大事なことは、
自分の枠を超えていく意思だと思うんです。
自分の枠を超える、
気概というようなものが必要だと思うんです。
ある方が相談に見えました。
というか、
ある考えを私に求めてきたというか、
希望を述べてきたというような。
それを聞いていれば、
ある組織に対する不満があるわけですね。
で、このままでは、
遠くない将来に人々が離れていくだろうという。
まあそうかもしれないとは思いながら、
実際にその不満を、私が直接聞いたわけではないので、
私が代わりに代弁するわけにもいかず、
「では、あなたが人々の声を代表して、
その不満を質問の形式でお尋ねすれば良いのではないですか?」
そうお答えしたんです。
そうすると、
「やはり、祈りで解決したいです」
ということで、
その方は、私が受けなかったのもあって、
自分では代表質問というようなことはされませんでした。
でも、このところ、
この方には何度もそういうチャンスが来ているんです。
それは「自分の殻を破るチャンス」です。
人々のために、自分が犠牲となって、
人々の疑問や悩みに答えるべく、質問をする。
そういう自らを犠牲にした行為です。
やはり、
何かと自分が損失するのではないかという、
自己防衛の心が働くのは、いわば当然かもしれません。
しかし、
この疑問や悩みそして不満が、
このまま人々の心に渦巻いていては、
やがては、不信感を大きくして、
その組織から離れていくきっかけになっていかないとも限らないわけです。
実際少なくないですよね、
そういう形でその組織をやめていく人は。
だからといって、
私が代わりに、その代表質問をしたとしても、
何にもならないんです。
それは、その人の問題であって、
その人の修行を進める上に来ている壁なんです。
その方が次の段階に進めていくためには、
今の問題を乗り越える必要があるわけです。
それはその人の心に巣くうところの「疑念」です。
疑いの心が、今、渦巻いているわけです。
不満の心は、疑いの心を呼び起こして、
今、この方は、大きく揺れ動いている。
別にグループを作って、
そこで新しく活動していこうか?
そう思っているのかもしれないわけです。
なぜならば、
今年は、「天下同人」の卦が出ていますから、
同じ気持ちを持つ人が集まって、旗上げをする。
そういうような動きです。
それが出ていますから、
次の動きが予想されるわけですね。
そうなると、
結果的に、
その組織を離れるという形が出てくるわけです。
それはせっかく正しい道を歩んでいる者からすると、
とても残念なことですよね。
「去る者は追わず!」なんて、
格好の良いことを言うものがおりますが、
爪楊枝を咥えた貧乏侍のようなことを言うんじゃないよね。
私たちは、心から信じる者のために行動しているわけです。
それを忘れてはいけない。
そう思うんです。
だから、
自分をかわいがるのは当然としても、
自分が傷ついても構わないという、
ある覚悟は必要だと思います。
だから、
それは厳しい「供養行」に現われていますよね。
供養行は、自分を捨てる行です。
それにある意味耐えることは自分をこぇることです。
それが大きな因縁解脱の推進力になるのです。
自分を超えること。
それが聖者への大きな力となるのだと思います。
ただ、
無いものはないわけですから、
それでも無理に出せとは言わないし、
する必要はないと思います。
私たちの生活があるわけですから、
子供だっているだろうし、
いろいろと必要なものもあるでしょう。
だから、
無理はする必要はないんですよ。
無いものはないと、自分の心に言い聞かせれば良いと思います。
修行は長いんですから、
長く続ける必要がありますからね。
それは因縁に負けるな!ということだと思うんです。
そこを履き違えないようにしてもらいたいなと思うんです。
自分にも因縁にも負けないでね!