六枚目のコイン

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666(ミロク)

2021年10月23日 15時50分42秒 | つぶやき


五島勉さんがノストラダムス予言の、
『1999年7月ー人類破滅の日』を世に出されて、
一挙に「人類破滅ブーム」に火が付いた。

それ以来、それと相まって、
さまざまな社会問題が噴出してきた。
世界はまさにその通りに動いてきたと言っても良いと思われる。

その1999年であるが、
これは西洋文明の考えによると、
一つの時代は2000年間を一つの単位で考えられる。

つまり、
1999年というのは2000年の一年前、
2000年を前にした最後の年であり、
その時代の終わりという意味になり、
また究極の時代・時期を表した数字となるのである。

そして、
その反対の数字である666.
これはノストラダムス予言では、「獣」を指す数字だとされている。

ですが、
666、6を三つ重ねてミロクと読むのも、
なんだか皮肉じゃないかな〜。

「6」は「9」を逆さまにした数字で、
9は数秘学からいうと、
最高とか至上、あるいは聖なるものとかを意味するんです。

それを逆さまにした6は、
最低、最悪、俗なるもの、汚れたもの等を意味することになって、
三つの9は究極のという意味合いが出てきますよね。
その反対の三つの6も、
究極のという意味合いを帯びてきますから、
一番最悪のものというように、
「これ以上ない汚れた者」という意味合いが生まれてくるわけです。
汚らわしい、目をそむけるような醜い者、唾棄すべき者。
そんなイメージでしょうか。

そして、
もう一つイメージされるのは、
6は実業家、資本家、証券会社、保険会社、首脳部、頭目、等など。

これらのイメージを併せるとどうなるでしょうか?
つまり、
「666」の正体はこれらのイメージを統合したものなんだと
言えるのではないかと考えるのです。

本質的には最低最悪の、唾棄すべき存在。
そして、
社会的には地位も名誉も経済的にも、
これを世間福というのだが、十分に持ち合わせた存在。

傍目には、周囲が憧れ羨ましがられる存在。
しかし、
本質はこれ以上ない冷徹な個人主義者。

これが『アンリ』の正体であり、獣の正体なのではないか。
キリスト教的には、これを悪魔だと規定したのでしょう。

そこで、
その獣の本質を見てみましょう。
一つには、底なしに貪欲であること。
有るが上にもさらに欲しがり求める。
そんなに持っててどうするのと?人が思っても、
我れ関せず、相変わらずマネーゲームに狂奔している。

また、
地位でも名誉でも、
虎の威を借りてでも、
人を陥れ裏切ってでも手に入れようとする。

その次には、
自分の思うようにならないことに怒り、
思い通りにならない相手には、妬み恨み憎悪し、抹殺し潰してやろうとする。
そういう心の状態。

さらには、
世の中の成り立ちの本質に気がつかないで、
表面的な現象に惑わされて、些末的なことにばかり目がいっている。
つまり、
因縁因果の道理に昧い。

さらには、
損得勘定に頭がいっぱいになって、
必要な行動ができなくなる。
つまり、正義や善いことが実践できない。

それらを備えているのが「獣」だと言えるのではないかというのですね。
それを大善地法という、
心の見分け法があるのですが、
その分類法から見ると、
実に面白いことが分かります。

この分類法は、表面的な心を見るのではなく、
潜在意識または抑圧意識を見ていくのです。
本質的な心は、
表面上には現れてこないことが多いのです。

それでみると、
人間存在がというものがよく理解できるのです。

でも、それって人間誰しも持っていますよね。
だから、凡夫と言われるのですからね。
してみると、
「666」って、
究極的に、俗なる人間を指しているってことでしょうか。
何とも割り切れない答えが出たものですが。😵 
666とは、
人間そのものを指した象徴数字だったんですねえ。


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