チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

別府温泉

2022年12月21日 | 小さな旅

曇、5度、72%

 主人の仕事のついでに同行した別府、観光目的ではありません。午前中には取引先の会社に着くべく、足を伸ばして別府に行きました。もちろん温泉は楽しみです。宿をとったのは有名な観光旅館、建物が数棟ありその建物をめぐるシャトルバスまであります。この手の大型旅館は初体験です。チェックインの時、広いロビーは人も少なく落ち着いた一晩を過ごせると思いました。

  ロービーから見渡した別府湾です。ホテル内には大型の温泉が3ヶ所あります。温泉プールもあるというので水着を持参した私です。外の雪、寒さからプールはやめて温泉に行くことにしました。部屋には普通のユニットバスしかありません。

 「棚湯」と名前のある「棚田」のように斜面に沿っていくつか湯船があるのは隣の建物、主人と二人緩やかな山道を「由布岳」を目の前に上がりました。館内、まずおみやげ物売り場、そこを抜けるとゲームセンター、どうやらボウリング場もあるようです。このあたりから私のゆっくりした温泉のイメージが少しずつ壊れ始めました。大浴場ですから、「男湯」「女湯」が分かれています。入り口で主人と別れました。

 脱衣所に向かうと、まずここで「えっ!」ロッカーがずらりと並び、真っ裸の女性たちが歩いています。お風呂ですから真っ裸はいいのですが、胸や下を隠しもせず湯上りのまま脱衣場にいます。周りを観察しながら私も服を脱ぎました。体には小さなバスタオルを巻きました。そんな人一人もいません。

 浴場に入ると、宣伝通りに「棚湯」が目の前にありました。外湯もあり雪の中お湯に浸かれます。バスタオルを置く場所を見つけお湯に入りました。「ああ、いい湯だわ。」たっぷりの湯に入り薄曇りの別府湾を眺めます。「これよ!これ」などとひとり堪能していました。でもいけません。目の前を裸の女性たちが大声で話しながら、闊歩しています。若い方もお年寄りもよく太った人も痩せた人もみんな隠しもせず、闊歩。目の前を平気に歩いて行きます。

 外ならばと思い「外湯」に入りました。ところがこちらも同じ現象、真っ裸の女性、子供がワサワサ。一人のつもりで湯を走る風や小雪を眺めていました。人の多さと真っ裸に圧倒されて30分ほどで湯から上がりました。

 あいにく浴場内の撮影は禁止です。やっぱり観光旅館だわと嘆息。部屋のある棟に戻るとロービーも人がわんさかいました。夕飯のレストランも混雑状態、人人です。ただ部屋はすこぶる広く、隣室の物音は聞こえません。早朝、この館内にある浴場を目指しました。朝早くですから人がいないはず、と思ったら当てが外れました。またしても隠しもしない女性たちがワサワサ。雪は止みました。明けやらぬ別府湾は趣がありました。体が温まったので急ぎ上がりました。

 「女性は体を晒してはいけない」と小さい頃から言われていましたが、今回の温泉体験、私のこの概念が覆されました。いえ、これから日本で生活する上で慣れなければなりません。 津久見に向かう主人と朝早く朝食をとりました。海を眺めての朝ごはん、「別府湾」を堪能です。 着いたときの雪景色です。日が登り始めると、紅葉と湯煙が織りなす景色に変わりました。

 主人は津久見に向けて南下します。私は福岡に向けて北上、来た道を帰ります。隣のホームにいる主人です。 20年ぶりの日本の温泉、ビックリでしたが慣れです、慣れなければと言い聞かせて「ソニック」に乗り込みました。

 短い時間でいたがお湯のありがたさをしみじみ、日本人が変わったのねとしみじみ、楽しい時間でした。

 

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別府へ

2022年12月20日 | 小さな旅

晴、3度、60%

 主人が帰国早々、大分県津久見市の会社を仕事で訪問すると言います。月曜日の午前中訪問予定、福岡から出るとなると早朝です。そこで別府泊まりで向かうことにしました。私も一緒に別府においでというので、急遽泊まる場所を探しました。

 「別府」は温泉地です。子供の頃は父母に連れられて幾度も行きましたが、半世紀も前の話です。主人も「別府」は私と同じくらい行ったことがないと言います。天気予報が雪マーク、電車で行くことにしました。 朝から小雪が舞う中、博多駅から乗車です。

 電車が進化して地方色溢れる作りになっていることは新聞などで知ってはいました。でも実際に見る駅に出入りする中距離列車の姿は、予想以上にかっこいい。ワクワクします。鉄道ファンが増えているのを理解できました。

 「ソニック」号に乗って小旅行の始まりです。福岡を東に向かいます。我が家は福岡の西にあるので私の生活圏は東ではIKEAがもっとも東です。その先北九州まで街が拓けた様子、筑後平野の田んぼを見ながら進みました。外は雪ですが車内は快適です。

 「小倉」から電車は南下します。ここで進行方向が変わるので、社内では乗客がシートを回転させます。「玄界灘」を見ながらのコースが四国と九州の間の「豊後水道」へと変わります。海の色、空の色も南へ行くに連れ北九州のそれとは違うことに気づきます。

 観光目的ではありません。長く日本を離れていた主人にも温泉で体を休めて欲しいと思います。主人ともども日本の「温泉」20年ぶりでした。向かったのは別府でも有名な大きな大きな観光旅館です。「観光旅館」に泊まるのも初めての経験でした。

  ホテルのロビーからの眺め、「別府湾」が雪に曇って見えています。チェックインの時間より早く着きました。「観光旅館」にしてはザワザワした雰囲気が少ないと喜ぶ私です。ギリギリで予約した部屋は14階の山向きの部屋、「湯布岳」が窓から見えています。 雪景色の中「湯けむり」が上がる様子は旅だと感じます。続きは明日。

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ココ一泊のお泊まり

2022年12月19日 | ここ
晴、3度

 ココ、昨晩は動物病院でお泊まりでした。朝から雪が降ったり止んだり、連れて行く主人や私も心細く思います。今年新調した白いモコモコを着せて、濡れないように赤いモモのお古のコートを着せました。
 鍵を閉めて後を追う私を振り返ったココを写真に収めました。動物病院では主人がリードを看護婦さんに手渡した時、一瞬固まりましたが、奥へ軽い足取りで入りました。

 昨晩、この写真を見直した私「あら、ココは私たちがどこかへ行くってわかってるわ。」と主人に見せました。ココの目が、私を見上げる目が「どこかに行くんですね。」と言っています。
 雪は上がったようです。お昼前にはお迎えに行けると思います。待っててね、ココ。
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酒粕クッキー

2022年12月18日 | おやつ

曇、4度、72%

 酒粕でクッキーを焼きました。主人が香港に帰る時には私が焼いたクッキーを持って帰ってもらいます。忙しくなるこの時期、早め早めに用意します。

 一日主人は家にいると幾度お茶やコーヒーを入れることやら、小さな甘い物も一緒です。「酒粕クッキー」をおやつに食べてもらいました。普通のクッキーの生地に酒粕を練り込んだだけですが、香りがほんのりと「酒粕」の甘みが加わります。「何のクッキーでしょう?」「クリームチーズかな?」食感はクリームチーズですが香りが口に広がると「あっ、酒粕!」

 他にもまだたくさん焼いていますが、このペースで行くと今焼いてある分はすぐになくなりそうです。酒粕があるうちにもう一度仕込みましょう。

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3年ぶりの肉じゃが

2022年12月17日 | お夕飯

曇、7度、78%

 パンデミックのおかげで3年近くも日本に帰れずにいた主人が昨日帰国しました。毎日LINEでのやり取り、テレビ電話で話すこともしばしば、見慣れた顔が帰ってきたと言う感じです。40年以上前、主人はバーレーンに単身赴任していました。あの当時は電話だって、うんと高くて余程のことがないと電話しませんでした。11ヶ月にひと月の休暇が出ました。当時は戻ってきた主人を見てグッときたものです。40年の歳月、通信も交通も進歩して世界が狭くなったと感じます。

 帰国前、「何が食べたい?」と聞くと「肉じゃがと高野豆腐」普通の家庭料理です。ところがこの私、肉じゃがも高野豆腐もこの3年一度も作ったことがありません。「果たして作れるかな?」肉じゃがには人参を入れて欲しいとのご要望、甘辛く味付けしなければ基本の日本カレーだわと思いながら午後には仕込みました。

 検疫で時間がかかって予想より遅く帰宅しました。ココの反応は「あれ?誰かしら?」モモのような熱烈歓迎ではありませんが、主人を思い出したようです。散歩の後、肉じゃが、高野豆腐で簡単なお夕飯。山のような話、あれも話したいこれも話したいなんてことはありません。ほとんどLINEで近況はご存知です。

 ベットに入って目を閉じると家の中に人の気配がします。階段を上がる音、ドアを閉める音、家族って特別な存在ではなく、日常にある存在です。音が暖かく聞こえます。さあ、ひと月半、お仕事で家を空けることもあるようです。体調を壊さず香港に無事戻れますように、妻の務めです。

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マヨネーズ、ケチャップ、ソース

2022年12月16日 | 日々のこと

曇、4度、74%

 主人が3年ぶりに帰国します。毎日、LINEでやり取りしているので、そんなに会っていないとは思えません。が、国外にいる身にとっては日本に帰りたかっただろうと思います。すでに40年以上の海外暮らしでも日本は故郷です。

 さて、主人を迎えるにあたって何か買うものはないかな?と考えました。寒い時の衣料は十分にあります。「あっ、そうだ!」と冷蔵庫を開けて思いました。「マヨネーズ、ケチャップ、ソース」です。この3年、この3つは我が家にありませんでした。昨日はスーパーに行くなり忘れないように、すぐにカゴに入れました。

 今回はひと月以上に及ぶ休暇です。休暇といっても仕事を持ち帰ってきます。訪ねなければならない取引先もあるようです。

 「明日の晩ご飯、何がいい?」と尋ねると「肉じゃが、高野豆腐」と返事がきました。ご馳走なんてありません。普通の私の手料理でこのひと月過ごしてもらいます。

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クリスシュトレン

2022年12月15日 | クリスマス

曇、5度、68%

 何年ぶりでしょうか?「クリスシュトレン」を焼きました。ドイツのクリスマスを祝うお菓子です。 イエスがおくるみに包まれた様を形取った焼き菓子で、収穫を祝う意味もあるフルーツやナッツが入ります。今、お菓子屋さんの店頭に真っ白に粉砂糖がかけられたお菓子が「クリスシュトレン」です。

 香港に渡る前、40年近く前はクリスマスひと月前に「フルーツケーキ」「クリスシュトレン」「パネトーネ」を焼いていました。クリスマスになれば「ブッシュドノエル」を作りました。私の子供の頃はクリスマスケーキといえば「デコレーションケーキ」が定番でした。不二家のペコちゃんの横に高く積まれたケーキの箱を思い出します。ケーキは小ぶりになり流行りのケーキも変化しています。

 30年住んだ香港でも「クリスマスケーキ」の流行に変化がありました。当初は普通の丸い「デコレーションケーキ」そしてイギリス統治下でしたから「クリスマスプディング」が出回ります。陶器の入れ物に入った「クリスマスプディング」はイギリスから輸入されます。温め直して食べる「クリスマスプディング」は非常に甘いものでした。そのうち陶器の入れ物ではなく、耐熱のプラスティックに入れられたものが売られました。そしてある頃から「クリスマスプディング」に取って代わって「パネトーネ」が山積みされました。イタリアから輸入される大きな「パネトーネ」です。よほど香港人受けが良かったのか、地元の製菓店も作るほど「パネトーネ」は流行りました。我が家も毎年違う店のイタリアからの輸入物を買いました。こうして振り返ると「クリスシュトレン」だけは香港で見かけたことがなかった気がします。

 クリスマスまであと十日、私の「クリスシュトレン」が十分に熟すまで時間がかかりそうです。実りの感謝を込めてフルーツたくさんのケーキを焼く西欧諸国の昔からのケーキたち、そんな思いを私たちもお裾分けに預かります。

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冬の薔薇

2022年12月14日 | 

小雨、10度、64%

 曇がちながらさほど寒くなかった昨日、部屋から裏庭を見ていました。やたらに徒長した薔薇の枝が目立ちます。庭にある薔薇の木は8本、内3本は冬でも葉をつけてポツポツと花をつける4季咲きと呼ばれる品種です。残りは葉を落として裸木になります。雑に見える徒長した枝を切ろうと庭に出ました。まだ本格的な剪定をするには早いのですが、思い切りよく鋏を入れました。

 切った枝を集めていると、小さな小さな蕾をつけた枝が一本落ちていました。高く伸びた枝を落とす時下から見上げて切るので蕾の有る無しに気づかなかったようです。「よかったゴミにしないで。」小さく色も地味な蕾を反故にしてしまうところでした。部屋に持ち入り刺しました。

 春先にはアーチを這うこの薔薇は柔らかいピンクのしかも香りの良い花を咲かせます。春にはメダリオン咲きともいわれる幾重にも花びらが重なった花です。大輪ではありませんがアーチをずっと彩ってきてくれています。季節外れに咲くと、不思議!単衣のおとなしい花姿です。香りもありません。

 この時期の薔薇は蕾から開花まで3週間もかかるものもあります。先日はじれったくなって蕾を切って父母に供えました。しばらくしたら大きく咲きました。「この小さな蕾は咲くかしら?」あまりにも小さく頑なに閉じています。

 今日から気温がぐっと下がる予報です。週末は雪マークが並びました。庭の薔薇の蕾は寒さの中花を咲かせてくれます。生命力を見せてもらえる貴重な花です。この小さな蕾、咲いてくれますように。

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チャパティ

2022年12月13日 | 料理

雨、10度、64%

 インドのパンと言えば「ナン」を思い浮かべます。ほんのりと甘くて、優しい味の「ナン」はインドカレーの辛さを和らげてくれます。トレーに細々と盛られた「タリー」にも添えられる「ナン」です。ところが「ナン」はご馳走パンで一般的にインドで食べられているのは「チャパティ」です。

 「ナン」は発酵生地でタンドール窯で焼かれます。一方「チャパティ」は全粒粉を使いフライパンで焼きます。発酵させないので捏ねたらすぐに出来ます。この2つの中間に「ロティ」と言う全粒紛のパンがあります。食べ比べると、油脂分の含有量の違いを感じます。バターやギーの多く使われているのが「ナン」でご馳走パンです。日々家庭でも食べられるのは「チャパティ」です。日本の白飯ですね。

 インドの知人宅でお夕飯をご馳走になったことがあります。もちろん夕飯を作るのは奥様でなく下働きの人たちです。厚かましく、お台所を見せていただきました。ちょうどお手伝いさんが「チャパティ」を捏ねていました。席に戻ると焼きたての「チャパティ」が出てきました。焦げ目がつくぐらい熱いパンでさっと焼くだけです。家庭料理、毎日の食事に欠かせない「チャパティ」だと知りました。

 久しぶりに「チャパティ」を作りました。プクッと膨らみますがポケットパンではありません。発酵させなくても膨らみができます。焼く時、ギーかバターで焼くと香り立ちます。 熱いフライパンで短時間で焦げ目をつけます。フライパンかそのまま口に入れると、粉の香りが広がります。

 「ナン」のおいしさは言うにや及ばずですが、日常食の「チャパティ」素朴な味が好きです。ちぎってカレーと一緒に食べるのですが「ブリトス」のように野菜や肉を巻いても楽しくいただけます。

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義母に布団を届ける

2022年12月12日 | 義母とのこと

曇、9度、70%

 義母の介護施設から電話がありました。「しもの粗相が多くて布団やカバーを汚して遣り繰りに困っています。」老人介護で一番大変なのは「しもの世話」だと思います。年齢高くなると、食べる量は減るとはいえ、一日数回の排泄物はあります。トイレにいけなくなれば「オムツ」を当てられます。母、義父の時は「オムツ」は施設が用意してくれました。義母の施設では家族の者が用意します。ネットで大量に買い送ってもらっています。注文時に「オムツ」について初めて知ったことがありました。一度の排泄で取り替えずに数回使って取り替えるように出来ています。度々取り替える手間、人手がないからでしょう。4、5回の尿を取る「尿取りパッド」と言うものを「オムツ」の中につけます。「尿取りパッド」だけを取り替え、「オムツ」の節約です。「オムツ」や「尿取りパッド」もいい値段します。

 「オムツ」替えの作業だけでも職員の人は大変な仕事、その上、敷布団や掛け布団まで汚すようになると幾重にも手がかかります。シーツを替えても、布団にまでしみ込んだ匂いや汚れは消えるものではありません。施設側が私に言って来るぐらいですから、かなり困っていると察しました。

 主人の実家の客用布団を運びました。一昨日は掛け布団、昨日は敷布団。それに合わせてカバー類もあるだけ持って行きました。「シミや匂いの強くなったものは、捨ててください。」とお願いしました。

 義母の必要なものを届ける時、いつも後になって「あれも持っていけばよかった。」などと思い出します。どこに何があるかわからぬ主人の実家で探し物をするからでしょう。とりあえず、寒さが来る前に布団の準備は出来ました。職員の方たちが少しでも楽になればと思います。義母も気持ちよく休めるでしょう。

 3年近くぶりに主人が香港から戻ってきます。帰国翌日に義母との面会を申し込みました。義母の個室で面会です。私が義母の個室に入るのも3年ぶりです。久しぶりの対面、いい時間が過ごせますように。

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