私は今、みなさんの居住地はるか上空にうかぶ宇宙船におります。
私はみなさんの現時点での思考をモニターすることができます。
みなさんのなかにはそれをプライバシーの侵害であると考える方もいるかもしれませんが、けっしてそうではありません。
地球人類の思考をうかがい知ることができるという私たちの能力は、みなさんの思考や活動をどのようにも侵害することを意図するものではありません。
また、私たちは他者の思考を知ることを侵害であるとは考えません。
なぜなら他者の思考も、自分たちの思考であると見なしているからです。
換言すれば、私たちは他者の思考を「創造主」の思考であると見なしているのです。
友であるみなさん、みなさんは愛や同胞意識的な性質をもつ思考以外は、私たちの「創造主」に属するものではないと思われるかもしれませんが、そのようなことはありません。
創り出される思考はどれも「創造主」によるものですし、生成される物事はどれも「創造主」によるものです。「創造主」はすなわち万物であり、あらゆるところに偏在しています。
存在しているすべての意識、すべての思いは、私たちの「創造主」の意識であり思いなのです。
無数に存在している「創造主」の部分は、ことごとく自由意思をもち、いずれも好きな方法で生成を行います。
「創造主」のすべての部分が、みずからの完全かつ無限の感覚をもって創造されたあらゆるものと交信しているのです。
私たちは「創造主」の考えを変えようとしているのではなく、私たちよりも孤立した場所に「創造主」の理念を届け、そうした場所の存在たちの研鑽や評価をつのろうとしています。
友であるみなさん、そうした場所を私たちが孤立した場所と呼び、そう見なしているのには理由があります。
それは私たちの視座から見ると、被造物の大部分に行きわたっていると思われる、私たちになじみのある概念から遠く離れて彷徨うことを、そこの住人たちが選んでいるのがわかるからです。
友であるみなさん、私たちは、地球に暮らす人類がその体験や試みにおいて思考的に孤立しており、私たちが広範囲にわたって体験してきた被造物との間で慣れ親しんできた思考から隔絶した状態にあるのに気づいているのです。
私たちは自分たちが携えてきたものを友であるみなさんに早く思い出していただきたいと思っています。
みなさんがみずからの物質的存在の幻影のなかにはびこる状況によって、もしまた窮地に追い込まれるようなことが起きたときはには、みなさんが習得されたことがらを思い出してください。そしてこれほど努力して習得したこをよもや忘れないでください。
みなさんは自分たちの必要や願望を、物理的幻影に属することから、「神」の創造のなかに存在することへと、いつでも変えることができます。
みなさんの目的がこの物理的幻影のなかにある限り、みなさんはこの幻影を支配する法則に従わなければなりません。
もしみなさんが、いま学びつつあることを応用することによって、自分たちの願望を変えることができ、それによって「無限なる一なるもの」の創造へと高められれば、みなさんは自分たちの幻影によって追い込まれた窮地から自分自身を救い出すことのできる、素晴らしい能力を得られるかもしれないのです。
友であるみなさん、地球人類は、創造されたものの真価を知ることに関して非常に近視眼的になっており、自分たちを取り巻く簡素で美しい生命の真意を理解していません。 そして、生命の誕生や再生に対する感謝の気持ちがありません。
人々は、今まさに自分たちが呼吸している大気が、植物たちによる再生のプロセスを通して人類やその他の動物たちの生命維持のために循環されたものであることを学びますが、それでも地上に暮らす大半の人たちは、それが神の営為というより科学技術の運用であるかのように受けとめています。そこには「子供たち」のために、いかなる要望にも応え、完全な環境をもたらそうとする「創造主」の構想に対する気づきがありません。
地球人類は、自分たちの正当な権利であるところの気づきをなくしてしまっているのです。
友であるみなさん、それではなぜみなさんが気づきを失うことになったと思われますか。
それは人類が自分たちの考案したものや発明したものに意識を向けすぎたからです。
そして、自分たちがこしらえたそうしたおもちゃや思いつきのせいで、催眠状態に陥ってしまったからです。人類はその精神においてまだまだ子供なのです。
しかし、そうしたことはすべて案外簡単に修復できるかもしれません。
そうなれば、人類は自分たちの頭が作り上げた幻影でなく、現実の真価を知っている状態にふたたび立ち戻ることができます。
友であるみなさん、それに必要なのは、あなたがた一人ひとりが、瞑想のプロセスを通して現実の真価を味わうことだけです。なぜなら、瞑想のプロセスには、何世紀にもわたって地上にはびこっている幻影のもたらす刺激を絶えず求めてやまない人類の意識的思考を沈静させる力があるからです。
人類は瞑想することで、真に創造されたものから成る現実の価値がふたたび理解できるようになるのです。
友であるみなさん、地球人であるあなたが真の現実を知ろうとするならば、あなたが立ち戻るべきところは、この絶対愛についてのシンプルな思いと、いかなる表現をするいかなる人物であろうとも、すべての兄弟姉妹と完全に統合しようとする思いにほかなりません。なぜなら、それこそがみなさんの「創造主」の始原の思いであるからです。・・・・・
私はみなさんの現時点での思考をモニターすることができます。
みなさんのなかにはそれをプライバシーの侵害であると考える方もいるかもしれませんが、けっしてそうではありません。
地球人類の思考をうかがい知ることができるという私たちの能力は、みなさんの思考や活動をどのようにも侵害することを意図するものではありません。
また、私たちは他者の思考を知ることを侵害であるとは考えません。
なぜなら他者の思考も、自分たちの思考であると見なしているからです。
換言すれば、私たちは他者の思考を「創造主」の思考であると見なしているのです。
友であるみなさん、みなさんは愛や同胞意識的な性質をもつ思考以外は、私たちの「創造主」に属するものではないと思われるかもしれませんが、そのようなことはありません。
創り出される思考はどれも「創造主」によるものですし、生成される物事はどれも「創造主」によるものです。「創造主」はすなわち万物であり、あらゆるところに偏在しています。
存在しているすべての意識、すべての思いは、私たちの「創造主」の意識であり思いなのです。
無数に存在している「創造主」の部分は、ことごとく自由意思をもち、いずれも好きな方法で生成を行います。
「創造主」のすべての部分が、みずからの完全かつ無限の感覚をもって創造されたあらゆるものと交信しているのです。
私たちは「創造主」の考えを変えようとしているのではなく、私たちよりも孤立した場所に「創造主」の理念を届け、そうした場所の存在たちの研鑽や評価をつのろうとしています。
友であるみなさん、そうした場所を私たちが孤立した場所と呼び、そう見なしているのには理由があります。
それは私たちの視座から見ると、被造物の大部分に行きわたっていると思われる、私たちになじみのある概念から遠く離れて彷徨うことを、そこの住人たちが選んでいるのがわかるからです。
友であるみなさん、私たちは、地球に暮らす人類がその体験や試みにおいて思考的に孤立しており、私たちが広範囲にわたって体験してきた被造物との間で慣れ親しんできた思考から隔絶した状態にあるのに気づいているのです。
私たちは自分たちが携えてきたものを友であるみなさんに早く思い出していただきたいと思っています。
みなさんがみずからの物質的存在の幻影のなかにはびこる状況によって、もしまた窮地に追い込まれるようなことが起きたときはには、みなさんが習得されたことがらを思い出してください。そしてこれほど努力して習得したこをよもや忘れないでください。
みなさんは自分たちの必要や願望を、物理的幻影に属することから、「神」の創造のなかに存在することへと、いつでも変えることができます。
みなさんの目的がこの物理的幻影のなかにある限り、みなさんはこの幻影を支配する法則に従わなければなりません。
もしみなさんが、いま学びつつあることを応用することによって、自分たちの願望を変えることができ、それによって「無限なる一なるもの」の創造へと高められれば、みなさんは自分たちの幻影によって追い込まれた窮地から自分自身を救い出すことのできる、素晴らしい能力を得られるかもしれないのです。
友であるみなさん、地球人類は、創造されたものの真価を知ることに関して非常に近視眼的になっており、自分たちを取り巻く簡素で美しい生命の真意を理解していません。 そして、生命の誕生や再生に対する感謝の気持ちがありません。
人々は、今まさに自分たちが呼吸している大気が、植物たちによる再生のプロセスを通して人類やその他の動物たちの生命維持のために循環されたものであることを学びますが、それでも地上に暮らす大半の人たちは、それが神の営為というより科学技術の運用であるかのように受けとめています。そこには「子供たち」のために、いかなる要望にも応え、完全な環境をもたらそうとする「創造主」の構想に対する気づきがありません。
地球人類は、自分たちの正当な権利であるところの気づきをなくしてしまっているのです。
友であるみなさん、それではなぜみなさんが気づきを失うことになったと思われますか。
それは人類が自分たちの考案したものや発明したものに意識を向けすぎたからです。
そして、自分たちがこしらえたそうしたおもちゃや思いつきのせいで、催眠状態に陥ってしまったからです。人類はその精神においてまだまだ子供なのです。
しかし、そうしたことはすべて案外簡単に修復できるかもしれません。
そうなれば、人類は自分たちの頭が作り上げた幻影でなく、現実の真価を知っている状態にふたたび立ち戻ることができます。
友であるみなさん、それに必要なのは、あなたがた一人ひとりが、瞑想のプロセスを通して現実の真価を味わうことだけです。なぜなら、瞑想のプロセスには、何世紀にもわたって地上にはびこっている幻影のもたらす刺激を絶えず求めてやまない人類の意識的思考を沈静させる力があるからです。
人類は瞑想することで、真に創造されたものから成る現実の価値がふたたび理解できるようになるのです。
友であるみなさん、地球人であるあなたが真の現実を知ろうとするならば、あなたが立ち戻るべきところは、この絶対愛についてのシンプルな思いと、いかなる表現をするいかなる人物であろうとも、すべての兄弟姉妹と完全に統合しようとする思いにほかなりません。なぜなら、それこそがみなさんの「創造主」の始原の思いであるからです。・・・・・