チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

エレベーターに閉じ込められる

2014年01月29日 04時57分42秒 | 日々のこと

晴れ、4度、70% 福岡

 私が中学生の頃ですから、昭和40年代のことです。日本のどこかで、エレベーターの事故がありました。ニュースで知ったことですが、エレベーターを待っていた人が、ドアが開いたのでエレベーターに入ったところ箱が来ていず、下に落ちて怪我をしたというものでした。そのニュースを見て大笑いの私です。ちょうど、何を見てもおかしいと思う年頃でしたが、その笑いはしばらく続きます。見兼ねた母に厳しく叱られると、一時的には止まるのですが、また笑いが込み上げてきます。今考えると、本当に不謹慎な笑いです。当時より、建物の高さも高くなった昨今、この手の事故も以前より被害状況が深刻になってきました。

 私が初めてエレベーターに閉じ込められたのは、20年以上も前の香港でした。当時はまだ、家庭教師の仕事をしていましたので、沢山のご家庭を廻っていました。九龍サイドの古い啓徳空港のすぐ側に出来た真新しいマンションでした。教え子の家に向かうエレベーターが、急に止まりました。真新しいマンションですから、エレベーターの中は鏡張り、こうこうと電気も付いていました。乗っているのは私ひとり。非常ベルを押しました。当時の私は、まだ広東語がわかりません。しかも、管理員のおじさんも英語がわからない人が多かった頃です。インターフォンで会話を交わすのですが、チンプンカンプン。新しいエレベーターでもあるにもかかわらず、ファンが付いていません。エレベータの中は私ひとりですが、次第に暑くなってきました。少しわかる広東語で、「開門(ホイムン)」と怒鳴る私です。いえ、長く感じました。階と階のちょうど中間に止まっていたエレベーターの扉は、管理員のおじさんの手で開けられました。上の階へ引っ張り上げられました。怖かった思いもあります、暑くもありました。とても、疲れた覚えがあります。

 それから、2、3年後のことです。やはり、教え子の家に向かうエレベータに閉じ込められました。この時は香港人の女性と一緒でした。途中まで行ったエレベーターは、急な停電で、ピタッと止まりました。停電ですから、電気もファンも止まりました。一緒の香港人の女の人は、すごいパニック状態です。大声を出すわ、最後には、泣き出す始末です。他の人がパニックになっていると、不思議に落ち着いていられるものです。そのマンション、3台のエレベーターがありましたが、もちろんどれもが止まっていて、どのエレベーターの中でも誰かが大声を上げています。急な停電は、急に復旧しました。何事もなかったように動き出したエレベーターでした。

 高いビルが建ち並ぶ香港です。エレベーターの大きな事故はあまり報道されませんが、我が家のマンションでも、定期検査が行われています。もう、エレベーターに閉じ込められることもないだろうというより、エレベーターに閉じ込められたことすら忘れていた私は、先日、我が家のマンションで閉じ込められました。乗ってるのは私ひとりです。停電でもありません。非常ベルを押して、インターフォンで馴染みの管理員のおじさんと話します。乗ったら、ドアは閉まったのですが動きません。いくらオープンのボタンを押しても開きません。もう、3度目です。しかも、我が家です。落ち着いたものでした。すぐに3人の管理員のおじさんが、手動でドアを開けてくれました。私は隣のエレベーターで家に戻りました。

 3度もエレベーターに閉じ込められた人も、少ないだろうなあと思っていた時のことです。急に、中学の時にエレベーター事故を大笑いしたことを思い出しました。やはり、あの大笑いの罰が当たっているのかもしれません。この年になると、色々人生の決算をしているようです。差し引きゼロ、これ以上大きな事故に遭いませんように。

コメント
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