空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『きらん風月』

2024年02月22日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

昨年、「木挽町のあだ討ち」で直木賞を受賞した
永井紗耶子の受賞第1作。
産経新聞に連載された。

「きらん」とは、
栗杖亭鬼卵(りつじょうていきらん 1744 -1823年)のこと。
江戸時代の浮世絵師、戯作者。

江戸幕府の老中職を退いた松平定信
旅先の掛川で雨のため大井川で足止めをされた際、
側近から「東海道人物志」の筆者が、


近隣の日坂宿(にっさかしゅく)で煙草屋を営んでいる、
ときいて、興味を持ち、
お忍びで出かけて、
鬼卵の16、7の頃から75歳までの
生涯を聞く、という形を取っている。

陣屋の手代であった父から
「楽しいことをせい」と薫陶を受けた伊那文吾(後の鬼卵)は、
狂歌作者である栗柯亭木端(たっかていぼくたん)の弟子になり、
研鑽中、狭山の北条家の御家騒動を目撃し、
若い暗愚の主君のせいで
忠臣が腹を切らされる理不尽に怒りを覚える。
その顛末を書いた「失政録」が鬼卵の最初の著作となった。
この事件が鬼卵の反骨精神を育んだものと思われる。

ある日、師匠から筆を握れと命じられ、
「筆は卵や。
 ここからは武者も美女も神仏も出る。
 それが人の心を躍らせ、救いもする。
 せやけどここからは、鬼も蛇も出る。
 それは思いがけない形で暴れ、人を食らいもする」
と言われる。
これが「鬼卵」の命名のいわれ。
この言葉は生涯鬼卵を縛り、
「自分は卵を孵らせていないのではないか」と悩む。

夜燕(やえん=蝙蝠の意味)という妻をめとり、
三河吉田で一緒に過ごし、
妻を病死で失い、悲嘆の日々が続く。
飢饉にも出会い、民衆の悲惨な姿に心を砕く。
そんな時、ある女性から与えられた言葉。
「物を思い、考え、書き、歌う。
 それは人が人である証。
 食うことのためだけに生きるわけではない。
 そのことが、己を支える誇りにうなります。
 荒地にあってこそ、
 歌も絵も書も、
 潤いの滴となりましょう」

木村蒹葭(けんか)上田秋成円山応挙らとの親交も描かれる。
また、伊豆韮山の代官、江川英毅との深い交流も。
そこで描いた三嶋大社の祭りの絵は、
「東海道名所図会」にも収録される。

鬼卵が求めたものは、
自由自在の境地。
その行き着くところが、
辺鄙な宿場での煙草屋だった。
「生まれた地にも、
 親兄弟にも縛られず、
 自らが仕えたい者に仕え、
 志のままに生きる」

寛政の改革で天下人となった
元老中・松平定信と鬼卵の会話が味わい深い。
身分も考えも正反対な二人の問答は、
読み手の人生をも問いかける。
「忠義」ということを言われ、鬼卵は、こう言う。
「何分、仕官しておりました折にも、
主の顔なぞ見たことがございません。
さすれば、有難いのは禄のみ。
それもさほどのものではございませぬ故、
さて、何に忠義を尽くしましょうや」
また、こうも言う。
「君臣としてではなく、人として信ずる。
 それは忠義より強いとは思われませんか」
定信は、鬼卵に
「その方、余が何者か知っているのか」と問うと、
鬼卵は、こう言う。
「いいえ、お忍びでいらしているからには、
 気づいても気づかず、
 見ても見ずが粋人でございましょう」
鬼卵の話は、定信のなした政(まつりごと)への批判にも及ぶ。
それは、老中退任後も、
後継者の息子の政に口出しし、
疎んじられている定信の心に刺さるものだった。
ついに定信は、
「その方は、老中であった松平定信という者をどう思う」
と訊いてしまう。
それに対して鬼卵は、障子に書かれた歌を示す。


「世の中の 人と多葉粉(たばこ)の よしあしは
 煙となりて 後にこそ知れ」


別れの時、定信は、
こんな小さな店の老爺の言葉に、
天下人であった己が耳を傾けるとは、
つい数日前までは思いもしなかった、
という感慨を抱く。
最後に定信は鬼卵に言う。
「そうさな。
 共に風月を愛で、人生を楽しむとしよう。
 煙となって後に会おうぞ」

小説の最後は、こう結ぶ。

文化十五年の春の終わり、
花びらの舞う日坂宿の街道で、
戯作者栗杖亭鬼卵と風月翁松平定信は、
ひとときの邂逅の後、
静かにすれ違って行った。

戯作者と権力者の邂逅を通じて、
人の生き方を問う、
なかなか味わい深い本だった。

 


チームラボ in 麻布台ヒルズ

2024年02月21日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日の麻布台ヒルズ訪問の目的の一つ、
チームラボ・ボーダレス

チームラボ株式会社(teamLab Inc.)は、
デジタルコンテンツ制作会社。
2001年に東京大学と東京工業大学の大学院生ら5名によって設立。

様々な事業を行っていますが、
デジタルアートが有名。

照明、デジタル映像、コンピューターを駆使し、
「今まで見たことのないもの」を見せてくれる美術館。

2018年6月21日に
お台場のパレットタウンでオープン。
2019年に219万8284人の来場者数を記録し、
「単一アート・グループとして世界で最も来館者が多い美術館」
としてギネス世界記録に認定されました。
訪日客の来場者も多く、
これまでに160以上の国と地域の人が訪れています。

他に、
有明、シンガポール、ドバイ、愛知・中部国際空港、
マカオ、福岡、大阪、原宿にも常設館があります。

パレットタウンの全館閉館に伴い
2022年8月31日をもって営業を終了。
2024年2月9日からは
麻布台ヒルズガーデンプラザBの地下1階に移設して開業。


パレットタウンで展示されていた作品に加え、
新作や日本未公開作品も多数用意されています。

名称の”Borderless”には、
「作品と作品」「作品と鑑賞者」「自己と他者」の境界をなくし
鑑賞者も作品の一部となって溶け込んでいくという
想いが込められており、
「境界のない一つの世界の中で、
さまよい、探索し、発見する」をコンセプトとしています。

これが入口。
正面から、このように見える文字も、


視点をずらすと、このとおり。

後ろから見たところ。

予約制で、30分ごとに時間指定。

スマホのQRコードをかざして入場します。

ロッカーに荷物を預けてて身軽に。

地下に降ります。

「マップなし」がコンセプトなので、
暗い会場をうろうろと彷徨い、
数々の部屋を訪れます。

以下、暗いので、
私のデジカメでは限界がありますが、
ご覧下さい。

「鳥獣戯画」の登場動物たちが行列。

これは、光の祭典。

これは新作。

マップがないので、見落とす部屋も。

ここ↓もあやうく訪れ損ないました。

千個以上あるライトが作る光の造形。

ここが一番大きい部屋。

お台場では、この部屋を見逃しました。

刻々と変わる、光の競演。

見ごたえがあって、いつまでもいられます。

最後に、拝借写真を。

一度、行ってみて下さい。


小説『隣人を疑うなかれ』

2024年02月19日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

殺人事件が起こる。
都内、千葉県、神奈川県と
別々の場所で、若い女性が襲われた。

千葉県のアパートの漫画家・土屋萌亜が、
神奈川県の被害者の写真をテレビで見て、
前に、近所のコンビニで見かけた人で、
隣のマンションに入って行ったことを思い出す。
しかし、人違いかもしれない。
土屋は隣人の雑誌ライター、小崎(こざき) 涼太にそれを話す。
小崎は、隣のマンションに住む姉の今立晶(あきら)に話す。
晶は親しい加納彩に話す。
彩は刑事の妻で、マンションの理事長をしているので、
管理人の寺内に防犯カメラの録画を見せてもらえる。
しかし、記録の映像は一週間で上書きされてしまうので、
証拠にはならないと分かる。

そうこうしている内に、
萌亜が襲われ、失踪してしまう。
目撃者として始末されたようだ。

涼太の調べで、
神奈川の被害者が、
萌亜の言ったとおり、
髪の下半分がピンクだったことが分かる。
萌亜の目撃は正しかったのだ。

マンションが事件現場であることが色濃くなったが、
警察の協力は得られないため、
涼太、晶、彩の三人が事件を捜査することになる。
一人住いの男性で、
車を持っている何人かをターゲットにするが、
どんどんシロが判明していく。

その一方、バラバラだった殺人が
連続殺人だった可能性が高まる。
というのは、前の被害者の持ち物(靴や時計)が、
次の被害者の身につけさせられている、
ということが判明したからだ。
しかも、前例があった。
26年前、やはり連続殺人で、
前の被害者から奪った遺品を
次の被害者の身につけた、
という事件があったのだ。
しかも、犯人は捕まっていない。
5人を殺した犯人は
後で「スタイリスト」と名づけられた。

模倣犯の可能性が高まり、
しかも、前の連続殺人の最後の被害者の風貌が
彩に似ている、というおまけまでつく。
模倣犯ではなく、犯人本人の仕業かもしれない。
そんな中、マンションの一室を訪ねた晶は、
そこに、萌亜のもののイヤリングを見つけ・・・

自分のマンションに
殺人犯が住んでいるかもしれない、
という設定は面白い。
日常に生じた一点の疑いが
じわじわと広がって心をかき乱す、なかなかの趣向。
帰宅途中の晶のあとを
黒パーカーの男に着けられる位というサスペンスもある。

一旦犯人は捕まるが、
涼太の持つ疑問が
明かされる最終章は、
ほーと驚かされた。
なるほど、そうだったのか、
という、ミステリを読む楽しみを味あわせてくれる。
そう思って振り返ると、
プロローグをはじめ、
様々な伏線が用意されていたことに気付く。

複数の人間の一人称で書かれているのだが、
途中で人間が変わるし、
誰の視点なのか判然としない点は読みにくい。
また、一人称の語りて視点の人物が殺される、
というのは、あまりないのではないか。

作者の織守(おりがみ)きょうや(女性)、
ちょっと注目したい。


映画『幸福の黄色いハンカチ』

2024年02月18日 23時00分00秒 | 映画関係

[旧作を観る]

山田洋次監督、高倉健主演による
1977年の映画。

公開当時観ているが、
今回再見するきっかけになったのは、
産経新聞の武田鉄也ロングインタビュー

これは、
各界の著名人に対する単独インタビューを
1か月間にわたって掲載するもので、
30日分あるから、
他のインタビューでは出て来ないような詳しい話が聞ける。

武田鉄也インタビューも、父親に関する話、母親についての話、
高校時代、「海援隊」結成、当時の音楽事情、
「母に捧げるバラード」のヒット、
金八先生への出演などの興味深い話の中に、
「幸福の黄色いハンカチ」出演の時の逸話が出て来る。
突然の抜擢で、映画作りの右も左も分からず、
カチンコが鳴ったら演技をするということさえ知らず、
始めのうちスタッフから馬鹿にされていたが、
やがて、山田監督の目の色が変わる。
既存の俳優にはない、
意表をつく新鮮で自然な演技に驚かされたのだ。
「監督は、君しか観ていない」と高倉健に嫉妬されるほどに。
ある時(柔道をしてガニマタになった、と蟹の足を持って言うところ)、
武田の演技に山田監督が吹き出し、
その音が録音が拾ってしまい、
撮り直しになったという。
この時、録音の人が
「役者に失礼だ、謝れ」と言って、
山田監督が謝罪したという。
「巨匠」になる前の46歳の時。
監督より技術者の方が偉い時代があったんだね。

というインタビューを観て、
どんな映画だったかな、
とツタヤディスカスで借りて再見。

あらすじは今更説明するまでもないが、
北海道旅行をする、いきずりの男女に
刑務所を出所したばかりの男が合流。
その男が別れた妻に
「もしまだ一人暮らしで、
 俺のことを待っててくれているなら、
 鯉のぼりの竿に黄色いハンカチをぶら下げてくれ。
 もしそれがなかったら、
 俺はそのまま引き返して、
 二度と夕張にはに現れない」
というハガキを出したという、
男の話を聞いて、
あとずさりする男を励まして、
夕張に向かう三人。
家の側まで来て、
満艦飾の黄色いハンカチを発見し、
家に向かう男と、迎える妻。
軽薄な若い男女は、
初めて人生の重さに触れたのだ。

泣いた
1977年当時、私はまだ30歳の若造。
人生の重さなど、まだ知らなかった。
それから40年以上過ぎて、
人の絆、夫婦の愛の深さ、人生の味わいを
感じられる年齢になっていたようだ。

高倉健が抜群にいい。
私は任侠映画が好みではなかったので、
全く観ていない。
その健さんの、男の哀愁を漂わせた演技の素晴らしさ。
そして、妻役の倍賞千恵子は、
この人以外、この役をやれる人はいないだろうと思わせる。
そして、当時売り出し中の桃井かおりと、
全くの新人、武田鉄也の新鮮な演技。

原作は、1971年に「ニューヨーク・ポスト」紙に掲載された
ピート・ハミルのコラム「Going Home」。
同じ題材でドーンの歌った「幸福の黄色いリボン」がある。

山田監督は製作にあたりピート・ハミル側と交渉したが、
代理人によると、ハミルは
日本の電気製品がアメリカ市場を荒らしているとして
日本に好意を持っておらず、
作品の上映は日本国内限定で
海外に出すことは絶対に認めないとの
厳しい条件つきで承認を得た。
封切り後、高い評価を得て
いくつかの賞を受賞したことから
配給の松竹は海外への輸出を考え、
ハミルに認めてもらうため
山田監督がニューヨークに出向いて映写会を開いた。
字幕もなく通訳が要点を説明するだけだったが、
鑑賞したハミルは「ビューティフル」と称賛し
喜んで輸出に賛成したという。

というのは、Wikipediaからの情報。

他にもWikipediaには、
「男はつらいよ」撮影の合間に、
倍賞千恵子が、「幸せの黄色いリボン」を口ずさんでいて、
それを聞いて監督が質問して
歌の内容を教えてもらったのがきっかけだった、とか、
ラストシーンでハンカチが風になびくシーンは、
大型扇風機を準備して撮影に挑んだが良い絵が撮れず、
3~4日かけて自然の風を待ち、撮影を行った、とか、
刑務所から出てきたばかりの高倉健が、
食堂でビールを飲み干し、
ラーメンをむさぼるように食べる場面では、
高倉は実際に2日間何も食べずに、
この撮影に臨んだ、とか、


当初若い女性役は山口百恵を想定していたが、
スケジュールの調整がうまく行かず、
出演を断られたため桃井かおりに決まった、とか、
撮影秘話が沢山掲載されている。

このDVDには
公開の25年後の2002年、
夫婦の家とハンカチを夕張市が保存している
「幸福のハンカチ 想い出ひろば」を


山田監督が訪れた時のインタビューを収録、
その中でも、いくつか撮影秘話が紹介されている。
撮影当時、武田は仮免中で、
運転が恐ろしくヘタだったので、
ロングで撮る場合は、
背格好などが似た小道具スタッフが鬘を付け運転したという。
(武田が実際に運転免許を取得したのは、
 およそ20年後の1996年8月だった。)
DVDには、映画の中で夕張市内を車が走るシーンと
同じ場面を連動させて、
25年後の夕張の街を写す。
映画の中では家があったところは、
今は家もなく、
炭鉱の街の衰退を表している。

勇作(高倉)と光江(倍賞)の再会シーンは、
近づいていく勇作に気づいた光江が
涙目で勇作をみつめるのが、
唯一の寄りのカットで、


後は終始ロングの映像
二人は見つめ合い、
勇作がハンカチを見上げ、光江がうつむいて泣きだし、
勇作がその肩を押して家の中に入っていく、
絶妙なカット割だが、
ここの場面で、欧米の観客は、フフフと笑うという。
欧米人なら、抱擁し、キスするところを、ただ、見つめ合うだけ。
日本人って、こうなのね、という笑いだ。
英国でこの映画を観たインドネシアの監督が、
同じアジア人として、
よく分かる。
インドネシア人も、映画と同じ反応だ、
と言ったという、山田監督の話。

なお、Wikipediaには、
編集担当者の
「やはり、ここで観客が一番観たいのは、
 ずっと待っていた妻の顔なのでは」
という意見を聞き入れ、
倍賞のアップのワンカットのためだけに、
倍賞と少数の撮影スタッフだけで夕張での追加ロケを行った、
という話が紹介されている。

当時、山田監督は年に2本「男はつらいよ」を撮っており、
お盆映画と正月映画の合間に
この「幸福の黄色いハンカチ」を撮った苦労話も
インタビューで語っている。
「この作品でやり残したことはありますか」
という質問に対して、
ラストの武田と桃井のキスシーンは、
もうちょっと別な撮り方はできなかったか、
とあげている。
私もそう思う。
あそこは、桃井が武田の肩に頭を乗せるだけで十分だと思う。

映画は、1977年10月1日に公開され、
第1回日本アカデミー賞をはじめ、
その年の映画賞で、
作品賞、監督賞、脚本賞、
主演男優賞、助演男優賞、助演女優賞を
文字通り、総ナメ
この作品をきっかけに
武田鉄也は俳優はしても大成した。

1981年、タイで、
2008年、アメリカでリメイクされている。


テレビドラマにもなった。

「男はつらいよ」以外、
山田監督は苦手の私だが、
本作は、名作と呼んでいいと思う。

 


麻布台ヒルズ

2024年02月17日 23時00分00秒 | 名所めぐり

つい先日、ここへ。

早咲きの河津桜が咲いていました。

目的地は麻布台ヒルズ

東京都港区麻布台一丁目・虎ノ門五丁目・六本木三丁目に
作られた複合施設。

区域面積は約8.1ヘクタール、
敷地面積は約6万3千900㎡、
延床面積は約86万㎡。

元は日本郵政グループ飯倉ビルと周辺の住宅街で、
地権が非常に複雑で
着工までに長い年月を費やしました。

1989(平成元年)に「街づくり協議会」を設立し、
2017(平成29年)に都市計画決定され、
2018年(平成30年)3月、
東京都がこの再開発の事業組合の設立を認可し、
2019年(令和元年)8月5日に着工。
2023年6月30日に竣工し、
7月3日に竣工式。
2023年11月24日開業。
総事業費はおよそ5792億円。
デベロッパーは森ビル。

麻布台ヒルズは森JPタワー
レジデンスA/B、                               ガーデンプラザA/B/C/D                          で構成されています。

森JPタワーの高さは325.19m (地上64階、地下5階)で、
大阪市のあべのハルカス(高さ300.0m)を抜いて
日本一高い超高層ビル。


オフィスのほか、住宅、医療施設、商業施設、
インターナショナル・スクールも併設されています。

2棟のレジデンスは住宅主体の高層ビルで、


Aは地上54階、地下5階、高さ237.20m、総戸数約330戸。
Bは地上64階、地下5階、高さ262.82m、総戸数約970戸。
Aは地下に商業施設、1階~13階にホテル「ジャヌ東京」、
14~54階に住宅。
販売開始は2024年春頃。
Bは他のビルと同時に開業する予定でしたが、
工程遅延により、竣工予定日は2024年6月30日までずれ込み。

ガーデンプラザは3~8階建ての建物4棟から成っています。

森JPタワーとガーデンプラザの間に
面積約6千㎡の中央広場が設置されています。
東京ドーム1.7個分の面積は、
約3分の1が緑化

川が流れています。

小山の上には、

果樹園もあり
ミカン等11種類の果物は
誰れでも採っていいといいます。

といっても、通常は開園していないようです。

麻布台ヒルズのコンセプトは、
「緑に包まれ、人と人をつなぐ「広場」のような街」
自然と調和しながら、人間らしく健康的に生きられる。
そんな新しい都市の豊かさを、世界に先駆けて東京から提案していくといいます。

カルチェもじきに開店。

マーケットもオープンを待ちます。

森JPタワーに入ってみます。

33階の展望台は無料。

行列が出来ています。

このエレベーターで上へ。

あっという間。

展望台。

東京タワーが間近に。

夜景は、こんな感じ。

階段を上に登ると、

カフェがあります。

上から見たところ。

森JPタワーの54~64階のアマンレジデンス東京は、
各戸に専用のエレベーターが直結し、
居住者はラウンジやバー、
専用シェフがサービスを提供するプライベートダイニング、
15メートルのプールを併設するスパなどの専用施設を利用できます。
最上階にあるペントハウス3戸のうち、
2戸は価格が200億円以上するといった報道も出ており、
日本最高額の分譲住宅。
2戸が既に売約済みで、いずれも日本人が契約しているといいます。

脇にあるのが、タワープラザ。

小池があります。

エスカレーターで上へ。

美しいフォルム。

上には、お店が。

書店もあります。

ファミリーマートも。

クリニックも沢山。

ガーデンプラザBへ。

お目当ての店、ヒサヤ京都

モンブランを頼むと、目の前で作ってくれます。

これは何かと思ったら、

ホットケーキの上にモンブラン。

大変美味でした。

この後、チームラボに向かいますが、

それは、また、後日。