チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

運針

2014年01月21日 05時42分16秒 | 日々のこと

晴れ、13度、38%

 年が明けると、例年主人は足しげく日本に帰ります。年賀会のような会に出席するためです。先日帰宅した主人が、久しぶりにお年玉をもらったよと、テーブルに置いたのは手ぬぐいでした。友人の奥様からです。私にもお年玉、 ミイのマスキングテープを頂きました。夜遅い帰宅でしたので、荷物はテーブルの上に置いたまま休みました。

 翌日、頂いた手ぬぐいを開けてみると、何やら健康10か条のようなことが書かれています。昨年、健康を害した主人を気遣ってのことでしょう、書いてあることも面白く、ニタニタと読んでいた私は、手ぬぐいの端縫いに急に目が釘付けになりました。普段頂き物の手ぬぐいは、切り放しになっています。それが細かく運針がかかっているのです。

 お年玉をくださった彼女は、私よりもやや小柄な同い年です。彼女の手は、ほんとに小さくて子供のような手をしています。縫い目を見ながら、彼女の手が針を運ぶ様子が浮かびます。手が作り出すものは、その人の為人を語るとよく言われます。一度、クロスステッチを数人の人に教えたことがありました。教えるというほどの大袈裟なものではありませんが、麻の布の目の取り方は、クロスステッチ用の布と少しばかり違います。同じ布、同じ糸で同じ図案を刺したのに、出来上がりの雰囲気はそれぞれ違います。私のように性格がきついと、優しい花の刺繍でも堅いものに見えます。ところが、おっとりした方の花の刺繍は、ポッテリした趣を持っています。手のなせる技、いえ、その人のなせる技です。

 運針というと、小学校の家庭科の運針用布を思い出します。目は大きいは、真っ直ぐには揃わないは、私の運針は以来ちっとも前進を見ないままです。そうは言いますが、針を持つ仕事は大好きです。立ち仕事が多い主婦の仕事の中で、針仕事は数少ない坐り仕事です。針仕事という言葉の響きも好きです。針と布をを持ち仕事をしている人の周りには、険しい雰囲気などありません。それほど、針仕事が好きなのに、真っ直ぐに縫えない、いい加減な私です。

 ミシンを買ったのは息子が幼稚園に入る前、それまでは、カーテンでも何でも手縫いで作っていました。目は大きいし、曲がっていてもお構いなしですから、さっさと作ってしまいます。ミシンを買ったって、性格は変わりませんから、曲がっても、目が飛んでも平気。誰も、縫い目なんて見やしないと、鷹を括っています。要するに、性格が大雑把というだけです。そして恥ずかしいことに、その性格を、もう60も近くなるのに直そうともしないままでした。友人のこの運針を見て、少し考え込みました。急に、私が死んでしまったら、家中にある私が縫った物たちは、始末する人にその恥ずかしい縫い目を見せることになります。そう思った途端、これはまずい、これからはもう少しまじめに一目一目を縫おうと思ったのです。そう思いながら、いや、縫い目の問題じゃないのよね、私の性格なのよね、つまりは、大雑把な性格矯正をしないことには、縫い目なんて揃うはずもありません。年明け早々、友人のおかげで、60に向けてこの私の性格をいかに変えるか、大きな課題が見つかりました。

コメント
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