makoの喜怒哀楽

俳句は自分史・転記は禁じます

「とうちゃん、ありがと!」

2020年08月31日 | 日記

♪♪・・・雨がやんだら

 

この絵を描いてくださったのは、茨木祥之さんと言う方です。

私が書いたエッセイを基に書いてくだったもの。

家族全員の写った写真の話が出てきて、それを基に想像して描いてくださったのです。実際の写真とは立ち位置も着ているものも違います。そんな中、一か所だけ全く本物の写真と同じ箇所があります。

その前に、この絵の中のどこに私がいると思われるでしょうか  ^^?

 

真っすぐに前を見据えている女の子がいますね、それが私なんです   ^^;

そこだけが全く一緒なんです。ストーリーの内容から想像して書いてくださったと言えども、私だけをカメラ目線で描いてくださっているんですね^^v

凄いですね、感謝します。

本物の写真も真っすぐに前を見据えてカメラ目線でいるのは私だけなんです。もう60年も前に遡る写真。この時のことをはっきりと憶えています。この写真を撮ったのも父でした。この時代に貧しい我が家にカメラなんてあろうはずがありません。友達に借りてきたと言っていたような。

茶色い縦長のカメラで丸く銀色の窓のようなものが二つついていたような記憶。三脚にもセッティングしていました。見たこともなかったその機械に、何が始まるのかと興味深々でした。

撮った場所は、「裏のばあちゃん」と呼んでいた親戚の人の家の前でした。後にはガラスの引き戸の建具が写っています。何で自分の家で撮らなかった?・・。私には今になって判りますが。余命幾ばくも無い母と知った父は最初で最後の家族写真を撮ったのでした。母は痩せて顎が尖っています。鼻筋の通った母の面影を残しているのはこの私。と思っていたし、母の姉たちも私を見ていうのでした。が、今となっては父似かなとも^^;  低いことはないのですが、鼻筋は通っていないと思うのです  ^^;

それはさておき、この写真は父が妹に持たせて、渡米していきました。エッセイの中にもそのことは書いています。

で、最近、その写真が私の手元にもあることになったのでした。今の写真の技術は凄いですね。父が持たせた折にはセピア色のモノクロでしたが、今、私の手元にあるのは白黒のはっきりした写真です。

ここに載せたいのですが、私の一存では載せることもできないので、冒頭の茨木先生の絵で想像ができるでしょうか^^?  そう、真っすぐにカメラ目線の私がそこにいます。

それはもう直ぐに母の命の灯が消えてしまうことも、これから私たち家族に起こることも受けて止めることのできる芯の強い私がいたようです。父は遠い目をしています。

そうです、今では客観的にその写真をみることができるようになっています。

妹の手元にあったその写真、つい最近その同じものを持つことになったのでした。そのいきさつは、多分、弟が書いて欲しいと思っているに違いありません。が、今日はここまで。

父が残したたった1枚の家族写真があったからこそ、私はエッセイを書く気持ちになり、入選させていただき、しがない家族の歴史が世にでました。そしてそれは徳島のある中学の「朝読」と言う授業で使っていただくことにもなりました。

 

さてさて、昨日のおやつ。ルバンビスケットに梨のジャムをトッピング。ルバンが美味しいですね。

 

また今朝は饂飩を柚子ドレでいただきました。この柚子ドレが良いお仕事をしています。

 

さあ、今朝は爽やかな朝となりました。

父の写真とは全然意味の違うものですが、今日はここらでちょいと久しぶりにカメラ散策してきましょ。

「父ちゃん、ありがと」  ^^!

私は生きています。