玉川な日々

一日の疲れは玉川に流して・・・

「現代人の悟り」-(10) 否定の哲学

2013-05-18 22:06:38 | 日本人の悟り
 大袈裟にいえば、その国のGDPは智慧と煩悩を合わせた大きさ( Gross national amount of Desire and Passion ) とも言えます。その国がまともに経済成長をするためには、智慧により煩悩を良質な妄想にかえることが必要となりまする。故に、義務学校では煩悩をおさえて妄想を良質に膨らませる競争の仕方を主に教えます(笑)。

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さて、本題。仏教、大乗教の底流にある基本は「否定の哲学」といっていい。般若の論理は

山は山だというのは、山は山ではない。
故に、山は山である。

である。山は例えであり、すべてにおきかええる。肯定は否定で、否定は肯定であると、煩わしい論理を使うのはなぜか?

説明もややこしいので結論をいうと、この矛盾を考えられ、受け入れられるのが人間の人間たるゆえんであり、犬や猿と違うところだ。

欲望のままに行動するなら、動物とおなじだ。動物とおなじように煩悩のまま生きることは容易だが、動物のまま生きたのであれば、あの世にいくときお経をあげてもらっても意味さえ知るよしもない。

そのため、禅宗では修業として、その矛盾を否定から問うのでる。

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煩悩に振り回されて生きる人間に、煩悩とは何かを問うてもはじまらない。

煩悩が何かさえ知らないのだから。お経を聞いても悩みはなおさらに深くなる。


参照
1)「日本的霊性」鈴木大拙著、角川ソフィア文庫