曇、23度、92%
広尾の山種美術館に行くには渋谷からバスに乗ります。「学バス」の愛称を持つバスです。名前の通り通学バス、渋谷から六本木通りを裏に入り、青学の初等科、国学院大学などのある細い道を通ります。渋谷駅の周辺は依然工事中で防音壁が迷路のように立っていますが、昔から変わらずに渋谷駅東口にバス停はあります。このバスには本当にお世話になりました。初めて乗ったのは41年前の6月でした。
41年前、息子を2ヶ月早く早産しました。息子は奥沢の産婦人科から救急車で産後すぐに「日赤医療センター」へ運ばれました。万が一のことを懸念した産婦人科の先生は私に麻酔を打ちました。息子の顔を見ないまま連れて行かれました。確か当時「日赤医療センター」の小児科は日本でも有数のいい設備を持っていたと記憶します。
41年前の夏は異常に暑い夏でした。1週間で産婦人科を退院した私は、退院後すぐに息子がいる「日赤医療センター」へと向かいました。ガラス越しに初めて息子の顔を見ました。医療処置の必要な未熟児は奥に手前には小さなコットに足をこちらに向けて赤ちゃんたちが寝ています。入院に付き添った主人は度々面会に行っていました。「足の一番大きな子供が我が家の子だよ。」主人の言う通り「下川ベイビーの母です。」と言うと看護婦さんは足の一番大きな子を抱き上げて連れて来てくれました。以来息子が退院するまでのふた月、母乳を冷凍して毎日運びました。
頭が座った頃、初めて息子を抱いたのもこの未熟児室でした。殺菌室を通り真っ白な割烹着のようなものを着て抱きました。忘れもしない息子の重さです。41年前は毎日この「学バス」に乗りました。
息子の退院後も2週間に一度の検査、ひと月に一度の検査、半月に一度の検査と「日赤医療センター」には通いました。低体重児で「未熟児網膜症」を患っていましたが、入院中の手術で失明は免れました。香港に行ってからも1年に一度は通いました。いつもこの「学バス」に乗りました。
ここ数年は山種美術館に行くときにしか利用しません。途中で降ります。いつもふとこのまま終点まで乗ってみようかと思うことがあります。ほんの2、3のバスストップで終点です。先日乗ったのは、日曜日の朝、梅雨の雨上がりでした。学生の姿は見られません。このバスに乗ると不安を抱えた若い母親の私を思い出します。
バス停から山種美術館までは少し歩きます。家々の軒先には紫陽花が咲いています。主人が住み始めた武蔵野の町とも、以前我が家が住んでいた多摩川を見下ろす町とも違う懐かしい広尾の町の匂いです。いつもは気忙しく向かう美術館ですが、たくさんの思いを胸にゆっくりとした歩みでした。いつか「学バス」の終点まで乗ってみるつもりです。