◎2018年5月12日(土)
養沢神社先駐車地(6:20)……809m標高点付近(7:31~7:36)……高岩山(7:56~8:12)……展望台(8:40~8:44)……上高岩山(8:47)……芥場峠(8:58)……大岳山(9:39~9:57)……鍋割山(10:39~10:48)……奥の院(11:01~11:05)……武蔵御嶽神社(11:42~11:54)……日の出山(12:36~13:09)……林道合流(13:54~13:59)……駐車地(14:22)
奥多摩は自分にはあまり似合わない山域だ。秩父側から奥多摩の山をかすめ歩くことはあるが、東京側から入ることは滅多にない。埼玉でも都心寄りに住んでいる頃にはよく行った。結婚する前のことだ。群馬に引っこんだら億劫になった。静かな山を楽しみたくて歩いているのに、今さら、わざわざ人混みの山に行ってもしょうがないだろう。だから積極的には行かない、自分には似合わない山域ということになる。
ただ、以前から、サルギ尾根だけは歩いてみたいと思っていた。昭文社マップでは今は実線ルートになっているが、以前は破線ルートで、登山口までは車でも行きやすく、歩くハイカーもあまりいないだろうと思っていたからなのだが、それもしばらく忘れていた。
最近、浅田次郎の『神坐す山の物語』を文庫本で読んだ。浅田の母親の実家が御嶽神社の神官で、宿坊も営んでいたようで、その浅田本人の、行き来していた少年期の体験を元に書いた小説だ。ヘタな感想と筋書きは避けるが、その、舞台となっている御岳山の仙境の雰囲気を味わいたくなったというわけだ。余計なことだが、この本はお薦め。双葉文庫。
御岳山はケーブルカーで行ける山といった程度のことしか知らない。ここでサルギ尾根のことを久しぶりに思い出した。新しいマップを買ったら実線になっていたことをここで知る。正直のところちょっとがっかりした。すでに一般ルートになっているようだ。
それはともかく、サルギ尾根を使って大岳山に登り、それから御岳山に行く。余力があれば日の出山にも寄ってみようか。奥多摩の山の事情には疎い。大変かなとは思ったが、日の出山どころではない余裕になっていたら、七代の滝でも見て林道を下ることにする。
ちなみに、後で知ったことだが、このサルギ尾根コース、かつては破線ルートだったため、それなりに厳しいコースかと思っていたが、吉備人出版の『奥多摩登山詳細図(東編)』には、あっさりと「一般向」と記されている。この『詳細図』、見開きの新聞紙面以上の大きさで携行にはかなり不便だ。昭文社マップだけで十分だったが、地形図以外に、念のため『詳細図』の御岳山周辺だけをコピーして持参した。
駐車地にはネットで事前に調べていたので迷うことなく着いた。養沢神社手前で左の林道大岳線に入ってすぐの右。5~6台のスペースがある。車はなかった。ここまで養沢川に入る釣り人をかなり見かけていて、もしかすると空きスペースがないのではと心配していた。上流沢の釣り人もさることながら、整備して実線にはなっても、サルギ尾根を登るハイカーもあまりいないのだろう。
(養沢神社。右脇から入り、後ろの尾根を登る)
(すぐそこから植林帯になっている)
(杉の植林の中)
車道に出て大岳橋を渡って神社に入る。今日は無事にと手を合わす。大正四年の創立だから、さほどに古くはない。神社見物は帰ってからにしよう。神社の脇に高岩山方面への標識があり、それに従う。その上には「上高岩山方面3km」の標識。何で「高岩山」ではなく「上高岩山」なのか不思議なところ。地形図には高岩山はあっても上高岩山の山名は記されていない。
登り出しから急な尾根だった。見上げると、その先は杉の植林が続いている。早々に気が滅入る。植林の中を何も考えずにひたすらに登る。道はしっかりしていて標識もある。標識にはかじられたか砕かれたような跡が付いている。登山口にも注意看板が置かれていたが、クマの目撃情報があるようだ。クマを見ずともにこれを見ればいることはわかる。
登りがずっと続く。少しは緩くなったが、途中からストックを一本、杖にして歩いている。景色もなく、ただ黙々と。
(大名子ノ頭)
歩き出しから35分後にちょっとした平らなところに出た。山名板のようなのが高いところにあり、「大名子ノ頭656m」と書かれている。地形図にそんな標高点はない。この「子」とは「ネ」なのか「コ」なのか。帰ってから調べると「オオナコノアタマ」だそうだ。板は最近の設置のようで、杉の樹の3mほどの高さのところに針金で結わえてあるが、地元の方がハシゴを担いで設置したとしか考えられない。クマなら簡単に登って行けそうな気もするが。ここから尾根は西に向かい、歩行もかなり楽になった。汗もかいたので、途中でシャツ一枚になる。
(炭焼き窯跡)
(岩場が続く)
(標高809mピーク)
登り返すと、岩がゴツゴツし出し、自然林が混じったりするが、主役はあくまでも杉だ。平らなところに、これもまた真新しい「炭焼き窯跡」の標識が置かれている。つい、石で築いた窯を想像するが、ここのは地面を掘って石積みにしている。別に炭焼き跡は珍しくも何ともないが、標識が置かれるくらいだから、東京の山中では珍しいのだろう。
また急になった。今度は自然林と半々だ。地形図を見ると、809m手前から南側がガケ状になっている。そのためか、尖った岩がゴロゴロ出てくる。コースは最初はそれを避けて付けられているが、やがては吸収され、岩の間を登るようになる。危険はない。登りきると標高809m地点に着いた。
(左が御岳山、右が日の出山だろう)
(こんなのを見て)
ここには木材を使ったベンチが置かれている。ここで休憩。少し展望が利き出し、北側に見える山は御岳山のようだ。ということは、その右に見えるのは日の出山ということになるのか。御岳山の山頂はなぜかチョボチョボとなっていて、何でああなのかちょっと不思議。人工的な刈り込みにも見える。あそこに御嶽神社があることはまだ知らない。
杉の植林は消えた。同時に左の展望も利くようになった。大きなピークがいくつか目に入ってくる。大岳山は位置的に右端だろうか。だとすれば、樹の陰になって、良く見えない。
(馬頭刈尾根。大岳山は右端に見えるはずだが、ここからではまだすっきりしない)
(高岩山)
尾根が少し細くなって、また岩ゴロ。周囲は新緑になって、咲き遅れのツツジがチラホラ目に入る。ようやく明るい気分の歩きになったなと思ったところで、南側が開けた高岩山に到着した。
休憩して、菓子パンを食べ、初めての一服。ここまで出発から1時間35分か。足取りは重くはなかったから、20分ほどの貯金はできたろうと昭文社マップを見る。えっ、1時間20分?! ウソだろ。これじゃ15分借金になってしまう。ましてこの1時間20分とはGBタイムだろう。いくら何でも、そこまで焼きが回ってはいないつもりだ。念のため『詳細図』で確認する。やはりなぁ。2時間30分とあった。これはかかり過ぎのタイムだとは思うが、自分としてはこちらを標準タイムとして選びたい。しかし、同じところを歩いて、何でこう1時間10分も違うんだ? 昭文社は地元の足慣れた青年に歩かせたのだろう、が想定できる結論。
(ここで大岳山)
自分都合に解釈し、落胆から気を転じてまだまだGに至ってはいないわぃと思うことにした。ここで、大岳山らしき姿の全容が見えた。左にコブが見えるけど、あれが山頂だろうか。その延長の左はずっとなだらかな尾根になっている。さっきまで見えていたいくつかのピークは馬頭刈尾根の延長にあるピークだったようだ。この尾根もいいが、あの尾根を歩くのもまた良さげだ。
陽射しが強くなってきた。メガネをサングラスに変える。出がけに見たネットの天気予報では、この辺はずっと雲量が90%超えになっていた。だから、はなから大岳山からの富士山見は期待もしていない。青空も覗いている。これでは、もしかすると富士山を見られるかも。そんな淡い期待も生まれたが、元からこのサルギ尾根を歩いて大岳山に行くのははあくまでもついでだ。本望は御岳山にあったから、さほどに今日のところはというか、奥多摩からの富士山に期待はしないで来ている。
(サルギ尾根はここで左からの尾根に合流する)
(鉄骨の休憩舎)
どんどん下る。これまでの苦労が水の泡かといった気分になった。70~80mほど下って鞍部。そして登り返し。これがまたつらい。プロトレックの高度標示を見ながら、高岩山の標高に戻り、さらにオーバーになってようやくほっとした。左からの尾根が合流して、それに乗る。南に922m標高点のある尾根だ。つまりは、正確にいえば、サルギ尾根はここで終了ということだろう。ここには直角になった標識があるだけで、922m方向は倒木で進路をふさいでいる。
進路を北西に変えて登って行くと、目の前に赤い鉄骨が見えた。がっかりしたのは当然だ。回り込むと、神社かなと思っていたのは東屋のような休憩舎だった。むしろびっくりしたのは、反対の向こう側から歩いて来たオジサンとほぼ同時に着いたことだった。まして、ここまでだれとも会ってはいない。
(展望台から大岳山)
(都心方面。手前が御岳山と日の出山。視界が良い日は相模湾が見えるらしい)
休憩舎は展望台だった。オジサンに声をかける。地元の方、つまりは東京人のようで、よくこちらにいらっしゃるようだ。こちらが反対側から来たから、すぐにサルギ尾根から登って来たとわかったらしい。サルギ尾根はきつかったでしょうと言われる。どちらからですか?と尋ねると、養沢神社のさらに先の林道から登って来たとのこと。地理には不案内なので詳しいことは聞かなかったが、後で地図を見ると、どうも林道御岳線の終点から七代の滝を経由して上高岩山に至る破線路があるから、そのルートなのかなと思ったりしている。
せっかく休もうとしたのに、相方がいたのでは、ついこちらは立ち話スタイルになる。オジサンはここの展望台がお好きなようで、ベンチに腰掛け、いつもならここからスカイツリーと相模湾が見える。今日はダメだなとおっしゃる。ということは、この板張りの屋根付きの展望台にテントを張って、東京の夜景を見ながら酒を飲むというのも一興か。この展望台の利用者は滅多にはいないだろう。贅沢な夜を過ごせるかもしれない。ついでに、見える範囲の山の名前を聞く、大岳山はやはりアレだった。これからどちらに? と伺うと、大岳山から御岳山を回ってお帰りとのこと。では、大岳山でまたお会いしましょうと言って別れたが、もう会うことはなかった。この間、オジサンの視線はこちらの足元にチラチラと向いていた。後で思うと何ということはない。こちらの足が地下タビだったからだ。
(ちょっと登って)
(上高岩山山頂)
上高岩山はすぐそこだよとオジサンはおっしゃっていたが、確かに、すぐにロックガーデンの分岐標識10歩ほど先、ピークらしからぬ小高いところに上高岩山の山名板がひっそりとあった。
(上高岩山を下ると、標識がやたらと増えてくる。行き先は同じだが、経由が違っていたりで、その都度に地図を確認しないと遠回りになってしまう)
(芥場峠)
ようやく大岳山のエリアに入ったようだ。先で尾根道と巻き道が分岐する。ここは余計な歩きはしない方が良いだろうと巻き道を選ぶが、尾根上を見ながら歩いても大した標高差があるわけでもないようで、すぐに先で合流した。
ここまではまだ静かな山歩きだった。実際に会ったのは展望台で鉢合わせのオジサンだけだったし。だが、ここからが事情が変わってくる。オジサンに大岳山に行くのは初めてだと言うと、大岳山は人が多いよ。この時間ならまだ少ないけどとおっしゃっていた。間もなく、前方右手からハイキングコースが合流するところに5~6人のハイカーがたむろしている姿が見えた。マップを見ると、ここは綾広の滝方面からの道が合流するところだ。ということは、ここが芥場峠というところか。まだ9時前とはいっても、どうも、早いとこ大岳山に登って御岳山に行った方が賢明のようだ。後で調べると、ケーブルの始発は7時半。ちょうど、そんなタイミングだったのかもしれない。人出が多くなるのはこれからの時間帯だったようだ。ハイカーが上がって来た方向の標識には、「ロックガーデン 御岳山」とある。帰路はこちらを下ってもいいが、今のところ、この先から鍋割山に登ってみたい。
(明瞭な道が続いている)
(そして岩場の道)
(大岳山荘)
鍋割山分岐を過ぎる。林道状ではないが、しっかりと踏み固められた道が続いている。何人かのハイカーを抜く。クネクネ道になっている。どうも、このハイキングコースは岩場状の尾根を巻きながら山頂に至る道になっているようだ。岩場が出てくる。クサリも現れる。つかむほどのレベルではない。やがて岩の間を通るようになる。もう下って来るハイカーも数人。岩が消えると、左手に山小屋が見えてくる。あれが休業中の大岳山荘のようだ。
(大岳神社)
(ずっと巻き道状になっている)
(岩場を上から見下ろす。実際はそれほどでもない)
(終わりかけのツツジ)
(大岳山山頂はそこだ)
杉の巨木が目立つようになって、右手に鳥居。奥には人の気のない神社。大岳神社か。ここは昼のうちはよいが、夜に一人で歩くには恐い感じになるだろう。後で思うに、『神坐す山の物語』の風景は、御岳山よりもこちらのイメージの方が似合っている感じがする。
再び現れた岩の道を登って行く。そろそろ疲れたなと思っているところで大岳山の山頂に出た。ハイカーの姿は6~7人か。まだ空いている。すぐに目についたのは富士山の姿だった。期待していなかっただけに正直うれしかった。サルギ尾根登りへのご褒美といったところだろうか。山梨あたりから見る富士山に比べると一回り小さく、従える山並みの景色もさほどのものではないが、満足して、あちこちから写真を撮る。
(大岳山山頂)
(山頂から富士山)
(少しアップで。雪の部分が大分少なくなった)
(ハイカーが増えてくる)
富士山に無心状態になっていたら、知らぬ間にハイカーは増え、10人以上になっていた。石に腰かけてチョコレートを食べ、離れたところに行って一服する。ここからの風景、南側は開けているが都心方向の東側は木立でふさがれている。その点がちょっと残念だ。
(大岳神社の狛犬。まさにコマ犬といった感じだ。ハイトスさんのレポではウリ坊と犬を足して2で割った感じと記されている)
(戻った分岐を鍋割山に向かう)
(鍋割山山頂。何もなし)
ハイカーも増えてきたのでそろそろ下山する。グッドタイミングで山頂に滞在できた。途中、大岳神社を見物。説明板もなくそっけない神社だが、狛犬が特徴的だった。これはオオカミだろう。ここもまた御嶽神社同様に「おいぬさま」信仰なのかもしれない。
コンニチワの繰り返しになってきた。大方は愛想も良いが、無辺も数人いる。分岐から鍋割山に向かうと、ハイカーは一気に少なくなり、さらにその先の分岐からはだれにも会わずに鍋割山に到着。標識があるだけの、ヒノキの植林の中の山頂。ここで休憩して一服。だれもいないからタバコも気兼ねなく吸える。
次第に位置関係がややこしくなって、地図を見てもどこを辿れば御岳山に行けるのかよくわからない。標識は、この先、「奥ノ院・御岳山(長尾平)」となっている。地図を見る限りは、どこを歩いても御嶽神社には行けるようだが、御嶽神社=御岳山なのか? とにかく、目先らしい奥ノ院を目指そう。
(ここが奥ノ院かと思ったが、正確には奥ノ院上のピーク)
(奥ノ院)
(途中で。チョボチョボの御岳山はすぐそこだ。ここからだと見下ろす形になる)
各方面からいろいろな道が交差する。その都度に標識はあるが、奥ノ院だけを追う。歩くハイカーは少ない。ここもまた岩ゴロ地帯を登って行くと、石祠があるだけの山頂に着いた。オバチャンが二人休んでいる。この先の標識はあったが、標識のない方向に下る道もあり、オバチャンに「この道は先でそっちに下る道と合流するのですか?」と聞くと、キョトンとしている。どうも「合流」の意味がおわかりでないらしく、言葉を変えて「合わさるのですか?」と聞くと、そうだとのこと。だったら、わざわざ標識のない道に入ることもないので、標識に合わせて下ると、すぐに神社。これが奥ノ院ということらしい。建て替えの神社で、たいした感慨はない。
(太い杉が続く)
(天狗の腰掛け杉)
(食い物か飲み物を買い求める行列)
御岳山方面の標識に合わせて下る。太い杉の樹が連なってくる。樹にはそれぞれに番号札が打ち付けられている。
鳥居が見えた。そして巨木を撮影しているハイカーが多数。何かと思ったら、「天狗の腰掛け杉」とあった。静けさを選ぶことができたこの辺りまではまだよかった。
そろそろ自分が場違いな所に迷い込んでいる気分になってきた。道を歩いて行くと、店先に列ができている。甘酒の幟が出ているが名物なのだろう。どこを歩いても、人、人、人。さらにやたらと犬連れが目に付く。山の中にいる気がまったくしないし、仙境の雰囲気からは程遠い。地下足袋スタイルで歩いている自分はかなり異色の存在のようだ。さりとて、周りは自分のことに夢中で、他人を見ているような人はいない。学生時代、東京で一人暮らしをして覚えた都会の孤独。それがここに蘇ると記したら大げさか。逃げ出したくなったが、御嶽神社だけでも見ておきたい。
(ここを上がればよかったのに、前のハイカーにくっついて右に行くと)
(石段を登ることになった)
道を間違え、遠回りして御嶽神社に出た。ここはむしろハイカーは少なく、行楽客が圧倒している。犬連れが多く、中にはチワワを抱いて神社に詣でる姿も見てしまう。おいぬさまのご利益があるのだろうが、ケーブルカーは犬同乗も可能なのだろうか。中国語の大声も聞こえる。喧噪の世界だ。ここの神社も古さは感じない。東京を眼下に眺めるが、雲が大分増えてきて、視界は悪い。せいぜい八王子までくらいの視界だろう。
(御嶽神社)
(獅子のような)
(このでかい犬、ケーブルに乗せてきたのだろうか。こんな犬を飼える東京人は暮らし向きが豊かな家だと思うよ)
(ではオサラバ)
(まるで里の門前のようだ)
(これで浅田次郎の世界を夢想するには無理がある)
(チョボチョボを振り返る)
ささっとお参りを済ませ、喫煙所に行って、石に腰かける。これで今日の用事は済んだ。御岳山とはこういう山だったのか。『神坐す山の物語』の世界とはえらく違うものだ。地元の金山に登って新田神社にお参りしている方が、自分にはまだ見合っている。
日の出山に逃げることにする。神代檜を見て、売店通りを抜ける。呼び込みに声をかけられる。つい、その匂いからしてソバでも食べたくなったが、ここはこらえる。きっと後悔する。
(日の出山に向かう)
(こちらにも鳥居が)
騒音からようやく抜けたが、何だこの道は。山道とは思えない。軽トラなら通れるくらいの幅があって、地面は平らになっている。御岳山の延長だからこんなものだろう。それでも、視界に入るハイカーはさほどではない。さっきまでの御岳山を思えば、静かな山だ。
鳥居が見えた。御嶽神社の鳥居だろうと思ったら、やはりそうだった。つまり、御嶽神社は出雲大社同様に、神々が集まるところであり、鳥居もまた、四方八方に置かれるものなのだろう。古来の信仰の道も、あちこちから御嶽神社につながっているということだ。
関東ふれあい道の標識があった。「日の出山0.8km 上養沢バス停4.1km」とある。その先にはまた上養沢バス停、金比羅山への巻き道ルートの分岐標識。自分は上養沢バス停を目指せばいいのだが、ここまで来たなら、日の出山に行く。
(階段を登っていくと)
(シャクナゲや)
(ツツジを見てというか、前のハイカーに追いつきそうになったので時間つぶし)
階段を登って行くと岩ゴロになった。青梅市と日の出町の境の標識を過ぎる。ハイカーの姿はまばらだ。シャクナゲやら、よく知らない花が咲き誇っているのを右に見る。風景は、登っているのに、山から下りて、里を歩いている感じになった。嫌な予感がした。
(日の出山に到着)
石段を登って着いた日の出山の山頂はハイカーで賑やかだった。ざっと50人はいる。さすがに犬はいない。東屋の中には座れるスペースがない。日の出山というのは、そんなに人気の山だったのか。知らなかった。桐生でいえば吾妻山、太田の金山といったところか。安心してタバコを吸えるようなところはないし、煙が立っているのも見えない。
(都心方面は雲の量が多くなって、八王子すら見えていないかも)
御岳山よりはまだマシと、山頂を回って、景色を眺める。展望盤も置かれているくらいだから、眺望は良い。都心は相変わらず見えない。御岳山の方を眺める。ここからも山頂がチョボチョボに見える。目を凝らすと、チョボチョボの下に神社の屋根が見えた。やはり、御嶽神社=御岳山だったのか。奥多摩の山は一望のようだが、こちらに知識はない。まして富士山が見えるところでもない。おにぎりを食べてここも早々に退散か。石に腰かける。
(まぁ、こんな状態で)
(東屋の方はこれだ。都民の山といった感じ)
あれは何山かしら? 隣で女性の声がした。それに応える声はない。ふと横を見ると、オバチャンの一人歩きだった。つぶやきか。あっちは丹沢の方ですよ。そして、地図を広げ、展望盤まで行って確認して、あの山は生藤山ですねと教える。一人者どうし、何だか、いろいろと話をした。オバチャンは二俣尾駅から歩いて来たそうだ。自分が歩いて来たコースを地図で説明した。地下タビに興味を持ったようなので、裏を見せもした。
オバチャンはつるつる温泉に寄って、五日市駅に出たいとおっしゃる。その時は、ここからつるつる温泉に下るコースがあるのも、別路線のバスが通っているのも知らなかった。だから、上養沢バス停まで下りて、後はバスで行くしかないと思いますよ。ただ、バスはそんなに本数はないでしょうねと答える。つるつる温泉は、来る途中で見た看板で知ってはいた。携帯でバス時刻を調べようとしたが、微妙な位置でネットは受信できない。オバチャンのご要望に合わせると、つまりは、一緒に下って、つるつる温泉に送って行くことになる。それをやったら微妙な立場になる。最後は、オレもつるつる温泉に入って、五日市駅まで送る形にならないか。これは気の回し過ぎというものだが、思考はそこまで飛躍した。それは避けねばと、「御岳山に行って、ケーブルを使って御嶽駅に出た方が無難じゃないですか」と促した。「その方がいいかもね」とオバチャン。
オバチャンと別れて、上養沢バス停の標識に従って下ろうとしたら、すぐ上に「金比羅尾根・つるつる温泉」の記載があった。この先で分岐するようだ。こりゃまずいと振り返ると、すでにオバチャンの姿はなかった。知りもしないで余計なことを言ってしまった。だが、あのオバチャン、日の出山はよくダンナさんと来ていたとのことだったから、知っていて知らぬふりをしていたのなら、こちらが内心笑われていたということになる。
(日の出山からの下りで)
(手前から御岳山、奥ノ院ピーク、大岳山、馬頭刈尾根だろう)
(ここは横の行列でも歩けそうだ。ちなみに「関東ふれあい道」)
やけに道幅が広い階段を下って行く。「三室山3.3km・二俣尾駅6.3km」の分岐標識が現れた。マップを見る。アタゴ尾根とある。さっきのオバチャンはここを登って来たのか。ということは、山頂下でつるつる温泉の標識も目にしていたわけだ。だからつるつる温泉に寄ってと言ったのか。自分の一人相撲にあきれてしまった。
(こちらも分岐だらけ)
(あれは、金比羅尾根の麻生山だろうか。この先で上養沢分岐になる。しかし、電信柱があるんだよねぇ)
この先でつるつる温泉道は本道になり、上養沢バス停に下る道が分岐する。その先にも分岐があった。やたらとハイキングコースが入り交っている。地理に不案内で地図を持っていても役立たず。標識に注意しないとおかしなところに出てしまいそうだ。最後の分岐の本道は金比羅尾根コースだった。また、ここからでも御岳山への直通ルートがあるようだ。標識に書かれた「白岩の滝」が気になった。ここまで来ると、いずれのコースも静かな山道風情になっている。
(これでも、ここまでの道に比べたら細い)
(上養沢バス停への下り)
(こんなところの歩きだ。必然的に沢が出てくる)
(そして、鳥も寄りつかない感じの巣箱)
最終的に上養沢バス停に下る道は、普通の貧相な登山道になった。もうハイカーの姿は消えた。杉の植林帯をどんどん下る。そして定番で沢が出てくる。こんなところの水の付いた平たい石はスパ地下では結構滑るんだよな。注意しないとなと思っていた矢先で滑って尻もちをつく。
ほぼなだらかになったところに手書きの古い案内板がある。ここには養沢鍾乳洞というのがあるらしく、現在閉鎖中とのこと。マップを見ると、他に大岳鍾乳洞というのが記載され、養沢鍾乳洞は「養沢鍾乳洞跡」となっている。
植林がまだ続いている。たまにベンチを目にする。これに腰掛けたら尻が汚れそうだ。そして、巣箱があちこちに置かれてある。この道は以前ははやったのだろう。今は歩く人はさほどにいないようだ。ここまで木の橋をいくつか見かけていたが、それがコンクリートの橋になり、上に車が見えた。林道に出たようだ。
(林道に出る)
(林道歩き。車がすれ違えないような狭いところはなかった)
この林道、先は「七代の滝」の標識がある。やはり、展望台のオジサンはここかこの先に車を置いて歩いたのだろう。車は3台ある。石に腰掛けてタバコを吸っていると、人の気配がする。車に戻ってきた釣り人だった。あきるの市役所からの手書きの連絡書が貼られている。山の栗が不作で、クマが里に下りて来るかもしれませんとある。
(弘化年号の石碑)
さて、もう帰るか。林道を下る。この林道、舗装されていて、スパ地下の足には痛い。端の木クズや葉の堆積したところを歩く。車がやって来ては戻っていく。「御嶽道」と記された石碑があった。弘化四年物。幕末に近いか。この御嶽道、下ってきた道ではなく、おそらく七代の滝経由で御岳山に出るのだろう。
(行けない神社跡。手前に柵と川がある。橋はない。お札が道路沿いに置かれていた)
(サルギ尾根)
地図を見ると、川を挟んだ左側に鳥居マークがあったので、その神社に立ち寄るつもりでいたが、川を渡る術がなく、そこには石灯籠が数基置かれているのが見えただけだった。
里に入った。ふれあい道の案内板と上養沢のバス停があった。日の出山から今下って来た道は「杉の木陰の道」というらしい。御嶽神社から表参道を下って御嶽駅に出るコースのようだ。あの神社に集まる人たちを見る限り、わざわざ表参道を歩く人は少ないのではないか。
バス時刻を見た。ここは始発だ。東京では田舎の地ではあっても、五日市駅行きが一日9便もあった。余計なこととは思ったが、ネットで調べるとつるつる温泉からだと16便だ。この時間だと、40分も待てばバスに乗れる。養沢神社の探索でもしていれば時間つぶしにもなる。オバチャンのことで取り越し苦労をするまでもなかった。
(道々で1)
(道々で2)
(養沢神社の鳥居)
(龍だろうな)
道沿いには石仏やら石碑。これも信仰の道の遺物だろう。養沢神社を改めて見物する。特別な神社でもないようだが、普通の狛犬とは別につがいの龍の置物がある。これは珍しい。後で知ったことだが、「養沢」の地名は、日本武尊が東征の際、この地で静養し、病が癒されたことに拠るらしい。これと龍の像がどう関係するのかはわからない。
(ちんまりのかわいい感じのトイレットだったが…)
(駐車地)
神社前に見た目はかわいいトイレがあった。入ってみたが使わずにすぐに出た。獰猛な臭いがするペーパーもない地獄溜め便所だった。
駐車地に戻った。他に車はなく、増減は朝のまま。ここは木陰になっていて涼しいが、ちょっと湿っぽいところだ。汗もかいた。つるつる温泉にでも寄りたいところだが、下着を替えたらその気もなくなり、あの日の出山の混雑では風呂屋も混んでいるだろうと、体の良い理由ができたことを喜んだ。
サルギ尾根はともかく、大岳山から御岳山(御嶽神社)を経由して日の出山まで歩くのは実際にはさほどのものではなかった。むしろ、肝心の御岳山と日の出山は行かずとも良かったかな、自分が来る山ではなかったようだといった軽い残念な思いもある。そんなことも、自分の足で歩いてみないことにはわからない。登る以前の批判、講評は無責任だと思っている。だが、大岳山はともかく、神々しさのかけらも感じなかった御岳山には二度と行くことはあるまい。そして、浅田次郎の書いた御岳山の世界は昭和三十年代前半期のことで、求めた雰囲気は人混みの中で歩く限りはすでにないといったところだろう。まぁ、くどくど言わずに、自分には似合わない山だったが、良い経験をしたということにしておこう。
だからといって御岳山を一概に奥多摩の代表の山にして批判するわけにもいかない。御岳山と日の出山がたまたまそうだったということで、他の山々もまた、コース取り次第では静かな探索もできるだろう。次に歩く時には、そういった面から歩いてみたいと思っている。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
養沢神社先駐車地(6:20)……809m標高点付近(7:31~7:36)……高岩山(7:56~8:12)……展望台(8:40~8:44)……上高岩山(8:47)……芥場峠(8:58)……大岳山(9:39~9:57)……鍋割山(10:39~10:48)……奥の院(11:01~11:05)……武蔵御嶽神社(11:42~11:54)……日の出山(12:36~13:09)……林道合流(13:54~13:59)……駐車地(14:22)
奥多摩は自分にはあまり似合わない山域だ。秩父側から奥多摩の山をかすめ歩くことはあるが、東京側から入ることは滅多にない。埼玉でも都心寄りに住んでいる頃にはよく行った。結婚する前のことだ。群馬に引っこんだら億劫になった。静かな山を楽しみたくて歩いているのに、今さら、わざわざ人混みの山に行ってもしょうがないだろう。だから積極的には行かない、自分には似合わない山域ということになる。
ただ、以前から、サルギ尾根だけは歩いてみたいと思っていた。昭文社マップでは今は実線ルートになっているが、以前は破線ルートで、登山口までは車でも行きやすく、歩くハイカーもあまりいないだろうと思っていたからなのだが、それもしばらく忘れていた。
最近、浅田次郎の『神坐す山の物語』を文庫本で読んだ。浅田の母親の実家が御嶽神社の神官で、宿坊も営んでいたようで、その浅田本人の、行き来していた少年期の体験を元に書いた小説だ。ヘタな感想と筋書きは避けるが、その、舞台となっている御岳山の仙境の雰囲気を味わいたくなったというわけだ。余計なことだが、この本はお薦め。双葉文庫。
御岳山はケーブルカーで行ける山といった程度のことしか知らない。ここでサルギ尾根のことを久しぶりに思い出した。新しいマップを買ったら実線になっていたことをここで知る。正直のところちょっとがっかりした。すでに一般ルートになっているようだ。
それはともかく、サルギ尾根を使って大岳山に登り、それから御岳山に行く。余力があれば日の出山にも寄ってみようか。奥多摩の山の事情には疎い。大変かなとは思ったが、日の出山どころではない余裕になっていたら、七代の滝でも見て林道を下ることにする。
ちなみに、後で知ったことだが、このサルギ尾根コース、かつては破線ルートだったため、それなりに厳しいコースかと思っていたが、吉備人出版の『奥多摩登山詳細図(東編)』には、あっさりと「一般向」と記されている。この『詳細図』、見開きの新聞紙面以上の大きさで携行にはかなり不便だ。昭文社マップだけで十分だったが、地形図以外に、念のため『詳細図』の御岳山周辺だけをコピーして持参した。
駐車地にはネットで事前に調べていたので迷うことなく着いた。養沢神社手前で左の林道大岳線に入ってすぐの右。5~6台のスペースがある。車はなかった。ここまで養沢川に入る釣り人をかなり見かけていて、もしかすると空きスペースがないのではと心配していた。上流沢の釣り人もさることながら、整備して実線にはなっても、サルギ尾根を登るハイカーもあまりいないのだろう。
(養沢神社。右脇から入り、後ろの尾根を登る)
(すぐそこから植林帯になっている)
(杉の植林の中)
車道に出て大岳橋を渡って神社に入る。今日は無事にと手を合わす。大正四年の創立だから、さほどに古くはない。神社見物は帰ってからにしよう。神社の脇に高岩山方面への標識があり、それに従う。その上には「上高岩山方面3km」の標識。何で「高岩山」ではなく「上高岩山」なのか不思議なところ。地形図には高岩山はあっても上高岩山の山名は記されていない。
登り出しから急な尾根だった。見上げると、その先は杉の植林が続いている。早々に気が滅入る。植林の中を何も考えずにひたすらに登る。道はしっかりしていて標識もある。標識にはかじられたか砕かれたような跡が付いている。登山口にも注意看板が置かれていたが、クマの目撃情報があるようだ。クマを見ずともにこれを見ればいることはわかる。
登りがずっと続く。少しは緩くなったが、途中からストックを一本、杖にして歩いている。景色もなく、ただ黙々と。
(大名子ノ頭)
歩き出しから35分後にちょっとした平らなところに出た。山名板のようなのが高いところにあり、「大名子ノ頭656m」と書かれている。地形図にそんな標高点はない。この「子」とは「ネ」なのか「コ」なのか。帰ってから調べると「オオナコノアタマ」だそうだ。板は最近の設置のようで、杉の樹の3mほどの高さのところに針金で結わえてあるが、地元の方がハシゴを担いで設置したとしか考えられない。クマなら簡単に登って行けそうな気もするが。ここから尾根は西に向かい、歩行もかなり楽になった。汗もかいたので、途中でシャツ一枚になる。
(炭焼き窯跡)
(岩場が続く)
(標高809mピーク)
登り返すと、岩がゴツゴツし出し、自然林が混じったりするが、主役はあくまでも杉だ。平らなところに、これもまた真新しい「炭焼き窯跡」の標識が置かれている。つい、石で築いた窯を想像するが、ここのは地面を掘って石積みにしている。別に炭焼き跡は珍しくも何ともないが、標識が置かれるくらいだから、東京の山中では珍しいのだろう。
また急になった。今度は自然林と半々だ。地形図を見ると、809m手前から南側がガケ状になっている。そのためか、尖った岩がゴロゴロ出てくる。コースは最初はそれを避けて付けられているが、やがては吸収され、岩の間を登るようになる。危険はない。登りきると標高809m地点に着いた。
(左が御岳山、右が日の出山だろう)
(こんなのを見て)
ここには木材を使ったベンチが置かれている。ここで休憩。少し展望が利き出し、北側に見える山は御岳山のようだ。ということは、その右に見えるのは日の出山ということになるのか。御岳山の山頂はなぜかチョボチョボとなっていて、何でああなのかちょっと不思議。人工的な刈り込みにも見える。あそこに御嶽神社があることはまだ知らない。
杉の植林は消えた。同時に左の展望も利くようになった。大きなピークがいくつか目に入ってくる。大岳山は位置的に右端だろうか。だとすれば、樹の陰になって、良く見えない。
(馬頭刈尾根。大岳山は右端に見えるはずだが、ここからではまだすっきりしない)
(高岩山)
尾根が少し細くなって、また岩ゴロ。周囲は新緑になって、咲き遅れのツツジがチラホラ目に入る。ようやく明るい気分の歩きになったなと思ったところで、南側が開けた高岩山に到着した。
休憩して、菓子パンを食べ、初めての一服。ここまで出発から1時間35分か。足取りは重くはなかったから、20分ほどの貯金はできたろうと昭文社マップを見る。えっ、1時間20分?! ウソだろ。これじゃ15分借金になってしまう。ましてこの1時間20分とはGBタイムだろう。いくら何でも、そこまで焼きが回ってはいないつもりだ。念のため『詳細図』で確認する。やはりなぁ。2時間30分とあった。これはかかり過ぎのタイムだとは思うが、自分としてはこちらを標準タイムとして選びたい。しかし、同じところを歩いて、何でこう1時間10分も違うんだ? 昭文社は地元の足慣れた青年に歩かせたのだろう、が想定できる結論。
(ここで大岳山)
自分都合に解釈し、落胆から気を転じてまだまだGに至ってはいないわぃと思うことにした。ここで、大岳山らしき姿の全容が見えた。左にコブが見えるけど、あれが山頂だろうか。その延長の左はずっとなだらかな尾根になっている。さっきまで見えていたいくつかのピークは馬頭刈尾根の延長にあるピークだったようだ。この尾根もいいが、あの尾根を歩くのもまた良さげだ。
陽射しが強くなってきた。メガネをサングラスに変える。出がけに見たネットの天気予報では、この辺はずっと雲量が90%超えになっていた。だから、はなから大岳山からの富士山見は期待もしていない。青空も覗いている。これでは、もしかすると富士山を見られるかも。そんな淡い期待も生まれたが、元からこのサルギ尾根を歩いて大岳山に行くのははあくまでもついでだ。本望は御岳山にあったから、さほどに今日のところはというか、奥多摩からの富士山に期待はしないで来ている。
(サルギ尾根はここで左からの尾根に合流する)
(鉄骨の休憩舎)
どんどん下る。これまでの苦労が水の泡かといった気分になった。70~80mほど下って鞍部。そして登り返し。これがまたつらい。プロトレックの高度標示を見ながら、高岩山の標高に戻り、さらにオーバーになってようやくほっとした。左からの尾根が合流して、それに乗る。南に922m標高点のある尾根だ。つまりは、正確にいえば、サルギ尾根はここで終了ということだろう。ここには直角になった標識があるだけで、922m方向は倒木で進路をふさいでいる。
進路を北西に変えて登って行くと、目の前に赤い鉄骨が見えた。がっかりしたのは当然だ。回り込むと、神社かなと思っていたのは東屋のような休憩舎だった。むしろびっくりしたのは、反対の向こう側から歩いて来たオジサンとほぼ同時に着いたことだった。まして、ここまでだれとも会ってはいない。
(展望台から大岳山)
(都心方面。手前が御岳山と日の出山。視界が良い日は相模湾が見えるらしい)
休憩舎は展望台だった。オジサンに声をかける。地元の方、つまりは東京人のようで、よくこちらにいらっしゃるようだ。こちらが反対側から来たから、すぐにサルギ尾根から登って来たとわかったらしい。サルギ尾根はきつかったでしょうと言われる。どちらからですか?と尋ねると、養沢神社のさらに先の林道から登って来たとのこと。地理には不案内なので詳しいことは聞かなかったが、後で地図を見ると、どうも林道御岳線の終点から七代の滝を経由して上高岩山に至る破線路があるから、そのルートなのかなと思ったりしている。
せっかく休もうとしたのに、相方がいたのでは、ついこちらは立ち話スタイルになる。オジサンはここの展望台がお好きなようで、ベンチに腰掛け、いつもならここからスカイツリーと相模湾が見える。今日はダメだなとおっしゃる。ということは、この板張りの屋根付きの展望台にテントを張って、東京の夜景を見ながら酒を飲むというのも一興か。この展望台の利用者は滅多にはいないだろう。贅沢な夜を過ごせるかもしれない。ついでに、見える範囲の山の名前を聞く、大岳山はやはりアレだった。これからどちらに? と伺うと、大岳山から御岳山を回ってお帰りとのこと。では、大岳山でまたお会いしましょうと言って別れたが、もう会うことはなかった。この間、オジサンの視線はこちらの足元にチラチラと向いていた。後で思うと何ということはない。こちらの足が地下タビだったからだ。
(ちょっと登って)
(上高岩山山頂)
上高岩山はすぐそこだよとオジサンはおっしゃっていたが、確かに、すぐにロックガーデンの分岐標識10歩ほど先、ピークらしからぬ小高いところに上高岩山の山名板がひっそりとあった。
(上高岩山を下ると、標識がやたらと増えてくる。行き先は同じだが、経由が違っていたりで、その都度に地図を確認しないと遠回りになってしまう)
(芥場峠)
ようやく大岳山のエリアに入ったようだ。先で尾根道と巻き道が分岐する。ここは余計な歩きはしない方が良いだろうと巻き道を選ぶが、尾根上を見ながら歩いても大した標高差があるわけでもないようで、すぐに先で合流した。
ここまではまだ静かな山歩きだった。実際に会ったのは展望台で鉢合わせのオジサンだけだったし。だが、ここからが事情が変わってくる。オジサンに大岳山に行くのは初めてだと言うと、大岳山は人が多いよ。この時間ならまだ少ないけどとおっしゃっていた。間もなく、前方右手からハイキングコースが合流するところに5~6人のハイカーがたむろしている姿が見えた。マップを見ると、ここは綾広の滝方面からの道が合流するところだ。ということは、ここが芥場峠というところか。まだ9時前とはいっても、どうも、早いとこ大岳山に登って御岳山に行った方が賢明のようだ。後で調べると、ケーブルの始発は7時半。ちょうど、そんなタイミングだったのかもしれない。人出が多くなるのはこれからの時間帯だったようだ。ハイカーが上がって来た方向の標識には、「ロックガーデン 御岳山」とある。帰路はこちらを下ってもいいが、今のところ、この先から鍋割山に登ってみたい。
(明瞭な道が続いている)
(そして岩場の道)
(大岳山荘)
鍋割山分岐を過ぎる。林道状ではないが、しっかりと踏み固められた道が続いている。何人かのハイカーを抜く。クネクネ道になっている。どうも、このハイキングコースは岩場状の尾根を巻きながら山頂に至る道になっているようだ。岩場が出てくる。クサリも現れる。つかむほどのレベルではない。やがて岩の間を通るようになる。もう下って来るハイカーも数人。岩が消えると、左手に山小屋が見えてくる。あれが休業中の大岳山荘のようだ。
(大岳神社)
(ずっと巻き道状になっている)
(岩場を上から見下ろす。実際はそれほどでもない)
(終わりかけのツツジ)
(大岳山山頂はそこだ)
杉の巨木が目立つようになって、右手に鳥居。奥には人の気のない神社。大岳神社か。ここは昼のうちはよいが、夜に一人で歩くには恐い感じになるだろう。後で思うに、『神坐す山の物語』の風景は、御岳山よりもこちらのイメージの方が似合っている感じがする。
再び現れた岩の道を登って行く。そろそろ疲れたなと思っているところで大岳山の山頂に出た。ハイカーの姿は6~7人か。まだ空いている。すぐに目についたのは富士山の姿だった。期待していなかっただけに正直うれしかった。サルギ尾根登りへのご褒美といったところだろうか。山梨あたりから見る富士山に比べると一回り小さく、従える山並みの景色もさほどのものではないが、満足して、あちこちから写真を撮る。
(大岳山山頂)
(山頂から富士山)
(少しアップで。雪の部分が大分少なくなった)
(ハイカーが増えてくる)
富士山に無心状態になっていたら、知らぬ間にハイカーは増え、10人以上になっていた。石に腰かけてチョコレートを食べ、離れたところに行って一服する。ここからの風景、南側は開けているが都心方向の東側は木立でふさがれている。その点がちょっと残念だ。
(大岳神社の狛犬。まさにコマ犬といった感じだ。ハイトスさんのレポではウリ坊と犬を足して2で割った感じと記されている)
(戻った分岐を鍋割山に向かう)
(鍋割山山頂。何もなし)
ハイカーも増えてきたのでそろそろ下山する。グッドタイミングで山頂に滞在できた。途中、大岳神社を見物。説明板もなくそっけない神社だが、狛犬が特徴的だった。これはオオカミだろう。ここもまた御嶽神社同様に「おいぬさま」信仰なのかもしれない。
コンニチワの繰り返しになってきた。大方は愛想も良いが、無辺も数人いる。分岐から鍋割山に向かうと、ハイカーは一気に少なくなり、さらにその先の分岐からはだれにも会わずに鍋割山に到着。標識があるだけの、ヒノキの植林の中の山頂。ここで休憩して一服。だれもいないからタバコも気兼ねなく吸える。
次第に位置関係がややこしくなって、地図を見てもどこを辿れば御岳山に行けるのかよくわからない。標識は、この先、「奥ノ院・御岳山(長尾平)」となっている。地図を見る限りは、どこを歩いても御嶽神社には行けるようだが、御嶽神社=御岳山なのか? とにかく、目先らしい奥ノ院を目指そう。
(ここが奥ノ院かと思ったが、正確には奥ノ院上のピーク)
(奥ノ院)
(途中で。チョボチョボの御岳山はすぐそこだ。ここからだと見下ろす形になる)
各方面からいろいろな道が交差する。その都度に標識はあるが、奥ノ院だけを追う。歩くハイカーは少ない。ここもまた岩ゴロ地帯を登って行くと、石祠があるだけの山頂に着いた。オバチャンが二人休んでいる。この先の標識はあったが、標識のない方向に下る道もあり、オバチャンに「この道は先でそっちに下る道と合流するのですか?」と聞くと、キョトンとしている。どうも「合流」の意味がおわかりでないらしく、言葉を変えて「合わさるのですか?」と聞くと、そうだとのこと。だったら、わざわざ標識のない道に入ることもないので、標識に合わせて下ると、すぐに神社。これが奥ノ院ということらしい。建て替えの神社で、たいした感慨はない。
(太い杉が続く)
(天狗の腰掛け杉)
(食い物か飲み物を買い求める行列)
御岳山方面の標識に合わせて下る。太い杉の樹が連なってくる。樹にはそれぞれに番号札が打ち付けられている。
鳥居が見えた。そして巨木を撮影しているハイカーが多数。何かと思ったら、「天狗の腰掛け杉」とあった。静けさを選ぶことができたこの辺りまではまだよかった。
そろそろ自分が場違いな所に迷い込んでいる気分になってきた。道を歩いて行くと、店先に列ができている。甘酒の幟が出ているが名物なのだろう。どこを歩いても、人、人、人。さらにやたらと犬連れが目に付く。山の中にいる気がまったくしないし、仙境の雰囲気からは程遠い。地下足袋スタイルで歩いている自分はかなり異色の存在のようだ。さりとて、周りは自分のことに夢中で、他人を見ているような人はいない。学生時代、東京で一人暮らしをして覚えた都会の孤独。それがここに蘇ると記したら大げさか。逃げ出したくなったが、御嶽神社だけでも見ておきたい。
(ここを上がればよかったのに、前のハイカーにくっついて右に行くと)
(石段を登ることになった)
道を間違え、遠回りして御嶽神社に出た。ここはむしろハイカーは少なく、行楽客が圧倒している。犬連れが多く、中にはチワワを抱いて神社に詣でる姿も見てしまう。おいぬさまのご利益があるのだろうが、ケーブルカーは犬同乗も可能なのだろうか。中国語の大声も聞こえる。喧噪の世界だ。ここの神社も古さは感じない。東京を眼下に眺めるが、雲が大分増えてきて、視界は悪い。せいぜい八王子までくらいの視界だろう。
(御嶽神社)
(獅子のような)
(このでかい犬、ケーブルに乗せてきたのだろうか。こんな犬を飼える東京人は暮らし向きが豊かな家だと思うよ)
(ではオサラバ)
(まるで里の門前のようだ)
(これで浅田次郎の世界を夢想するには無理がある)
(チョボチョボを振り返る)
ささっとお参りを済ませ、喫煙所に行って、石に腰かける。これで今日の用事は済んだ。御岳山とはこういう山だったのか。『神坐す山の物語』の世界とはえらく違うものだ。地元の金山に登って新田神社にお参りしている方が、自分にはまだ見合っている。
日の出山に逃げることにする。神代檜を見て、売店通りを抜ける。呼び込みに声をかけられる。つい、その匂いからしてソバでも食べたくなったが、ここはこらえる。きっと後悔する。
(日の出山に向かう)
(こちらにも鳥居が)
騒音からようやく抜けたが、何だこの道は。山道とは思えない。軽トラなら通れるくらいの幅があって、地面は平らになっている。御岳山の延長だからこんなものだろう。それでも、視界に入るハイカーはさほどではない。さっきまでの御岳山を思えば、静かな山だ。
鳥居が見えた。御嶽神社の鳥居だろうと思ったら、やはりそうだった。つまり、御嶽神社は出雲大社同様に、神々が集まるところであり、鳥居もまた、四方八方に置かれるものなのだろう。古来の信仰の道も、あちこちから御嶽神社につながっているということだ。
関東ふれあい道の標識があった。「日の出山0.8km 上養沢バス停4.1km」とある。その先にはまた上養沢バス停、金比羅山への巻き道ルートの分岐標識。自分は上養沢バス停を目指せばいいのだが、ここまで来たなら、日の出山に行く。
(階段を登っていくと)
(シャクナゲや)
(ツツジを見てというか、前のハイカーに追いつきそうになったので時間つぶし)
階段を登って行くと岩ゴロになった。青梅市と日の出町の境の標識を過ぎる。ハイカーの姿はまばらだ。シャクナゲやら、よく知らない花が咲き誇っているのを右に見る。風景は、登っているのに、山から下りて、里を歩いている感じになった。嫌な予感がした。
(日の出山に到着)
石段を登って着いた日の出山の山頂はハイカーで賑やかだった。ざっと50人はいる。さすがに犬はいない。東屋の中には座れるスペースがない。日の出山というのは、そんなに人気の山だったのか。知らなかった。桐生でいえば吾妻山、太田の金山といったところか。安心してタバコを吸えるようなところはないし、煙が立っているのも見えない。
(都心方面は雲の量が多くなって、八王子すら見えていないかも)
御岳山よりはまだマシと、山頂を回って、景色を眺める。展望盤も置かれているくらいだから、眺望は良い。都心は相変わらず見えない。御岳山の方を眺める。ここからも山頂がチョボチョボに見える。目を凝らすと、チョボチョボの下に神社の屋根が見えた。やはり、御嶽神社=御岳山だったのか。奥多摩の山は一望のようだが、こちらに知識はない。まして富士山が見えるところでもない。おにぎりを食べてここも早々に退散か。石に腰かける。
(まぁ、こんな状態で)
(東屋の方はこれだ。都民の山といった感じ)
あれは何山かしら? 隣で女性の声がした。それに応える声はない。ふと横を見ると、オバチャンの一人歩きだった。つぶやきか。あっちは丹沢の方ですよ。そして、地図を広げ、展望盤まで行って確認して、あの山は生藤山ですねと教える。一人者どうし、何だか、いろいろと話をした。オバチャンは二俣尾駅から歩いて来たそうだ。自分が歩いて来たコースを地図で説明した。地下タビに興味を持ったようなので、裏を見せもした。
オバチャンはつるつる温泉に寄って、五日市駅に出たいとおっしゃる。その時は、ここからつるつる温泉に下るコースがあるのも、別路線のバスが通っているのも知らなかった。だから、上養沢バス停まで下りて、後はバスで行くしかないと思いますよ。ただ、バスはそんなに本数はないでしょうねと答える。つるつる温泉は、来る途中で見た看板で知ってはいた。携帯でバス時刻を調べようとしたが、微妙な位置でネットは受信できない。オバチャンのご要望に合わせると、つまりは、一緒に下って、つるつる温泉に送って行くことになる。それをやったら微妙な立場になる。最後は、オレもつるつる温泉に入って、五日市駅まで送る形にならないか。これは気の回し過ぎというものだが、思考はそこまで飛躍した。それは避けねばと、「御岳山に行って、ケーブルを使って御嶽駅に出た方が無難じゃないですか」と促した。「その方がいいかもね」とオバチャン。
オバチャンと別れて、上養沢バス停の標識に従って下ろうとしたら、すぐ上に「金比羅尾根・つるつる温泉」の記載があった。この先で分岐するようだ。こりゃまずいと振り返ると、すでにオバチャンの姿はなかった。知りもしないで余計なことを言ってしまった。だが、あのオバチャン、日の出山はよくダンナさんと来ていたとのことだったから、知っていて知らぬふりをしていたのなら、こちらが内心笑われていたということになる。
(日の出山からの下りで)
(手前から御岳山、奥ノ院ピーク、大岳山、馬頭刈尾根だろう)
(ここは横の行列でも歩けそうだ。ちなみに「関東ふれあい道」)
やけに道幅が広い階段を下って行く。「三室山3.3km・二俣尾駅6.3km」の分岐標識が現れた。マップを見る。アタゴ尾根とある。さっきのオバチャンはここを登って来たのか。ということは、山頂下でつるつる温泉の標識も目にしていたわけだ。だからつるつる温泉に寄ってと言ったのか。自分の一人相撲にあきれてしまった。
(こちらも分岐だらけ)
(あれは、金比羅尾根の麻生山だろうか。この先で上養沢分岐になる。しかし、電信柱があるんだよねぇ)
この先でつるつる温泉道は本道になり、上養沢バス停に下る道が分岐する。その先にも分岐があった。やたらとハイキングコースが入り交っている。地理に不案内で地図を持っていても役立たず。標識に注意しないとおかしなところに出てしまいそうだ。最後の分岐の本道は金比羅尾根コースだった。また、ここからでも御岳山への直通ルートがあるようだ。標識に書かれた「白岩の滝」が気になった。ここまで来ると、いずれのコースも静かな山道風情になっている。
(これでも、ここまでの道に比べたら細い)
(上養沢バス停への下り)
(こんなところの歩きだ。必然的に沢が出てくる)
(そして、鳥も寄りつかない感じの巣箱)
最終的に上養沢バス停に下る道は、普通の貧相な登山道になった。もうハイカーの姿は消えた。杉の植林帯をどんどん下る。そして定番で沢が出てくる。こんなところの水の付いた平たい石はスパ地下では結構滑るんだよな。注意しないとなと思っていた矢先で滑って尻もちをつく。
ほぼなだらかになったところに手書きの古い案内板がある。ここには養沢鍾乳洞というのがあるらしく、現在閉鎖中とのこと。マップを見ると、他に大岳鍾乳洞というのが記載され、養沢鍾乳洞は「養沢鍾乳洞跡」となっている。
植林がまだ続いている。たまにベンチを目にする。これに腰掛けたら尻が汚れそうだ。そして、巣箱があちこちに置かれてある。この道は以前ははやったのだろう。今は歩く人はさほどにいないようだ。ここまで木の橋をいくつか見かけていたが、それがコンクリートの橋になり、上に車が見えた。林道に出たようだ。
(林道に出る)
(林道歩き。車がすれ違えないような狭いところはなかった)
この林道、先は「七代の滝」の標識がある。やはり、展望台のオジサンはここかこの先に車を置いて歩いたのだろう。車は3台ある。石に腰掛けてタバコを吸っていると、人の気配がする。車に戻ってきた釣り人だった。あきるの市役所からの手書きの連絡書が貼られている。山の栗が不作で、クマが里に下りて来るかもしれませんとある。
(弘化年号の石碑)
さて、もう帰るか。林道を下る。この林道、舗装されていて、スパ地下の足には痛い。端の木クズや葉の堆積したところを歩く。車がやって来ては戻っていく。「御嶽道」と記された石碑があった。弘化四年物。幕末に近いか。この御嶽道、下ってきた道ではなく、おそらく七代の滝経由で御岳山に出るのだろう。
(行けない神社跡。手前に柵と川がある。橋はない。お札が道路沿いに置かれていた)
(サルギ尾根)
地図を見ると、川を挟んだ左側に鳥居マークがあったので、その神社に立ち寄るつもりでいたが、川を渡る術がなく、そこには石灯籠が数基置かれているのが見えただけだった。
里に入った。ふれあい道の案内板と上養沢のバス停があった。日の出山から今下って来た道は「杉の木陰の道」というらしい。御嶽神社から表参道を下って御嶽駅に出るコースのようだ。あの神社に集まる人たちを見る限り、わざわざ表参道を歩く人は少ないのではないか。
バス時刻を見た。ここは始発だ。東京では田舎の地ではあっても、五日市駅行きが一日9便もあった。余計なこととは思ったが、ネットで調べるとつるつる温泉からだと16便だ。この時間だと、40分も待てばバスに乗れる。養沢神社の探索でもしていれば時間つぶしにもなる。オバチャンのことで取り越し苦労をするまでもなかった。
(道々で1)
(道々で2)
(養沢神社の鳥居)
(龍だろうな)
道沿いには石仏やら石碑。これも信仰の道の遺物だろう。養沢神社を改めて見物する。特別な神社でもないようだが、普通の狛犬とは別につがいの龍の置物がある。これは珍しい。後で知ったことだが、「養沢」の地名は、日本武尊が東征の際、この地で静養し、病が癒されたことに拠るらしい。これと龍の像がどう関係するのかはわからない。
(ちんまりのかわいい感じのトイレットだったが…)
(駐車地)
神社前に見た目はかわいいトイレがあった。入ってみたが使わずにすぐに出た。獰猛な臭いがするペーパーもない地獄溜め便所だった。
駐車地に戻った。他に車はなく、増減は朝のまま。ここは木陰になっていて涼しいが、ちょっと湿っぽいところだ。汗もかいた。つるつる温泉にでも寄りたいところだが、下着を替えたらその気もなくなり、あの日の出山の混雑では風呂屋も混んでいるだろうと、体の良い理由ができたことを喜んだ。
サルギ尾根はともかく、大岳山から御岳山(御嶽神社)を経由して日の出山まで歩くのは実際にはさほどのものではなかった。むしろ、肝心の御岳山と日の出山は行かずとも良かったかな、自分が来る山ではなかったようだといった軽い残念な思いもある。そんなことも、自分の足で歩いてみないことにはわからない。登る以前の批判、講評は無責任だと思っている。だが、大岳山はともかく、神々しさのかけらも感じなかった御岳山には二度と行くことはあるまい。そして、浅田次郎の書いた御岳山の世界は昭和三十年代前半期のことで、求めた雰囲気は人混みの中で歩く限りはすでにないといったところだろう。まぁ、くどくど言わずに、自分には似合わない山だったが、良い経験をしたということにしておこう。
だからといって御岳山を一概に奥多摩の代表の山にして批判するわけにもいかない。御岳山と日の出山がたまたまそうだったということで、他の山々もまた、コース取り次第では静かな探索もできるだろう。次に歩く時には、そういった面から歩いてみたいと思っている。
(本日の軌跡)
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」
御岳山近辺は断片的にハイキングなどで訪れる事はあっても、サルギ尾根は知りませんでした。
近い割には行く機会が少ない山域ですが、大岳山は未踏で、近場の200名山として気になっておりました。旺文社の地図を見ると、この辺りはコースが複雑に入り組んでおりますが、人も少なそうなマイナーな尾根も見受けられますので、その辺りを絡めれば穴場的な歩きが出来そうですね。
御岳山-日の出山ラインはハイカーの密度が濃く、特に若いハイカーも多いのではと思いますが、地下足袋姿は注目されたのではないでしょうか(^_^;)
私も今まで地下足袋で歩かれている方は、瀑泉さんを含めて2回程しかお目にかかったことがありませんので。
正直のところ、歩いた山域からして、HIDEJIさんからはコメントいただけるだろうなと期待はしておりましたが、HIDEJIさんは大岳山は未踏でしたか。
でしたら、既存のコースとしては、サルギ尾根経由で大岳山、帰路は馬頭刈尾根をお薦めいたします。最終的には車道歩きにはなりますが、光明山から尾根を適当に北に下れば養沢神社には出られると思います。
馬頭刈尾根は、実線にはなってはいますが、地味で静かな歩きを楽しめるのではないかというのが、私の勝手な想像です。冨士見台というところから富士山も眺められるようですし。
御岳山と日の出山はお薦めしません。ここだけは、コンニチハが存在しない山域です。ただ、矛盾してはおりますが、そんな経験も必要ではないかと思ってもいます。
地下タビを注目というか、チラチラと私の足元に目が向かれたのは大岳山だけでした。御岳山と日の出山では、いうなれば、他人様のことは無関心ですね。話し込んだオバチャンくらいのものでした。別にPR活動に行ったわけでもないし、サルギ尾根は地下タビ向きかなと思ったからなのですが。
桐生の吾妻山周辺はカラフルな地下タビガールが結構いるようです。ダサい、登山靴を買えないんだなといったイメージがどうしても出てしまいますね。そんなことを気にする年季でもないのですが。
例のところ、そろそろと思っています。眼の術後の経過も良好ですし。今日は出勤、明日は町内会の運動会とつぶれてしまいますが、来週以降をねらっていますよ。
サルギ尾根、全然知りませんでした。
動機が浅田次郎の「神坐わす山の物語」で、行ってみたらそれは過去のものだったと。
自分は20歳前後の頃、土曜の半ドン後、よくこの界隈に出かけました。午後から出かけるので大岳山荘や御岳山の民宿(御者の家)に泊ってです。なので、それほどの賑わいを感じる事はなかったのですが、数年前に久しぶりに訪れて人の多さにウンザリしました。自分も御岳山と日の出山は2度と行く事は無いと思います。大岳山は行ってもいいかなぁ~と思っています。海沢探勝路くらいは歩いておきたいと思っておりまして。その時は、サルギ尾根を下ってみましょうかね。
「神坐わす山の物語」、通勤途上にでも読んでみます。
サルギ尾根、仮面林道ライダーさんが歩いた記録を以前見てそのうち歩くかと思いつつ馬頭刈尾根も金比羅尾根も先に歩いてしまい併せるロングコースもなく放置しておりました。
サルギ尾根も馬頭刈尾根と同じく奥多摩の登山道の割に人がほとんどいないようで。急でゴツゴツした岩っぽいところがあるようなので下りより登りの方がいいのかなあと思いましたが狩猟期に逃げ込む場所としてストックに入れさせてもらいます。
たそがれさんが大岳山に行ったことが無いとは意外でした。何の因果か私は二度行って二度とも富士山が雲を纏ってました。
御岳山は山の中に居る気がしませんね。賑やかな御岳山を通過しケーブルカー横を通りぬけて大塚山北東尾根へ向かったら途端に誰もいなくなって、今度は急に心細くなった事を思い出します。
日の出山に行く所で暮らしているナゲは何か洋物っぽいですね。庭木として連れてこられたんでしょうか。日の出山は雪のある時に行っても人で埋まってました。御岳山へケーブルカーで行ってという人が多いんでしょうね。人の多さに面くらい御岳山へピストンするのをやめたせいで御岳山-日の出山間だけ歩いていません。あえて行く必要もないと言えばないのですが。
私は、ぶなじろうさんと違って、奥多摩の山々はほとんど知らないに近い状態です。高水三山とやらにも行ったこともないし、今後ともに縁があるかどうかも怪しいところです。
せいぜい、これまで同様に、秩父側からかすめ歩きをする程度になるでしょう。少なくとも、今回歩いた御岳山と日の出山はもう行くこともないでしょうが、ぶなじろうさんがよく歩かれた当時に、こちらにも目を向けていれば、雲泥の差の変貌に戸惑ったでしょうけど、私にはその比較がないので、こういう山なんだなとしか思いようがありません。
「海沢探勝路」ですか。初耳だったので調べましたが、「山と高原地図」の10年前版と新年度版、ともに破線ルートになっているようですね。沢沿いの歩きルートですか。これもまた気分よく歩いて大岳山に登って富士山を見た後に御岳山に行ってしまったら台無しになりかねない。その点、サルギ尾根経由か馬頭刈尾根で下るのがベターでしょう。もっとも、その馬頭刈尾根がどういうコースなのかはとんとわかりませんけど。この辺をよく歩かれるハイカーのレポを見れば、御岳山の混とんとした風景が前提にあるでしょうから、どこを歩いても静かな歩きを楽しめる記載になっているような気もします。その「静かな」のレベルが、自分にはどんなものなのか怪しい感じにもなるでしょう。
「神坐わす山の物語」。浅田次郎的に軽い小説です。通勤途上の時間つぶしに読むには最適かと思います。
図星でしたね。確かに奥多摩でしたよ。それも典型的な奥多摩の山。ついさっきわかったことですが、大岳山は二百名山になっているようで、だから、出会ったオジサンが、「大岳山は混むよ」とおっしゃったことに納得しました。もっとも、この山、富士山が見えるといったところからも人気なのでしょう。中には、御岳山に行ったらああだった。これじゃ山に登ったは言えないな。もっと先まで行ってみようかというハイカーもいるでしょう。御岳山にはもう行くことはありませんが、大岳山に別方向から、つまりはぶなじろうさんコメントにある海沢探勝路か馬頭刈尾根なら歩いてみたいと思っています。
話はついでですが、筑波山が百名山で、御岳山が三百にも入っていない。同レベルで考える山のような気はしますが、これを言いだしたらきりがありませんね。
仮面林道ライダーさんのサルギ尾根記事は気づきませんでした。というか、東京の山だったから素通りしたのかもしれません。記憶に残っていませんから。改めて拝見しました。
サルギ尾根は地味尾根の部類ですね。下半分が植林歩きですから、自然林に入ってからもっと長かったらなといった感じが残りましたね。それと、適当に岩場がある地味尾根なら、一か所くらいは開けた展望スポットが欲しいところで、備え付けの展望台ではサルギ尾根も終わった後ですから、それが残念なところです。
自分がそうだったからというわけではなく、騒音スポットの歩きも経験しておけば、それなりに良い経験にはなるでしょう。否定の感覚の方向に持って行くのも、経験あってこその物種です。もっとも、そうとは知らずに出かけるというのも考え物ではありますが。
その経験から申せば、明らかに、御岳山と日の出山の間を歩く価値はありません。ナゲについても、最初、見た瞬間、あれっ、こんなところに珍しいと思いましたが、その先の群れ具合からして、どうも畑地の跡に植え付けた感じがしました。そもそも、全体が里の中を歩いているような状態でしたから。