makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

角川平成俳壇入選句2016年5月号・秀逸

2016-04-26 | 入選俳句39・それ以降は日記に含まれる

5月号入選句「初乗り」

それも「秀逸」で採っていただいた。

選者先生は「朝妻 力」氏である。

どうも朝妻選者先生とは相性が良いというのか

秀逸入選はざっと数えて以前にも2句採っていただいている。

さて、「初乗り」とは。

「新年になって初めて電車・自動車・船・飛行機などの乗り物に乗ることをいう。

  雪国では、橇に乗ることを橇初め、また漁師や船運業者などが初めて船に乗ることを、

  船乗り初め・舟初め・乗出し・初沖などという。

  新年初めて飛行機に乗ることを初飛行というが、元旦に飛んでいる飛行機のこともいう」

と、角川歳時記には書かれている。

 

さて、句意はというと、

遡ること今から30年ほど前のこと。

年末も押し迫ってからの連日の泊まり込みで母を看取っていた。

病名は、膵臓癌であった。

その時、私には1歳8ヶ月になる娘がいたけれど夫に託してのことだった。

娘が風邪をこじらしていてどうにもならないから、一度家に帰ってこいという夫。

気持ちは判るけれど母の最期を目の前にして夫を叱咤激励せざるおえなかった。

何度もその電話があって娘のことも心配であった。

看護師さんにその旨を話すと娘も一緒に入院させたらどうかと提案をされた。

それなら病室を行ったり来たりも出来るし、ということでもって帰宅をして

荷造りをして娘を伴って入院させようということになった。

 

1週間、病院に閉じこもっていた私はバスに乗った。

病院を一歩出ると朝陽が眩しく目もくらむほどであった。

時は1月2日。

バスの窓から見る景色がやけに眩しくてまともに見ていることも出来なくて膝に目を伏せた。

その膝には母の着替え物が入った紙袋があった。

   

その日は娘を入院させるべく荷物の準備をし、

翌日また迎えに来るからと後ろ髪引かれる思いでまた病院に戻ったのだった。

娘はひどい下痢でふらふらになっていて

1歳8ヶ月で取れていたオムツもまた元に戻っていた。

夫が泪声で電話を掛けてくるのも判らない訳ではなかった。

 

翌日、また娘を迎えに行って夫の車に乗り込もうとした時に電話が鳴り

母が永遠の眠りについたことを知らされた。

母の最期を看取れなかった私・・・。

ナースセンターのすぐ前の看取りの部屋に移った時はそれなりの覚悟はしていたものの

それは私の深い負い目となっている。

今もその負い目は負のままである。

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俳句の事に戻って。

この句、「初乗りや」と一旦切って2句1章にしたけど

今から思うに、

一物仕立てにしたら、推薦になっていたのかしらと^^。

「初乗り(の)膝に看取りの着替へ物」としたらどうなっていたのだろうか。

推薦句に採られている句は確かに一物仕立てが多いのも否めない。