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六枚目のコイン

つぶやき、趣味,占星術,

修行に近道無し!

2025年04月17日 04時12分19秒 | 仏教
今、世の中には、
いろんな手を考えて、
人々や社会にアイデアを提案されています。

それは目的も目標も違うけれど、
こと『魂を高めていく』ことに関しては、
近道の方法というものはありません。

目的を達成するための正しい方法を、
切磋琢磨していく。
これしか方法はありません。

常に倦まずたゆまず、
日々精進をつづける。
単なる繰り返しでも駄目です。

常に高い目標を設定して、
その目標をクリアするべく努める。
それが必須です。

中には、なかなか結果が出なくて、
嫌気が差したり、自信を無くしたりして、
途中で止める人もいますが、
これだと決めたら、
金鉱を掘り当てるまで、止めないことです。

金は掘り当てるまでは、獲得できません。
見つけるまでは、
自分のものにはならないからです。

これでもか、これでもかという根性が必要です。
また、
片手間でやるのも、効果は期待出来ません。

それらを克服して、結果を出すのです。
それまで止めないことが肝心なのです。
さあ、
まずは始めましょう!




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発達障害(ⅲ)

2025年04月10日 07時17分44秒 | 仏教
また、
因縁を形成するものには、
先祖から受け継いでくる「遺伝」がありますね。

母親と父親を縁に生まれてきた私は、
どうしてもその二親の家系の持つ,
内的・外的特徴を備えています。

単純に言っても、
性格上の特徴である、短気、慎重、寛容、大まかなど、
いろいろと性格の違いってありますよね。

また、
身体上の特徴もありますね。
背が高くて細い、背が比較的に低くてがっしり型。
でっぷり型である。足が長い 短いの特徴。

それは家系の遺伝的な特徴として、
本人の意思では決めようのない、生来の特徴です。

そして遺伝性の病気、
これは確かにありますね。
まあ、代表的なものを挙げれば、
①ガン ②心臓の病い ③脳の病気、他に肺の病気など、
挙げればいくらでもあります。

そういうような、
家系上の因縁というものがあり、
これは、なかなか変えることが難しい。

日々の節制や精進、
また食事を注意しながらの健康作り。
いろんな工夫や努力によって、健康を維持することは可能ですが、
人が死を迎える時は、
先ず間違いなく、先祖から受け継いだところの、
遺伝からくる病気で亡くなっていきます。

一概に、それらは避けようのない「因縁」によって作られています。
それを変えていこう、
変えてさらに充実した人生にしていこうというのが、
お釈迦様の説かれた仏教であり、
『因縁解脱法』であります。

考えてみますと、
生まれ持った「運命」を改善していくのはもちろん、
運命を変えてしまう、運命転換をしようと考えること自体、
凡人には思いもつかない、超天才の発想であります。

まことに、お釈迦さまは人間を超えた方だと、
改めて驚くわけです。
また、
その教えを実践し学ばれた、我々の師である開祖も、
これまた素晴らしい超人です。

私は開祖の前世を調べたことがありますが、
これなら当然だろうと思われるような、
そういうすごい実績の前世を知ることが出来ました。

要するに、
人は前世によって積み上げたところの業によって、
今世を生きているんだ。
そう理解できたのです。

そして、
過去の業の内容を改めていけば、
運命は変えられるんだと、
お釈迦さまは悟られたのです。

そして、
その方法=運命転換法=因縁解脱法を、
弟子たちに伝え残された。

それが「仏教」なんです。
しかしながら、
そのお釈迦の教えも、時代の変遷とともに、
伝える人もいなくなり、
これが中国に伝っていくと、
中国人の考えに適した教えに、「仏教」は変わっていったのです。

ですから、
お釈迦の教えや実践方法は、本来のものではなくなり、まがい物となってしまったわけです。

結局、
それが後世の「仏教」になっていった。
お釈迦さまの仏教=成仏法は、
その後消えたのです。

(つづく)




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発達障害(ⅱ)

2025年04月09日 09時05分50秒 | 仏教
発達障害は、
簡単に大まかに考えると、
脳の障害だと言えるでしょう。

1才から3才頃までに発覚することが多いという。
これは言うならば、
前世における業(カルマ)の報いとして、
その人に表れた結果であると、
仏教では説かれています。

私もそのように考えるのが、
一番ふさわしいと思います。
自分自身は過去世に為した行為の結果なんだと、
そう考えられます。

そして、
自分を取り巻く環境や条件なども、
全て過去世からの関係で、決まってくる。
それは「縁」だと言われています。

そして、「縁」は助縁とも言われます。
「因」が実って結果を出すことを助ける。
それが「縁」だという意味です。

「因」→「縁」→「果」→「報」と、
物事は進んでいくとされます。
縁は因と果を結ぶ媒体なんだというのです。

だから、
全ての事柄は、全て自分自身から発生していると
考えられます。

そう考えると、
他人のせいには出来なくなりますね。
その考えをさらに進めると、
自分の持つ因と縁を全て断ち切ると、
この世とは全く関係がなくなると考えることができます。

それが仏教を創始された、お釈迦様の教えですね。
お釈迦様は全ての「因縁」を断ち切られて、
導き出されたのが、
「因縁解脱」=成仏という考えなんです。

それを先ず、
理解していただきたいと思います。
ですから、
発達障害という機能障害に陥っているのは、
前世に原因があるんだと考えることができます。

そして、
前世に原因があるならば、
その原因を取り除けば良いんじゃないかということになるわけですね。
それをお釈迦様はお説きになられたのですが、
それを成仏する方法、
つまり「因縁解脱法」として説かれた。

現在の苦しみの状態を招いている原因をなくす方法を、
お釈迦様は説かれたのです。
だから、
今の状態から抜け出すには、
お釈迦様の「因縁解脱法」を実践すれば良いということになります。

どうでしょうか、
現在の医学では、治すのは困難だとされている病気、
それも正しく対処していけば、
治るんだというのです。

限界ある医療も、
お釈迦様のお説きになられた「因縁解脱の方法」を実践していくことで、
必ず道が開けていくのです。

その方法を密教では、「三身即一の阿弥陀如来」として、阿含宗ではお祀りしているんです。

先ずは、
総本尊としての、生きたお釈迦さま=『真正仏舎利尊』を拝むことから始めてみましょう。
全ての悩みや苦しみを解決されて、
そういう力を備えられているお釈迦さまに祈る、

つまり、
助けを求める。
そのお願いに応じて、生きたお釈迦様は手を差し伸べられます。
この世には、神も仏もいるもんかと思うご時世ですが、
仏様は生きていらっしゃって、そのあなたの求めに応じて下さる。

でも、助けて下さいと願わなければ、
仏様もお節介は焼けないですから、
助けようも動きようもないのです。

先ずは、
ご本尊様のいらっしゃる阿含宗を訪れてみて下さい。
必ず、解決の道が開かれるのです。
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成仏するとは?

2025年03月03日 06時45分03秒 | 仏教
馬鳴(アシュバゴーシャ)だったか、
成仏をローソクの火が消えるように、
後に何も残らない状態だと、
言ったとか言わないとか。

とにかく、
成仏するとは、煩悩が掻き消されるように、
ローソクの火が消えたような状態なのだと、
一般的に考えられていた。

今、洗い出しによって、
抑圧意識(煩悩)が開放されてみると、
これが成仏するということなのだと分かる。

大乗仏教では成仏出来ないので、
分からなかったのだろうが、
やはり、お釈迦様の仰られたように、
無始の昔より輪廻しつづけてきて、
そこで作って来たところの,
カルマから生じるところの、タンハーを解消することによって、
浄化されていく。

それが成仏というところの、存在の状態なのだ。
それを究極の状態にまで進めることで、
完全なる成仏が得られるのだ。

苦しく辛い試練を経て、
師を恨んだこともあったが、 
今は本当に感謝している。

ここまでやってきて良かった。
そう思う。

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聖者の条件!

2025年03月01日 18時46分20秒 | 仏教
大事なことは、
自分の枠を超えていく意思だと思うんです。
自分の枠を超える、
気概というようなものが必要だと思うんです。

ある方が相談に見えました。
というか、
ある考えを私に求めてきたというか、
希望を述べてきたというような。

それを聞いていれば、
ある組織に対する不満があるわけですね。
で、このままでは、
遠くない将来に人々が離れていくだろうという。

まあそうかもしれないとは思いながら、
実際にその不満を、私が直接聞いたわけではないので、
私が代わりに代弁するわけにもいかず、
「では、あなたが人々の声を代表して、
その不満を質問の形式でお尋ねすれば良いのではないですか?」

そうお答えしたんです。
そうすると、
「やはり、祈りで解決したいです」
ということで、
その方は、私が受けなかったのもあって、
自分では代表質問というようなことはされませんでした。

でも、このところ、
この方には何度もそういうチャンスが来ているんです。
それは「自分の殻を破るチャンス」です。

人々のために、自分が犠牲となって、
人々の疑問や悩みに答えるべく、質問をする。
そういう自らを犠牲にした行為です。

やはり、

何かと自分が損失するのではないかという、
自己防衛の心が働くのは、いわば当然かもしれません。
しかし、
この疑問や悩みそして不満が、
このまま人々の心に渦巻いていては、
やがては、不信感を大きくして、
その組織から離れていくきっかけになっていかないとも限らないわけです。

実際少なくないですよね、
そういう形でその組織をやめていく人は。
だからといって、
私が代わりに、その代表質問をしたとしても、
何にもならないんです。

それは、その人の問題であって、
その人の修行を進める上に来ている壁なんです。
その方が次の段階に進めていくためには、
今の問題を乗り越える必要があるわけです。

それはその人の心に巣くうところの「疑念」です。
疑いの心が、今、渦巻いているわけです。
不満の心は、疑いの心を呼び起こして、
今、この方は、大きく揺れ動いている。

別にグループを作って、
そこで新しく活動していこうか?
そう思っているのかもしれないわけです。

なぜならば、
今年は、「天下同人」の卦が出ていますから、
同じ気持ちを持つ人が集まって、旗上げをする。

そういうような動きです。
それが出ていますから、
次の動きが予想されるわけですね。

そうなると、
結果的に、
その組織を離れるという形が出てくるわけです。

それはせっかく正しい道を歩んでいる者からすると、
とても残念なことですよね。
「去る者は追わず!」なんて、
格好の良いことを言うものがおりますが、
爪楊枝を咥えた貧乏侍のようなことを言うんじゃないよね。

私たちは、心から信じる者のために行動しているわけです。
それを忘れてはいけない。
そう思うんです。

だから、
自分をかわいがるのは当然としても、
自分が傷ついても構わないという、
ある覚悟は必要だと思います。

だから、
それは厳しい「供養行」に現われていますよね。
供養行は、自分を捨てる行です。
それにある意味耐えることは自分をこぇることです。

それが大きな因縁解脱の推進力になるのです。
自分を超えること。
それが聖者への大きな力となるのだと思います。

ただ、
無いものはないわけですから、
それでも無理に出せとは言わないし、
する必要はないと思います。

私たちの生活があるわけですから、
子供だっているだろうし、
いろいろと必要なものもあるでしょう。

だから、
無理はする必要はないんですよ。
無いものはないと、自分の心に言い聞かせれば良いと思います。

修行は長いんですから、
長く続ける必要がありますからね。
それは因縁に負けるな!ということだと思うんです。

そこを履き違えないようにしてもらいたいなと思うんです。
自分にも因縁にも負けないでね!
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