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うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

とんでもない私と、とんできた猫

2018年05月12日 | うんこの事

12年前、

夫と別れて家を出ようと決意した時、

猫達を置いていくという選択肢は、

私の中には、全くなかった。

 

おはようございます。

春の嵐の中、うめとよねときく、

そして大きなキャットタワーを、びしょ濡れになりながら、

ボロアパートの狭い部屋に運び入れた。

それ以外、まだ何もない部屋の中で、

私は、「さあ、再出発だぞ。」と、自分を奮い立たせてみたが、

本当は不安で、今にも泣き出しそうな気分だった。

しかし、それもつかの間、

嵐のせいで、吹き荒れたゴミで汚れた道路も一掃された頃、

空から、子猫が降ってきた。

実は、再出発の本当の始まりは、この瞬間からだった。

 

茶色の鶏卵くらいの大きさで、

だったら、玉子ちゃんとでも名付けてやればいいものを、

私は、カラスが落とした糞のようだと笑いながら、

生れて間もない子猫に「うんこ」と名付けてしまった。

その後、空を飛んだ猫は、

とんでもない飼い主に、とんでもない育てられ方をされた。

 

動物病院に連れて行くと、獣医は、

「この小ささなら、2時間おきの哺乳が必要だ。」と言ったが、

私は、それは出来ないと伝えた。

当時の私は、仕事を2つ掛け持ち、家に帰るのは、夜中だったのだ。

3匹の猫を食わせるためには、そうするしかなかったが、

4匹目の猫を生かすためには、それがネックとなった。

「それなら、夜中、できるだけの哺乳をしてみるしかない。」

そう言われて、綱渡りのような育児が始まった。

 

1つ目の仕事を終えて、一旦家に戻って哺乳。

うめに、「頼んだぞ。」と言って、2つ目の職場へ走る。

帰宅したら、朝まで、延々と哺乳が続く。

その都度、排せつは、うめが担ってくれた。

今考えてみれば、それもとんでも話だ。

感染症を患っていた子猫を隔離するどころか、

その排せつの手伝いを他猫にさせるなんて、

本当に、とんでもない話だったが、

うめは、体調を崩すことなく、役割を果たし続けた。

喧嘩ばかりしていたよねときくも、その時は喧嘩もせず、

私達を、いつも静かに見守っていた。

 

そんな、ある日の朝、いつものようにミルクの準備をしていたら、

這うように歩いているうんこに気付いた。

うんこ、初めての1歩だ。

「うんこが歩いた!」と喜びながらも辺りを見回してみても、

子猫の相手になるようなオモチャなど無くて、

私は、咄嗟に足裏マッサージのために置いていたピンポン玉を、

うんこの前に転がしてみた。

無反応だった。

「だろうな!」と、再度探してみると、

キャットタワーに紐でぶら下げられたネズミのオモチャが目に入り、

私は、その紐をハサミで切って、うんこの前に置いてみた。

「うんこ、お前のだぞ。」と。

うんこ、初めてのオモチャだ。

 

そして、そのネズミは、

それ以来、うんこ、唯一無二の大事となった。

 

時には、入院もしながら、

それでも、うんこの体はあれよあれよと育っていく。

「もう大丈夫。うんこは危機を乗り切った。」という頃、

ネズミくらいの小さな体は、ネズミを口に咥えられる大きさになっていた。

しかし、ネズミとの関係は変わることはなかった。

オモチャといっても、蹴ったり咬んだりするわけではなく、

うんこは、いつもネズミを側に置いていた。

ただ、側に置いておくだけだった。

 

あれから12年、我が家はずいぶん変わった。

ボロアパートから今の部屋へ引っ越して、

私は職も変わり、生活スタイルも大きく変わった。

うんこを、ともに育ててくれたうめは、逝った。

なんだかんだと見守ってくれたきくも、もう居ない。

よねは、そろそろ、ガタがき始めている。

それでも変わらないのは、ネズミのオモチャだった。

驚くほど綺麗なまま、いつも、うんこの側にいた。

やっぱり、うんこの、大事なネズミだ。

 

そして、あやを拾った時、おたまを拾った時、

保護をした子猫たちも、実は、我が家に来た子猫は、皆、

初めて触るオモチャは、いつも、うんこのネズミだった。

親とはぐれて、不安な目をした子猫が我が家にやって来ると、

うんこは決まって、

「いらっしゃい、うんちゃんにお尻を嗅がせなさい。」

と言わんばかりに、ネズミとともに登場したからだ。

まるで私が、小さなうんこの前に、ネズミを置いた時のように、

うんこは、子猫にネズミを差し出した。

そこはあくまで、一時期、貸してやると割り切るところが、

さすが、うんこの大事だもんなと感心したものだ。

 

ところが、とんでもない事が起きた。

また、とんでもない飼い主が、やらかしたのだ。

うんこの大事なネズミを、

いらない衣服とまぎれて、気づかず捨ててしまったのだ。

まったく、取り返しのつかない事をしてしまった。

 

ここ数日、私はうんこに謝り続けている。

うんこの匂いのついた生地で、同じようなネズミも作ってみた。

当然、うんこの大事にはなる訳など、ないのだ。

 

うんこ、ごめんな。

母さんは、とんでもない母さんだ。

でも、母さんの大事なうんこは、お願いだ。

ずっと側にいておくれ。


奇跡と必然

2018年01月21日 | うんこの事

先日、母さんが、

「あそこのお宅の娘さんって、

確かお前と同い年位だったよなぁ。

この前、お母さんとばったり会ったら、

忙しそうにしててよ。

わしは、誰かは聞き取れんかったが、

とにかく15歳で亡くなって今から火葬場行くって言ってたけど、

あれか?お孫さんが亡くなったんかのぉ?」と言った。

 

おはようございます。

「母さん、それは、犬だ。愛犬のココちゃんだ。」

たまに会うと、必ず私に唸っていた威勢のいい、あの子も、

ついに旅立ったか・・・

 

私は、死というものを、必ずしもネガティブには捉えていない。

もちろん、愛する存在に先立たれれば、涙が流れる。

しかし、それは必ずしも、悲しいだけの涙ではない。

 

この世に生まれたからには、必ず死が訪れる。

例えば、

1匹の猫と出会った瞬間、

死へのカウントダウンが始まると言っても過言ではない。

いつ、どう死ぬかなんて、誰も分かりはしない。

ただ、少なくとも今は生きている。

いつ果てるか分からぬ、その命が尽きるまでは、

必ず生きているという事は、はっきりとわかる訳だ。

 

いつ死ぬか分からないのなら、

今生きているという事は、奇跡だ。

ぼんやりとしか分からぬ死は必然、

はっきりと分かる生は、実は奇跡。

私は、そう捉えている。

必然の時のために、奇跡は繰り返され、

必然の時があるから、奇跡は輝く。

奇跡は、必然があるからこそだ。

奇跡の輝きが今ここにあるから、

必然が、いつかが分からないから、

私達は、今を懸命に生きようと思えるのではないだろうか。

 

休日の私だって、輝いているはずだ。

傍から見れば、腐乱死体と見まがうほどの昼寝姿も、

それはそれで、きっと・・・輝いてるんだってばさ!

 

うんこを拾った時、

あの時は、さすがに戸惑った。

あまりに小さかったのだ。

獣医からも期待するなと言われるほど、

良くない状態でもあった。

当時、必然は遠くないと覚悟したが、

11年経った今も、彼女は奇跡を繰り返している。

そして、輝いている。

鼻なんて、いつもテカテカだ。

鼻炎で、鼻がテカテカだ。

 

そんな、うんこさんのお気に入りの場所がこれだ。

うんこの飛ばす鼻水で、いい感じに汚れている、これ。「鼻水チェア」

 

ところが、最近になって、

なぜか、よね婆さんが、鼻水チェアに興味津々。

興味の視線が、矢のごとく、突き刺さり

 

ついには

奪われた?

 

うんこさん、奪われたんか?

うんこ「貸してあげてんのよ、母さん」

 

うんこは、よねが欲しがるようになってから、

鼻水チェアに座らなくなった。

 

いいのか?

うんこ「いいのよ、母さん」

 

ほんとに、いいのか?

うんこ「いいのいいの、いいんだもん」

優しいうんこは、我慢しちゃうんだよな。

でもね、うんこさん?

奇跡の贈り物が、届くからな。

待ってろよ。

・・・・・・・・・・・・・次回へ、つづく


頑張ってるのは、猫ばかり

2017年09月15日 | うんこの事

今現在、我が家には、

4匹のメス猫と1匹のオス猫、

50過ぎの微笑む地蔵と、

そして、

おかっぱヘアのスットコドッコイが、居る。

 

おはようございます。

猫達の世話をするのは、主に、そのスットコドッコイな訳で、

当然、上手い具合にいくはずが無い。

 

そんな中、どうにかこうにか無事に年を経て、

よね16歳は、おかげさまで元気だが、

大人しすぎて、元気度が分かりずらい。

きく15歳は、隔離部屋から、何かと用事を言いつけて来るし、

川からやって来た、あや5歳は、水を得た魚より、活きがいい。

期待の新星おたまとは、3年の付き合いになるが、

今だ何を考えているか、分らない。

 

そうなると、こうなる。

うんこは、いつも後回し。

 

うんこは、いつもグッと我慢。

 

うんこは、いつも置いてけぼりだ。

 

そんな、うんこだって、もう、とっくに11歳だ。

目も見えない頃から、ずっと一緒のうんこさんは、

頭が良くて、我慢強くて、

とっても優しく、強い猫だ。

私は、そんなうんこに、よく、こう言う。

「うんこは、我慢だ。お前は私の子だから分かるだろ?」と。

 

すると、うんこは、ちゃんと我慢をしてくれる。

全部、分かっているんだ。

だけど、うんこだって、

時々・・・

うんちゃんばっかり病になるんだよな。

うんちゃんばっかり、かわいそうってね。

 

ごめんな、うんこ。

母さん、うんこに甘えすぎだな。

だからね、うんこ。

 

母さん、お詫びと言っちゃなんだけど、

 

見て、この顔!

横向きで、より一層タルんだ顔を大公開しちゃうぞ。

 

これで、何卒お許しください。

うんこ「変な顔の母さん、ウフフ」

そうだな、ごめんな。


今回は、乙女のマナーレッスン

2017年03月23日 | うんこの事

ほーらね、

言わんこっちゃない!

 

おはようございます。

我が家のおじさんが、咳と共に起きてきた。

そりゃそーだ。

小汚い半袖で寝てるからだ。

 

どんなポリシーかは知らないが、この冬の夜を

ずっと小汚い半袖で通してきた男に、

私は、暖かそうなトレーナーを用意した。

小洒落たスウェットも新調した。

それでも男は、小汚い半袖で夜を過ごした。

 

そんな、謎のダンディズムに富んだ男は、

明日には、今の会社を退職する。

お世話になった職場の皆さんへ、風邪菌を置き土産に。

 

ちょっとさ、うんこさんや。

おじさんに、完璧なマナーを見せたげて!

うんこ「あらまっ、もうお出かけですの?」

 

うんこ「お名残り惜しいわ~」

 

うんこ「もう少し、ゆっくりなされば、いいのに」

 

うんこ「ほんとに、もうお出かけになるんですの?」

 

うんこ「お気を付けてくださいませ」

 

うんこ「本当に、本当に、お気を付けてくださいね~」

 

おじさん「うんちゃ~ん、いってく・・・」

うんこ「はい、かたづいたっ!」

うんこ?

後ろ、後ろ!おじさん、まだ居るぞ!!

 

うんこ「は~やれやれ。屁こいて2度寝しよっ!」

うんこ?

おじさんに、聞こえてるってばさ!

 

こうして、うんこは毎日、ビジネスライクに

お見送りをするのであった。

うんこ「母さん、うんちゃんはね、寂しいの」

うんこったら。

 

うんこ~うん・・・

うんこ「よし、屁こいて、カリカリ落ちてないか探そっ!」

こらーこらーこらー!


トナカイの子供は、賢い猫

2016年12月25日 | うんこの事

我が家には、

とんでもない名前を付けられた猫がいる。

それはそれは、とんでもない名前だ。

 

おはようございます。

その名は、うんこ。

うんこだ。

若いお嬢さんに限らず老若男女みなさん、うんちゃんと呼んで下るが、

お気遣い、ありがとうございます。

 

うんこが小さな頃は、うめと並んでよく窓から外を眺めていた。

その様子が、外を歩く人には親子に見えたらしく、

「そっくりな親子だねぇ。」と、声を掛けられていたものだ。

ゴージャスな純血種の親と、キジ猫の子だったが、確かに親子のようだった。

 

うめは、本当に出来た猫で、

きくとよねが、きくとうんこが、と猫同士の小競り合いが起こるたびに、

必ず走って行き、さりげなく間に入って両者を静めた。

うんこは、そんな小競り合いの常習犯だったが、今ではどうだ。

 

あの魔の土曜日、あやときくの間に亀裂が入り、

その亀裂が決定的で修復は難しいと判断したのは翌日の事。

高い棚から慎重に降りてきたきくを見るなり、

あやは、再び、総毛だって攻撃を仕掛けに飛び出した。

これが、きくを隔離する決定打だった。

 

実は、日が変わった頃には、2匹とも落ち着いていて、

案外ケロッとしているかもと高を括っていた私は、

咄嗟の事に驚いて、あやを追いかけた。

すぐに、きくから遠ざけて、あやを叱った。

「ダメじゃないか。あや!」

 

私が睨んでいると、あやは逃げもせず縮こまって固まっている。

あやは本来、攻撃的な性格ではなく、

むしろ怖がりで、元気ではあるが温和な猫だ。

怖がりだからこそ、攻撃をしてしまうのだろう。

分かっているのに、納得が出来ない私は、

更にあやを叱ろうと睨んでいた。

 

その時、トテトテと背後に近付く足音がした。

うんこだ。

ひざまずいて睨む、鬼の形相の私をじーっと見て、

床に着いている手に、ゴチンと頭突き、

今度は、縮こまるあやの頭を優しく叩いた。

 

笑っちゃったよね。

やられたよ、うんこにさ。

 

うめは、静かにさりげなく、うんこは、丸く和やかに。

ほんと、親子みたいだな。

でもさ、私もうんこの母さんだろ?

 

その母さんは、高を括っていたから、

呑気にブログのネタ用のコスプレしてたんだよな。

実は、上記の出来事中、ずっと、こんな格好だったんだよな。

 

怖かっただろうな、あや。

ねぇ、おじさん?

今じゃないの。

今の私は撮らんでいいの。

 

違うの。こういうのじゃないの。

こういう画像が撮りたかった訳じゃないの。

 

仕方ない、これで行くか・・・

皆さん、メリークリスマス!

 

おたま「なぜか、オラが被らされたぞ」

背後のうんこ「恥ずかしい。こんな母、恥かしい」

 

「サンタうんことトナカイ」という構図で撮影予定だったが、

我が家愉快な仲間達、相も変わらずバタバタでございましたとさ。