abc

news

現政権の末期症状 若者の批判すら恐れ 活動制限の御布令(安倍の戦争法案)

2015-07-07 | Weblog

裸の首相 裸だと指摘する者はメディアでも子供でも黙らす

週刊ポスト2015/7/24日号

アンデルセンの童話『裸の王様』の最後の場面では、小さな子供の「王様は裸だ」という言葉をきっかけに人々が笑い出す中、王様が最後まで裸のまま従者たちとパレードを続ける。しかし、この国の“裸の首相”は、自分を裸だという者は議員であろうとメディアであろうと、たとえ子供であろうと容赦なく黙らせる。

自民党勉強会での「マスコミを懲らしめろ」発言問題だけではない。今国会で公職選挙法改正案が成立し、来夏の参院選から高校生を含む18歳以上に選挙権が与えられる。

海外では選挙の際に選挙権を持たない生徒たちに学校で争点を議論させ、実際の候補者への模擬投票をさせて有権者としての自覚を育てる「主権者教育」を行なっている国が少なくない。

ところが、自民党は逆に18歳選挙権実施にあたって高校生の政治議論や活動を制限する方針を打ち出した。さる6月25日、同党文科部会は「学校が政治闘争の場になることを避けなければならない」「高校生の政治活動について、学校の内外で抑制的であるべきだという指導を高校が行なえるよう、政府として見解を示すべきだ」とする提言案をまとめ、教育公務員特例法の改正などを求めたのだ。

背景にあるのは大学生、高校生が安保法案反対を掲げて今年5月に結成した「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)の動きだ。SEALDsは国会前で抗議活動を行なっており、6月27日にはネットで渋谷ハチ公前でのデモを呼びかけて数千人を集める影響力を見せた。これに安倍首相は神経を尖らせているという。

官邸の安倍側近筋が語る。
「総理がSEALDsを非常に気にしている。これまでネットの意見で若い世代に憲法改正を望む声が強いことから、総理は自分の路線が若者に支持されていると考えていた。選挙権の年齢引き下げも自民党に有利に働くとの読みがあった。

しかし、渋谷のデモに多くの若者が参加するなど、予想に反する動きが広がっている。このままでは70年安保の新宿フォークゲリラ、神田カルチェ・ラタン(*)のように、今後は渋谷が若者の反対運動拠点になりかねないと心配している」

「安倍支持」だと考えたから18歳以上に選挙権を与えたが、若者の批判が政権に向かうや、“俺のやることに反対は許さん”と、一転して高校生を“政治弾圧”しようというのである。

(*)神田カルチェ・ラタ=1960年代後半、ベトナム戦争やアメリカ寄りの安保政策に反対し、学生が様々な政治闘争を行なった。東京・新宿には警察の集会禁止に対抗してゲリラ的に反戦平和のフォークソングを歌う若者が集まったり(1969年6月)、大学が多い神田駿河台では新左翼の学生らがバリケードを築き機動隊と衝突する(1968年6月)などの事件が起きた。後者は教育機関が数多く集まるパリのカルチェ・ラタン(地域名)にちなみ神田カルチェ・ラタン闘争と呼ばれる

「反対するのは、ムカついているから」 学生グループが「安保法案」に怒りの訴え

 2015/6/24 弁護士ドットコムニュース
 
記者会見したSEALDs(シールズ・自由と民主主義のための学生緊急行動)のメンバー

安倍首相が成立を目指す「安保関連法案」に反対する学生グループが6月24日夕、東京・永田町の参議院議員会館で記者会見を開き、「憲法にのっとった政治をするか、それとも憲法をガン無視した独裁を許すかという問題だ」と訴えた。

この団体は、「SEALDs(シールズ・自由と民主主義のための学生緊急行動)」。

10代、20代の学生を中心としたグループで、集団的自衛権を容認する安保関連法案を「戦争法案だ」と反対している。

毎週金曜夜には国会議事堂前に多くの若者を集めて、ヒップホップなどの音楽や、英語のコールなどに合わせたデモ活動をおこなっている。

●「ヘラヘラしてるんじゃねえぞ、この野郎」

この日の会見で、シールズの創設メンバーの一人で、明治学院大学4年の奥田愛基さん(23)は、安保関連法案に反対する理由として、次のような3つポイントをあげた。

(1)集団的自衛権を行使できるようになり、戦争に参加する可能性が高まる

(2)「後方支援」という名目の参戦により、自衛隊と国民のリスクが高まる

(3)そもそも「憲法違反」で、議論の仕方さえもメチャクチャ

奥田さんは、このなかで特に(3)が問題だと指摘したうえで、「法治国家として許されないことが起きている」と述べた。加えて、「憲法を守れというのは、単純に護憲という意味ではない。この国の根幹である法治国家として、危機感を持たないといけない」と話した。

会見には、シールズの創設メンバーで、音楽サークルでラッパーをしているという明治学院大学4年の牛田悦正さん(22)も出席。牛田さんは「なんで戦争法案に反対してるかというと、ムカついているから。政治は、人間の生き死にが関わる。特に今回の法案は。そんなときにみんな他人事。『ヘラヘラしてるんじゃねえぞ、この野郎』と思う」と怒りを口にしていた。


 参考:SEALDs(シールズ)

SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。

私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。現在、危機に瀕している日本国憲法を守るために、私たちは立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確なヴィジョンを表明します。

日本の政治状況は悪化し続けています。2014年には特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認などが強行され、憲法の理念が空洞化しつつあります。貧困や少子高齢化の問題も深刻で、新たな生活保障の枠組みが求められています。緊張を強める東アジアの安定化も大きな課題です。今年7月には集団的自衛権等の安保法整備がされ、来年の参議院選挙以降自民党は改憲を現実のものとしようとしています。私たちは、この1年がこの国の行方を左右する非常に重要な期間であると認識しています。

いまこそ、若い世代こそが政治の問題を真剣に考え、現実的なヴィジョンを打ち出さなければなりません。私たちは、日本の自由民主主義の伝統を守るために、従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力の結集を求めます。そして何より、この社会に生きるすべての人が、この問題提起を真剣に受け止め、思考し、行動することを願います。私たち一人ひとりの行動こそが、日本の自由と民主主義を守る盾となるはずです。

 http://www.sealds.com/#2

 

 

 

 

 


人生に遅いということはなし 思った時が人生 何度でも。。できるまで

2015-07-07 | Weblog

23回挑戦、61歳で弁護士になった神山昌子さんーー法律家としての「10年」を語る

2015/7/6
 
23回挑戦、61歳で弁護士になった神山昌子さんーー法律家としての「10年」を語る神山昌子弁護士

挑戦すること23回、ついに司法試験に合格し、2005年に61歳で弁護士になった神山昌子さん(第二東京弁護士会)。苦労の日々を乗り越えたあとの10年間、弁護士として活躍してきた。なぜそこまでして、弁護士になりたかったのか。弁護士になってから、どんな思いで、仕事に臨んできたのだろうか。

●34歳で手にとった「法律の入門書」がきっかけ

神山弁護士は「今まで担当件数がもっとも多いのは、離婚の案件です」と説明する。

自身も離婚経験がある。長男が生まれて間もなくのことだ。生計を支えるために就職先を探したが、バツイチで子持ちという立場もあってか、正社員としてはなかなか採用されない。やむなく、パートやアルバイトを転々とする日々を過ごす。

34歳のある日、パートが始まる前に立ち寄った書店でたまたま手に取った法律の入門書が、司法試験に挑戦するきっかけとなった。「勉強すれば、私も弁護士や裁判官になれるのではないか、と思ったのです」

育児と仕事に追われる日常の中、どうにか勉強時間を生み出すものの、それでも司法試験の壁は厚い。10回目の司法試験に落ちたとき、断念しようと考えたが、当時小学生だった長男から、「続けたら? お母さんの夢なんでしょ」と励まされ、翻意した。

それ以降も毎回落ち続けた。ただ、不合格の直後こそ落ち込むものの、すぐに次の試験に向けた課題の検討やスケジュールの立案などに没頭し、前を向くのが常だった。物事をあまり悲観的に考えない性格がプラスに働いた。家族もチャレンジを支えた。

そして、受け始めてから23回目でついに合格。法務省に張り出された自分の受験番号を見つけたとき、「ちゃんと合格できる試験なんだと思いました」。無論、喜びは計り知れない。ようやくスタートラインに立つことができたのだった。

●北海道で取り組んだDV被害者の支援

弁護士になってから約1年後、法テラスの1期生として北海道旭川市に赴任する。さまざまな事件を担当したが、比較的多かったのが、DV(ドメスティックバイオレンス)がらみの離婚案件だった。DV被害に関する保護団体と連携し、旭川のDVシェルターに逃げてきた人の相談を受け、離婚調停などの手助けをした。

法テラスには、稚内や紋別など、シェルターが存在しない遠方の人も逃げてきた。しかし、調停や裁判は、居住地を管轄する裁判所に行かねばならない。もし電車を使ってDV被害者を連れていこうとした場合、本数が少ないために到着時間をDV加害者に読まれて、押し掛けられてしまう可能性がある。このため、自動車で数時間かけて連れていったこともあった。

「事務所にやってきたDV加害者に、『殺すぞ』とすごまれたこともありました」

ほかにも、裁判の進め方や依頼者との接し方など、旭川での3年間は多くのことを学ばせてくれた。貴重な経験を積み重ねたあと、2011年に東京に戻った。

持ち味は、何といっても豊富な人生経験だ。会社でのトラブルやSNSでの誹謗中傷、浮気、金銭問題など、日々訪れる人々の相談の中身は、人間関係に関するものが多い。

「皆さんの気持ちが良くわかるんですね。昔、お金がなくなったときに思考が止まってしまうことも経験しましたし、だまされた人が人間を信じたいと思った気持ちもよく理解できます。自分とかけ離れた感じがしないので、話もスムーズに聞けるんです」。豊かな人生経験が、さまざまな人の心に寄り添える「共感力」の源になっている。

●長男に引退勧告するように依頼した

その共感力は、ときに諸刃の剣となることもある。ある殺人事件の裁判では、追いつめられた被告人の心境に共感し過ぎて、精神的に深く疲れてしまった。東日本大震災の被災者から相談を受けたときも、困窮極まる人々の心痛を強く感じてしまい、しばらく何も手につかなくなった。

人々の心に敏感に反応しすぎて疲れることもあるが、この仕事は天職だと確信している。

「人間に興味があり、世話をするのも好き。本が好きで勉強が苦にならない。弁護士を目指したときから、この仕事に向いていると思っていましたが、それは間違いではありませんでした」

最初、相談に来たときは元気をなくしていた依頼者が、最後に元気を取り戻す姿を見るとうれしくなる。裁判や調停を通じて依頼者の役に立つことに喜びを感じる。できれば、90歳まで現役弁護士として働きたいと思っている。

もっとも、周囲から「辞めたほうが良い」と言われてまで続ける気はない。そのときは、長男に引退勧告をするよう、すでに依頼しておいた。「もしそのときが来れば、ちゃんと言ってくれると思います」

弁護士になって今年で10年。90歳まで現役なら、司法試験に挑戦し続けたあの長い歳月を超えることができる。