たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

長い急坂登りで、こんなとこオレ行けっかなと思ったりもしたが、何とか登りきった鳥ノ胸山からの富士山は絶品で苦行も報われた。

2022年03月03日 | 富士山見物
◎2022年2月26日(土)

※みっともない歩きタイムなので時間経過は記さない。道志村観光協会発行のチラシには「中級者向け・所要時間約4時間」と記されている。今回は既定コースのままに歩いている。休憩タイムやトラブルタイムを除けば、その4時間では歩けたようだ。

 予定では2月11日からの三連休の間に道志山塊の他の山に行くつもりでいたが、10日の降雪で、<道の駅どうし>周辺を撮影したYou Tubeを見て、こりゃダメだなとヤメにした。雪が降っていて、国道は白くなっていた。その国道413号線、以前のこの時期、どこの山だったか忘れたが、道志に向かう際に通り、ICを出てから、雪の吹き溜まりのある狭くてカーブの多い延々と長い道を後続車にあおられ半分で走った記憶がある。路面も凍結していて恐ろしかった。この国道だけは避けたいがこれしかない。走り屋も多いようで、まして北関東のナンバーではなめられる。足尾に向かう122号のカーブの比ではない。その時の記憶があるだけに雪がある時は避けたかった。
 ヤマレコ、YAMAPともに、降雪後にその山に登ったという記事はなく、一週間後に深雪で撤退したという記事を目にし、まだダメかとあきらめかけていたら、チェンスパで歩いたという鳥ノ胸山記事を見かけ、予定の山行を変えることにした。つまり、鳥ノ胸山は間に合わせのつもりだったわけだが、結果として、雪は少ないものの体力的にはつらかった。
 家を6時に出て道の駅どうしに着いたのは8時10分。ナビ通りに中央道の相模湖東ICを出てからがやはり長かった。例の国道413号線経由だ。35kmほどはあった。幸いにも後続車のあおりはなかったものの、カーブが続き、路幅も狭くて道の駅に着いた時にはぐったりした。幸い、凍結はなく、雪も路肩に少々だけだったが、よほどに、鳥ノ胸山はやめて、このまま大月に向かって、岩殿山にチェンジしようかなと思ったくらいだった。

(道の駅どうしを出発)


(キャンプ村から鳥ノ胸山)


(看板は「鳥胸山」となっている)


(ここでアイゼンとスパッツを装着)


 道の駅からの出発は8時21分。周囲に雪は見えずスッパッツもつけなかった。とりあえず橋を渡ると標識があり、あとは標識頼りに林道のようなところを歩く。間もなく凍結路になり、残雪が出てきた。この辺はキャンプ場になっているらしく、この時点では人気もなく、営業はしていそうだが、寂しいキャンプ場という印象だった。
 坂道になった。舗装の路面に雪が張り付いて凍結している。この先のツボ足歩きは転倒しかねない。スパッツとアイゼンを付ける。アイゼンは6本爪。鳴虫山で使い物にならなくなり、急いでアマゾンで購入した。選択に悩んだが、日本製ということで選んだ。チェンスパでも問題はなかったろうが、雪が深いかも知れず、アイゼンにこだわった。さすがにワカンは持ってきていない。準備をしていると、さっきまでは振り返ってもだれもいなかったはずなのに、早足なのか中年氏がやって来て、オレ同様にアイゼンを付け始めた。先に行ってもらおうと思ったが、手間取っているようで、仕方なく先行した。いずれ抜かれるならここで先に行ってもらいたかった。

(コンクリートの道になった。雪はない。林道はこの先で終点らしい)


(正式な登山口といったところだろう)


(この程度の傾斜で行くのかなと思っている)


(間もなく別の林道が横切る)


(改めて登る)


 せっかくのアイゼンもちょっと早かった。林道はカーブになっていて先が見えていなかった。すぐに露出したコンクリ道になったので爪を傷めたくもなく道のヘリを歩いた。ほどなく林道は終点になったようで、標識が山側に向いている。ここが登山口になるようだ。通行止めのガードもなかったようだし、ここまでなら車で入れそうな気がする。
 早速、ゼイゼイと立ち休みしている間に、先ほどの中年氏に抜かれた。ほっとした。あまりハイカーもいないようだし、のんびりと歩きたい。実は、この時点では、鳥ノ胸山のことを甘く考えていた。道の駅から見えた鳥ノ胸山らしきピークはこじんまりしていて楽勝と思っていた。それが証拠に、『山と高原地図』と地理院地図はザックの中にしまい込み、ポケットには等高線もない写真付きの観光用イラストマップを入れて歩いている。出がけに地理院地図を見た限りは、等高線が込み入ったところはなかったような気がしていた。マップには道の駅から山頂までは2時間と記されている。上は雪もあるだろうし、そのタイムで行ければ御の字だ。
 雪があったりなかったりが続く。林道が横切る。さっきとは別林道だろう。しっかりしたハイキング道といった感じで、雪がなかったら歩きやすいだろう。雑木の間から右手に富士山が見え隠れする。すっきりではない。早いとこクリアな富士山を拝みたいが、歩き出し40分くらいが経過し、雑木から杉の植林が主体になったあたりから登山道の様子が変わってきた。じわじわと急になってきている。ここの植林帯も例外ではなかった。

(まだ緩い。この時点では気づいていないが、左先に急登尾根が見えていたようだ)


(雑木林から右に富士山。まだのんびり気分だ)


(この辺から状況が変わってきた)


(逆光で見づらく、ありふれた傾斜だが、すでにきつくて休憩して撮っている)


(見下ろす)


 最初のうちは、急登もすぐ終わるさと楽観していた。ほら、緩くなった。ところがどっこい。これまでの急登を越える傾斜がずっと上まで続き、壁のようにまったく先が見えない状況になっている。登山道は九十九折りにつけられ、カーブ間の距離は短い。さすがにストックを2本出した。必死に登っては休み、見上げる。まだ壁のまま。これ、オレには無理じゃないのかと思った。先日の鳴虫山での独峰登りに喘いだレベルではない。前にも後にもハイカーの姿は見えない。とぼけて山頂から下って来たフリをすることはできるだろうが、ここまで来てすっきりしない富士山を見ただけで終わったのでは情けないどころかみっともない。休みながらでも登るしかない。

(まだ続く。えらい時間がかかっている気がする。先はまだまだだ)


(半端にくっきり富士)


(また見下ろして。かなり高く上がって来ている)


(ようやく傾斜が緩みつつある。正面の空も見えている)


(山頂ではない)


(山頂はこちら)


 何度休んだろうか。とにかく息切れしながら足元と正面だけを見てやっとこさ登っている。大げさな表現だが、苦行の登りが無の心境になりかけた頃、ふと見上げると、壁が少し先で切れていた。ほっとした。だが、先はカーブになっていてまだ続いているのではないのかと疑心暗鬼。安心はできなかった。右手の、さっきよりは幾分はっきりしてきた富士山が何ともうらめしい。すっきり見えていたら写真だけ撮ってさっさと下る。

(山頂へ。もう急な登りはあるまい)


(この程度が自分にはちょうどいい。雪も深くない)


(山頂下から)


(分岐にトレースはない。雪は浅いが、下るとすれば不安だろう)


(間もなく山頂というところから。こんなところでもたもた時間をとられた)


 案の定、壁を乗り越えると、そこは山頂ではなかった。右手にここよりも高いピークが見えた。やはりそう簡単にことが進むわけはなかった。<鳥の胸山→>の手書き標識が置かれているだけ。ため息をつきながら矢印にしたがって先に行く。細い尾根を行くと、ピークが立ちはだかった。だが、さっきまでのエンドレスのような急登に比べればかなり緩い。富士山もすっきりしてきた。だがまだまだ樹々の枝がうるさく視界に入り込む。途中、左下に向けて「観光農園下山方面」と記された分岐標識を見かけたが、そちらにトレースはない。絵図を取り出して見てもそんなコースは記されていず、周回コースとしては、平指山を通る(これが微妙で、平指山の▲印の上をコース線が通っているわけではなく、正確には北西の「分岐」なるところを通っている)コースだけだ。

(山頂は視界の先にあるはず)


(鳥ノ胸山山頂)


(楽しみは後回しで取りあえず三角点標石)


(そして山梨百名山標柱)


 山頂はまだ先ながらも平坦になり、もう我慢もできずに枝が邪魔な富士山を眺めたり撮ったりしていると、オニイさんが後ろから上がって来た。急登エリアで視界が良かった下部斜面に人の姿を見ることはなかったが、どんな勢いで登って来たのやら。もしくは別なコースでもあったのだろうか。「早いですね」としか言いようがなかった。もしかしたら、下からオレのヨボヨボ歩きは丸見えで、山頂まで気を遣って抜かなかったのかもしれない。
 山頂到着。だれもいない。下で追い越された中年氏はすでに下っていて当たり前。10時5分。出発から1時間45分しか経っていない。そんなわけはないだろうと思った。自分には2時間半は登りっぱなしで歩いた疲労感だ。絵図の2時間を切ったのはウソみたいだったが、後で改めて山と高原地図を確認すると、こちらのコースタイムは1時間35分になっていて、アイゼンとスパッツを装着したり、休んだり、山頂間近でグズクズと富士山を眺めていた時間を差し引けばオンタイムとも言えるか。だが、その時は、そんなことどうでもよく、よくあの長い急坂を登って山頂に登れたものだと取るに足りない感慨しかなかった。

(そして富士山。手前の古い標柱を入れたはいいが黒文字で写っていない。一二〇八mの上には「鳥ノ胸山」、下には「山梨百名山」とあった。ただ、これを入れての富士山はあまり映えない)


(アップで。左の木はともかく、右の枝が入り込んだ。)


(カメラを引くとこんな感じ)


(街並みを入れて、右に御正体山)


(自分の好みぎりぎりのアップ。枝は消える。もっと前に出て撮ればいいだろうが、危険な賭けになる)


 英語でワンダーフォーと言えばいいのかスプレンデッドが適当なのか。鳥ノ胸山からの富士山がこんなに見事だとは思わなかった。ここは、下の都留だか道志の村の街並みを入れて撮った方がいいだろうが、惜しむらくは、表面右の御正体山の存在は動かしようもないとして、左の何か知らないモミの木風の樹と右手の伸びた枝が視界の邪魔になる。こんな添え物は要らない。ここからの富士山はあまり期待はしていなかった。というのも、山名板というか山名杭を無理に入れた写真ばかりをネット記事で目にしていたから、さほどでもないと思っていた。しばらく眺めていた。オニイさんも写真を撮りまくっていた。

(オニイさんの後ろ姿が入ったが、向こうから登って来た)


 レジャーシートを樹の下に広げ、腰をおろして富士山を眺めながらタバコを吸っていたら、今度はオッサンが上がって来た。早速、高そうな一眼カメラで写真撮りをしていたが、突っ立って富士山を眺めているオニイさんと会話をし始めたので、知り合いか同行者かなとその時は思った。後でYAMAPを見ると、まさにこの時のオッサンの投稿記事が出ていて、おそらく、オニイさんと前後しながら歩いて来たようだ。自分よりも30分遅い道の駅からの出発で、その後は大界木山、畦ヶ丸山を経由して西丹沢ビジターセンターに下っていた。つまりは往復ともにバス利用。ビジターセンターは4時半着になっていたから、この先は延々と歩かれたのだろう。あのオッサンの年頃だったら、自分もやったかもしれないが、本数も少ないだろうバスと鉄道利用となると、そんな緻密な時間を見ながらの歩きはできまい。そんなことはYAMAP記事を見るまで知らないし、知り合いならともかく、一見の出会うハイカーにコースをいちいち聞いたりはしない。
 余計なことが気になった。「鳥ノ胸山」という山名のこと。由来は「殿ムレ山」だったり、南峰と合わせて鳥の胸に似ているといったところからの説もあったが、気になったのはそんなことではなく、小学生だった頃の思い出話になる。当時、学童の健康診断で「鳩胸」、「漏斗胸」といった検査項目があり、自分は鳩胸を指摘され、異常な体質なのかと担任の先生に相談すると「気にすることはない」と言われはしたが気になった。神経質にも、矯正できやしないかと、授業中ずっと肋骨を机に押し続けたりした時期もあった。今は腹が胸よりも前に出て胸の骨の出っ張りは目立ちもしない。今時分そんな検査があるのか知らないが、やっていたとしたら、徒に子供心を揺さぶるだけのことだろう。骨の張り方が違うだけのことだ。異常だったら、普通に育ちやしない。ちなみに、漏斗胸と診断された同級生がいて、今、都下のとある市の市議を30年以上務めている。おそらく普通の勤めはしたことがないのではないだろうか。鳥の胸=鳩胸状ということだろうか。つまらないことを考えた。
 山頂には30分ほどいた。水を飲んだだけで食べ物はとらなかった。ずっと富士山を眺めていた。職場に富士山大好きな方がいて(もっとも下から眺めるだけで、山に登ってまで見ることはしないが)、メール添付で写真を送ってやろうかとスマホで撮ったが、前にも送ったところ反応が今一つだったのを思い出し、だれかときれいな眺望を共有したかったが自己満足だけでやめにした。

(下る。先のピークが南峰らしい)


(南峰への登り)


(南峰から)


 オッサンが反対方向に下って行ったのを機に、同方向に下る。10時33分。山頂にはまだオニイさんが残っていた。その時は仲間同士と思っていただけになんで別行動なのだろうと不可解だった。
 先にも小ピークがあった。南峰。樹林の日陰になって寒い。ここからも富士山は見えるが周囲の枝がうるさいし、山頂自体が狭い。道の駅からは見えなかったが、鳩ノ胸山は双耳山らしい。さっきのオッサンが上着を着込んでいた。「何だか、日陰になって寒くなりましたね」と声をかけて素通りした。いずれ追い越されると思ったが、このオッサンにも、オニイさんにもその後に会うことはなかった。オッサンがその後に前述のように畦ヶ丸に向かったのでは会うはずもない。オニイさんはどこに下ったのだろう。

(南峰からの下り)


(振り返っての鳥ノ胸山。余計なことを記したが、確かに鳩胸状かもしれない)


(歩いていて気分は良かった)


(雑木ノ頭)


 この下りも初めのうちは飽きることはなかった。平らに近い尾根歩き。樹林帯はすぐに消えていて、富士山が見える位置ではないものの景色は見えている。トレースは少し減り、雪も足首くらい。陽が出ていて気持ちの良い歩きが少し続いた。
 「雑木ノ頭」に到着。10時56分。絵図では「分岐」とある。雑木ノ頭そのものはテープに手書きされて樹に巻かれたものだ。活字標識ではここから道志の湯方面が分岐している。前述の平指山はそちら方面で、東海自然歩道(甲相国境尾根)上にある木界木山に至るのだろう。数人分のトレースが下っている。この甲相国境尾根には興味があるが、家からのアクセスが遠過ぎる。

(もう終わり。下るだけ)


(ロープ止めが二か所あり、その右下に小さな標識が置かれていた)


(そろそろ終点だろう)


(キャンプ場エリアに入った)


 ここから道志の森キャンプ場の方面に向かう。雑木ノ頭までの雰囲気がいくらか続き、ヤセ尾根通過もありはしたが、樹林帯の下りになると、退屈してきた。植林やら雑木の中を延々と下る。こちらには壁のような急坂下りはなかったが、景色が広がっているわけでもなくとにかく長く感じた。特記すべきものはない。
 車道のような道が真下に見え、車も人の姿もある。何かの施設だろうか。この先は泥んこの車道歩きとなった。11時34分。アイゼンを外す。

(釣り堀だろうか。ここで空が黄砂だろうか、真っ青でなくなり、くすんできているのが気になった)


(道はベチョベチョ。車が通るから余計だ)


(キャンプ場は広い。どこにでもテントを張ってもいいようだ)


(車道を避けたら行きづまり、ヒザまでの湿った雪をこいで車道に戻った)


(ここを右に行く。車は左を通っていた)


 施設と思ったのはキャンプ場だった。標識にあった道志の森キャンプ場か。どこまでも続き、よくこんなところでキャンプができるものだと、泥道の脇に張られたテントもあった。とにかくキャンパーが多い。一人キャンプのオジさんまでいる。前を二人連れが歩いている。ザックを背負っているから鳥ノ胸山からの帰りだろう。このまま泥道を歩いて行くつもりはなく、車両進入禁止のゲートのある川沿いの道に入ってみると行き止まりになった。川は渡れない。ここで休憩。腰を石におろしてタバコを吸っていると、遠くで正午を告げるオルゴールの音が聞こえた。もう昼か。今日は欲張って次の予定もあった。雪をこいで再び泥道歩きをした。冷静に考えれば、この道がずっと続くはずはなく、すぐに道の駅につながる道が分岐した。こちらは車も通らず、道は乾いていて、やがて舗装道になった。
 前をまだ二人連れが歩いていた。この二人連れだが、これも後で知ったことだがYAMAPに鳥ノ胸山記事を当日に載せていた。時間的に合う。出だしは違うコースを歩いていたようだが途中からはまったく同じ。道の駅からの出発時刻は自分より45分ほど早かった。しかし、何とYAMAP利用者が多いことか。当日の山歩き記事アップの歩きは信じがたい。幾分、文章も長く書けるヤマレコよりも、写真と軌跡だけで簡単に済ませられ、まして使いやすいからだろうか。それぞれに自分も登録はしているがいずれも使ったことはない。歩いた記録をアップするだけなら写真を並べて、簡単なコメントを入れるだけで済むが、それだけでは済まない、文章を並べたいハイカー人種もいるということだ。

(道の駅に向かって歩いていると)


(富士山はもうこうなっていた)


 泥だらけのアイゼンを用水路で洗っていると、左に富士山の頭が見えた。もう霞んでいて、白い雲が近づいている。ほっとした。というのは、これから岩殿山に向かうつもりでいて、鳥ノ胸山で苦闘の歩きをしていたので、実はどうしようか迷っていたのだ。これであきらめがついた。岩殿山に行っても、青空をバックにしたすっきり富士山を見られないのではどうしようもない。

(東屋でランチ休憩)


(道の駅に帰着)


 左に広場が見え、奥に東屋があった。この辺の年寄りがここでグラウンドゴルフでもやるのだろうか。お腹も空いていたので東屋に向かった。そしてゆっくりとランチ。道の駅はもうすぐそこに見えていて、車やバイクの喧騒音が聞こえてくる。だれもいないベンチに横になって一服する。今日は暖かい。汗もかなりかいている。
 道の駅には12時32分着。4時間10分か。実際に歩いたのは3時間半もなかったろう。それにしても疲れた山行だった。明らかにあの坂道登りだ。いずれ当初目的の山にマニアックなルートで行くつもりでいる。だれも歩きそうもないルートだし、今日の残雪の状況では、すぐに行くには雪に苦労しそうだ。まして北面の歩きだ。もう少し経ってから行くことにしよう。
 ナビを自宅にセットする。高速の入口は相模湖東ではなく相模原インターを指示していた。どうも一貫性がない。いずれにしても国道413号線を使うしかない。逆方向ながらも今朝通ったばかりだから、さほどに嫌な気分にはならなかった。しかし、道志、山中湖方面に向かうバイクが何と多いことか。これも陽気のせいだろう。

(今回の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

(付録。スマホで撮った写真)


コメント (4)    この記事についてブログを書く
« 日光鳴虫山。積雪の期待があ... | トップ | 二日続きの福寿草見物。 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぶなじろう)
2022-03-05 17:19:52
こんにちは。
急坂の道、お疲れ様でした。
自分は(モミの)木が入っていて、かえっていい写真だと思いました。スマホの写真もなかなかだと思いました(チョット、トリミングしたい気もしますが)。
何度か歩いた畔ヶ丸の山名が出てきたので、古い地図(山と高原地図:2002粘土版)を出して見てみました。当時は鳥の胸山周辺は破線道で、「不明瞭箇所あり、通行注意」と注意書きがありました。もっとも雪があったらそんなの関係ありませんが。林道から主稜線まで、かなりの等高線密度ですねぇ~。この密度は怖いです。
たそがれさんとほぼ同じ構図の富士山 (ノラ)
2022-03-05 22:09:38
たそがれオヤジさん こんばんは。鳥の胸山は2020年の11月に久しぶりに行ってました。コースは全然違うのですが。雪がないのでこういう歩きができたわけです。記録は下記です。たそがれさんと同じ構図の富士を撮ってました。木も同じように入ってます。但しちょっと雲が多いようです。https://73422uzawa.at.webry.info/202011/article_3.html
ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2022-03-07 09:48:17
ぶなじろうさん、こんにちは。
この辺、道志の山々は<丹沢>に分類されるようですね。どうも違和感があるのですが。
2002年度版の山と高原地図とあったので、私も確認したところ、古いのは1985年度版<丹沢>がありました。改めて見ましたが、破線どころか線は何も記されておりません。あくまでもいわゆる丹沢の山の歩きが主体になっていて、北側の菜畑山すら、線が入っていません。当時は、道志の山を歩くハイカーもかなりマイナーなハイカーだったのではないでしょうか。
大月の富嶽もいいですが、「都留市二十一秀峰」というのもあるようですね。大方は大月の富嶽もいくつか入り込んでおりますが。都留市二十一には前述の菜畑山が入っておりまして、菜畑山には近いうちに行きたいと思っております。山名のイメージに親しみを感じてしまいますから。
それにしても、ご指摘の山頂直下の急坂ですが、もう二度とごめんですよ。標高であと百mもあったら、おそらく下っていたかと思います。
ノラさん (たそがれオヤジ)
2022-03-07 09:48:52
ノラさん、こんにちは。
菰釣山の記録を拝見し、その中に鳥ノ胸山に登られた記載があり、記事を探したのですが、見つけられなかったのですよ。ありがとうございます。
しかしまぁ、よくそんなお歩きができるものだというか、探せるものだと感心しております。往路、復路ともに一般ルートじゃないじゃないですか。普通、どちらか一方は一般ルートを歩くものですけどね。参考にしようにも、そこまではといった気になってしまいます。
道志の山は一時、中断しておりました。如何せんアクセスが遠い。大月、都留の方がまだ近い感じがします。歩き再開になると、次から次へと行きたい山ばかりになってしまいます。
菰釣山ですが、まだ谷沿いの一般コースですら雪が深く、雪が腿まで来るところもあるようです。北側からの尾根ルートはさほどでもないような気がしますが、しばらく一般コースの雪具合をネットで確認してからにします。

コメントを投稿

富士山見物」カテゴリの最新記事