の表明で裏付ける方がいい。不服従の行動の用意があるとさらにいい」と訴えていました。

出典:

*1

出典: 1998年2月5日:祖父と父 けんか、私の負けだった(鶴見俊輔の世界:4 語る):朝日新聞紙面から

*2

出典: 1997年10月5日:期待と回想 上・下 鶴見俊輔著(書評) 評者・関川夏央(作家):朝日新聞紙面から 

*3

アメリカではミドルセックスというハーバード大学へ進学する者が多い予備校へ入った。そこでは私がだれであるかを周りの人は知りませんし、私もまじめでした。

出典: 1998年2月5日:祖父と父 けんか、私の負けだった(鶴見俊輔の世界:4 語る):朝日新聞紙面から

敵国人として逮捕され留置場の中だった。しかし、外での食事より良くて結核も回復した。卒業は、留置場で書いた論文をもとに教授会の投票で決まった。政府と大学が別の判断に立つことを知った。アメリカの民主主義の岩床はしっかりしていることを、この獄中の体験でつかんだ。

出典: 1998年2月3日:アメリカ 民主主義の闘い、力の源(鶴見俊輔の世界:2 語る)

日米開戦後、鶴見さんは米国で無政府主義者の容疑で逮捕され、留置場生活を経験する。日本は必ず負けると確信していたが、「負けるときには日本にいたい」と、42年に捕虜交換船で日本へ帰る。戦争中は海軍の軍属として南方へ派遣された。「大東亜の解放」を唱えながら、現地の住民を酷使し、捕虜を虐殺する日本軍の姿を見た。国家への不信が深く肌身に刻み込まれる。

出典: 2005年11月24日:(戦後60年を生きる)鶴見俊輔の心:上 国家不信 原爆のウソ、胸に刻み

*4

「私は戦争の中で生きてきました。戦争が自分の中に遺(のこ)したものが、私を憲法9条を守る方向へ持っていったんです。私は1億人の中の一人になっても、やりますよ。あったりまえのことだ」10月中旬、京都市山科区での講演会。詰めかけた約100人の聴衆に向かって、鶴見さんは熱く護憲を訴えかけた。主催したのは、鶴見さんや作家の大江健三郎さんら文化人でつくる「九条の会」の護憲アピールに賛同した地元市民のグループだ。

出典: 2005年11月25日:(戦後60年を生きる)鶴見俊輔の心:下 戦争体験 一人になっても、護憲:朝日新聞紙面から

*5

鶴見氏は、ムキダシの欲望であばれ回る少年を主人公にした、山上たつひこの漫画「がきデカ」を、「私が現代に希望を託する最大のもの」と高く評価している。つまり「自分の欲望に従って生きようというがきデカが増えたことがファシズムの防波堤になる、と思う。簡単に、命令一下の体制に追い込むわけにはいかないですよ」というわけだ。

出典: 1995年8月14日:鶴見俊輔 「私」が共生する社会へ(「個」と戦後:9):朝日新聞紙面から

*6

鶴見は米国の日本への原爆投下から説き起こした。「科学を悪用してはならないというヒポクラテス以来の伝統が断ち切られ、科学は新しい段階に入った」。原爆と原発の連続性を示唆しながら「国家予算によるビッグサイエンスは、自国、他国の数百万という人々の上に覆いかぶさることになる」と話した。さらに「日露戦争以来、大国になったつもりで文明の進歩をひたすら信じ続けてきた日本人は、敗戦後も目をそらしてきた根本問題に(震災と原発事故で)直面している」と指摘。「受け身の力をここで超えること。九条は、何らかの行動、態度の表明で裏付ける方がいい。不服従の行動の用意があるとさらにいい」と結んだ。

出典: 2011年6月21日:「目をそらしてきた問題に直面」 鶴見俊輔、講演で東日本大震災と原発事故を語る:朝日新聞紙面から