『出雲と伊勢 神道の叡智』 講談社 山蔭基央 著
本書の著者は、山蔭神道第79世宗家の山蔭基央氏です。
著者によりますと、山蔭神道は「吉田神道家」の分流で山蔭平衡(卜部員平衡)の語り遺した神道で、幕末の頃、光格天皇庶出の皇子・武生宮長仁親王(中山忠伊卿)に伝えられ、その嫡男中山忠英、その三男中山忠徳、その養子山蔭基央が継承したものが山蔭神道であると書いております。
山蔭基央氏は40冊近い書籍を発刊されており、本書はその最新刊です。その中でこう述べています。
―――日本における「正義」の根幹は、「皇室」を守ることである。現今、皇室は危ない。
日本の皇室は「天照大御神」から来るものである。その陰に「出雲国譲り」という歴史がある。かつて出雲国は「日本海沿岸の全域と東海地方」にまで延びていた大国で、出雲大社(大己貴命)は大国主神と仰がれていた。その大国主が全ての国土を天照大御神の御子神(皇室の先祖)に譲られて今日にあるわけで、この「神話」は虚偽ではないことが明解である。
筆者は今年八八歳。五〇歳頃から著作を重ね、論述を深めていくに従って、「この事は真実である」ことがわかってきた。
先代忠徳卿は六一歳で逝かれたが、その時の遺言が「日本の根幹を確立せよ」であった。(略)―――
本書の「はじめに」にはこう書かれています。
【二〇一三年(平成二五年)には「伊勢の大遷宮と出雲大社の大修理」が行われる。そのどちらも由緒の深い神社である。
ともに大きな節目を迎える出雲大社と伊勢神宮は、日本を代表する二代神社であり、いずれも「日本の心のふるさと」といわれる。
平安時代の末期に伊勢神宮を参拝した、歌人であり僧侶の西行(一一一八-一一九〇)はこう歌を詠んでいる。
なにごとのおはしますかはしらねども
かたじけなさになみだこぼる
西行は、おそらく神社に潜む悠久の霊性に心打たれたのであろう。
また出雲についていえば、須佐之男神が詠んだ歌がある。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
(雲が幾重にも立ち上る出雲の土地は、八重垣を巡らしているように見える。そこに新妻を迎える宮を造るのは、幾重もの垣をめぐらすようなものだ。そのように見事な八重垣を
筆者訳)
これは『古事記』に収録されている歌で、日本最古の歌であり、今もその伸びやかな愛の調べは私たちの心に響いてくる。
この両社とも「清らかな霊気」に溢れる神社である。もちろん「全国の各神社」も清明な空気を放っているが、どこの神社も「壮大な装飾」は無く、巨大な尖塔や豪壮な建物も無い。どこの神社を訪れても、大自然の山野と調和して佇んでいることが多い。
このような風景はキリスト教やイスラム教、インド教や仏教寺院には見られない。ある意味で素朴である。かの豪勢に見える「出雲大社」にしても、豪壮華麗と言うわけにはいかない。
西洋人から見ると、「神社と仏教寺院」の区別はつかないらしいが、少し慣れると、多くの神社は太古の大木が社殿を包んでいることに気づく。
また神社の神職は「白衣」を基調とする服装で勤務していることに気づき、可愛い巫女が美しく神楽舞いを奉舞していることにも気づくであろう。
また神社の神職から「説教」は聞けないが、神社を囲む環境が醸し出す清明な雰囲気が、その霊性を静かに大きく物語ってくれる。(以下、省略します)】
本書によれば、日本の神社の本領は素朴さにあるようで、日本の心のふるさととして敬愛される出雲大社と伊勢神宮は、表裏一体の不思議な関係にあり、ともに日本の精神文明の基礎であるということです。
以上
本書の著者は、山蔭神道第79世宗家の山蔭基央氏です。
著者によりますと、山蔭神道は「吉田神道家」の分流で山蔭平衡(卜部員平衡)の語り遺した神道で、幕末の頃、光格天皇庶出の皇子・武生宮長仁親王(中山忠伊卿)に伝えられ、その嫡男中山忠英、その三男中山忠徳、その養子山蔭基央が継承したものが山蔭神道であると書いております。
山蔭基央氏は40冊近い書籍を発刊されており、本書はその最新刊です。その中でこう述べています。
―――日本における「正義」の根幹は、「皇室」を守ることである。現今、皇室は危ない。
日本の皇室は「天照大御神」から来るものである。その陰に「出雲国譲り」という歴史がある。かつて出雲国は「日本海沿岸の全域と東海地方」にまで延びていた大国で、出雲大社(大己貴命)は大国主神と仰がれていた。その大国主が全ての国土を天照大御神の御子神(皇室の先祖)に譲られて今日にあるわけで、この「神話」は虚偽ではないことが明解である。
筆者は今年八八歳。五〇歳頃から著作を重ね、論述を深めていくに従って、「この事は真実である」ことがわかってきた。
先代忠徳卿は六一歳で逝かれたが、その時の遺言が「日本の根幹を確立せよ」であった。(略)―――
本書の「はじめに」にはこう書かれています。
【二〇一三年(平成二五年)には「伊勢の大遷宮と出雲大社の大修理」が行われる。そのどちらも由緒の深い神社である。
ともに大きな節目を迎える出雲大社と伊勢神宮は、日本を代表する二代神社であり、いずれも「日本の心のふるさと」といわれる。
平安時代の末期に伊勢神宮を参拝した、歌人であり僧侶の西行(一一一八-一一九〇)はこう歌を詠んでいる。
なにごとのおはしますかはしらねども
かたじけなさになみだこぼる
西行は、おそらく神社に潜む悠久の霊性に心打たれたのであろう。
また出雲についていえば、須佐之男神が詠んだ歌がある。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
(雲が幾重にも立ち上る出雲の土地は、八重垣を巡らしているように見える。そこに新妻を迎える宮を造るのは、幾重もの垣をめぐらすようなものだ。そのように見事な八重垣を
筆者訳)
これは『古事記』に収録されている歌で、日本最古の歌であり、今もその伸びやかな愛の調べは私たちの心に響いてくる。
この両社とも「清らかな霊気」に溢れる神社である。もちろん「全国の各神社」も清明な空気を放っているが、どこの神社も「壮大な装飾」は無く、巨大な尖塔や豪壮な建物も無い。どこの神社を訪れても、大自然の山野と調和して佇んでいることが多い。
このような風景はキリスト教やイスラム教、インド教や仏教寺院には見られない。ある意味で素朴である。かの豪勢に見える「出雲大社」にしても、豪壮華麗と言うわけにはいかない。
西洋人から見ると、「神社と仏教寺院」の区別はつかないらしいが、少し慣れると、多くの神社は太古の大木が社殿を包んでいることに気づく。
また神社の神職は「白衣」を基調とする服装で勤務していることに気づき、可愛い巫女が美しく神楽舞いを奉舞していることにも気づくであろう。
また神社の神職から「説教」は聞けないが、神社を囲む環境が醸し出す清明な雰囲気が、その霊性を静かに大きく物語ってくれる。(以下、省略します)】
本書によれば、日本の神社の本領は素朴さにあるようで、日本の心のふるさととして敬愛される出雲大社と伊勢神宮は、表裏一体の不思議な関係にあり、ともに日本の精神文明の基礎であるということです。
以上
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