空飛ぶ自由人・2

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護国寺

2023年12月24日 23時00分00秒 | 名所めぐり

先日、有楽町で映画を1本見た後、
有楽町線に乗って、この駅へ。

駅名のとおり、外に出ると、
すぐに護国寺仁王門があります。

徳川将軍の祈願寺としての伽藍の中で、
重要な表門。

真言宗豊山派の寺。


神齢山悉地院大聖護国寺と称します。

天和元年2月(1681)、
五代将軍徳川綱吉公が、
その生母、桂昌院の発願により開山したもの。
震災、戦災と二度の大災害に襲われた東京の都心にありながら、
生き残り、
江戸の面影を今に伝えています。

門の中はかなり広い。

階段を登って不老門へ。


階段があるということは、
つまり、山の上に建てられたお寺です。

階段の手前に「音羽富士」という富士塚があります。


富士塚とは、富士山を模して人工的に作られた塚のことで、
古来から続く富士山信仰の象徴的な存在。
都内には大小50近くの富士塚が存在しますが、
お寺の境内にある富士塚はここ護国寺のみ。
あっ、浦安にも「浦安富士」あります。
富士塚じゃありませんが。

これが音羽富士の入り口。


狭い山道を登ると、

ここが頂上。


「富士浅間神社」の小さな祠があります。

標高は7m程度。

頂上からの眺め。

童謡の歌碑もあります。

1番が有名ですが、
2番は「めえめえ山羊さん」
3番は「迷子の鳩さん」
4番は「きつねの赤ちゃん」
の歌。

元の不老門に戻ります。

昭和13年(1938)4月建立、三尾邦三氏の寄進。
様式は京都の鞍馬寺の門を基本に設計されたもの。

山門に「不老」の文字が。

 

徳川家達公の筆によるもの。

上から見た景色。

これが本堂の観音堂

元禄10年(1697)正月、観音堂新営の幕命があり、
たった半年の工事日数でこの大造営を完成し、
同年8月落慶供養の式典が挙げられました。
明治16年、大正15年と二度の火災で
堂宇の多くを失いましたが、
観音堂は焼失を免れ、
元禄以来の姿を変えていません。
元禄時代の建築工芸の粋を結集させたものであり、
その大きさは都内最大級の木造建築物。
国の重要文化財にも指定されています。

御本尊は如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつぞう)。

六本の手によって、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の
六つの世界をそれぞれ救うことを表しています。
名前の由来は、御姿にあり、
一つの右手には、意のままに様々な願いをかなえる宝の珠である如意宝珠を持ち、
一つの左手には車輪が回り続ける様に、
仏教の教えが尽きる事無く世界に巡ることを現わす輪宝を持つ、
この如意宝珠と輪宝とを持ち合わせているので
如意輪観世音菩薩と称されています。
右膝を立てて左の足の上に乗せ、
一つの右手を頬に当て首を傾けて思惟相を示し、
どのようにして苦しんでいる衆生を救おうかと思い巡らすことを表し、
お顔には慈悲深い表情をたたえ、
温かいまなざしで衆生を見守り続けています。

お釈迦様の像。

多宝塔

昭和13年4月建立、
塔は石山寺の多宝塔(国宝)の模写。
近代的な建築手法と伝統的な装飾が融合した美しい建築物です。

月光殿

護国寺境内でも特に古い歴史を持つ建物。
大津市・三井寺の客殿を昭和3年(1928年)に現在の場所へと移築。
建築されたのが桃山時代と最も古く、
日本の伝統的な建築様式のひとつ「書院造り」を伝える建物として
貴重な価値があります。
国の重要文化財に指定されています。

薬師堂

元禄4年(1691)の建立された歴史的価値のある建物。

忠霊堂

明治35年(1902)秋の建立。
日清戦争で戦死された軍人の遺骨を埋葬。

霊廟

平成8年(1996)9 月完成、10月に落慶。
地下3階1672基の納骨室と遺骨を合祀する納骨所を完備。

ここの墓地には、


山県有朋や大隈重信らのお墓があるそうですが、


三条実美のものしかみつかりませんでした。

裏側から見た本堂。

鐘楼

伝統を重んじた格式の高い袴腰付重層入母屋造りの形式で
江戸時代中期の建立。
都内では同種のものがほとんど現存していないという貴重な文化財。
梵鐘は、天和2年(1682)に寄進されたもので
銘文には五代将軍綱吉の生母桂昌院による観音堂建立の事情が述べられ、
護国寺が幕府の厚い庇護を得ていたことを示す貴重な歴史資料。

大師堂

元禄14年(1701)に再営された旧薬師堂を、
大正15年以降に大修理し現在の位置に移築して大師堂にしたもの。

一言地蔵

願いを一言だけ聞いてくれるという、お地蔵様。

身代わり地蔵


厄除けにご利益があることで有名なお地蔵様。

桂昌殿

多目的な葬祭場として建築されたもの。

総門から退出しました。

音羽通りに面するもうひとつの表門で、
徳川綱吉と桂昌院の御成のために建築された格式の高い門です。

存在は知っていましたが、初めて訪れた護国寺。

別世界でした。

日本のお寺を訪問すると、
その静けさと美しさに感動します。

最近、中国人観光客にも「日本のお寺巡り」が大変人気のようです。
お寺に行って「自然を感じ、癒される」と。
中国にもお寺はありますが、
癒しを求めるには、中国のお寺は「にぎやか」過ぎます。


多くの人々が行き交い、寺院の中が市場のようであり、
瞑想や祈りを捧げるには少しばかり音が過剰です。


その点、日本のお寺は多くの場合、基本的に静かな場所が多く、
心安らかに過ごしたいと思われている中国人観光客にとって、
「理想の癒し」を得るにはピッタリの場所であるようです。

中国は歴史上、王朝が変わるごとに多くの建築物が破壊され、
新しい王朝のものとして様々なものが作り直されてきました。
紅衛兵の時代には、寺院の多くが破壊されました。
このような歴史があるために、
古き建築物がそのまま保存されている、
という状態に感動を覚えると言います。

中国人の中には、
文革期に仏教がつぶされ、
「私は日本に来てから仏教の素晴らしさを知った」
という人さえいます。

また、仏像は、他の仏教圏と比べても美しく、
日本人の持つ美意識によって洗練された姿です。


タイやミュンマーなどで見る仏像は
↓のようで、

とても日本人の感性には合いません。

寺院の美、再発見