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アカデミー賞のビンタ事件 

2022年04月15日 22時00分03秒 | 映画関係

3月27日夜(アメリカ時間)に開催された
アカデミー賞授賞式の最中に起こった「ビンタ事件」。

事件の経緯は、こうだ。
ドキュメンタリー映画部門のプレゼンテーターとして登壇したクリス・ロックが、

客席にいたウィル・スミスの奥さんの
ジェイダ・ピンケット・スミスの髪型を笑いのネタにした。
「『G. I. ジェーン2』で観られるのを楽しみにしてるよ」

ジェイダの髪形は、女性には珍しいスキン・ヘッド。


本語にすれば、坊主頭。

↓は、髪があった頃のジェイダ。美しい。

「G. I. ジェーン」(1998)は、
軍隊生活をしている主演のデミ・ムーアが、
男に負けないようスキンヘッドになって訓練に挑む話。

実は、奥さんのジェイダは、
自身が脱毛症の悩みを抱えていることを公表しており、
昨年12月には、症状を隠すことが難しくなったため、
スキンヘッドにすることをインスタグラムで発表していた。
そういう悩みを抱えている人のことを
知ってか知らずか
「G. I. ジェーン」にかこつけて、
笑いを取ったのだ。

実は、この発言の直後、ウィル・スミスは笑っており、
奥さんは浮かない顔。
その表情を見て、ウィル・スミスは
妻が侮辱されたと気付き、
壇上に上がってクリス・ロックを平手打ちし、
席についてからも
「オマエの汚い口で妻の名前を呼ぶんじゃない」
などと、
放送禁止用語を含めてクリスを罵倒し続けた。
その直後、テレビ中継の音声はオフになり、
放送も一時中断されるなど、現場は大混乱
最初はシナリオ通りのショーの一部だと思って笑っていた
観客席の俳優たちも、困った表情に。

この間、放送はされていないが、
アカデミーはウィル・スミスに退場を求めたものの、
ウィルが拒否。
楽屋裏では、ウィルを逮捕すべきかを警官と協議していたという。
何で会場に警官がいるんだ。

そして、事件は更なる展開に。
その数十分後、
ウィル・スミスが主演男優賞を受賞してしまったのだ。
スピーチでは、
受賞作の「ドリーム・プラン」で、
テニス選手のセリーナ&ヴィーナス・ウィリアムズ姉妹の父親、
リチャードを演じたことに触れ、
「リチャード・ウィリアムズは家族を守る人でした」と、
自分とリチャードを重ねるかのようにコメント。
アカデミーに対しても、先の振る舞いについて
謝罪とも取れる言葉を口にした。

で、授賞式閉会後、
ウィル・スミスの行為について、
話題沸騰。

翌日、ウィル・スミスが行為をSNSで謝罪
「クリス、私は公の場であなたに謝罪します。
私の行動は一線を超えていたし、間違っていました。
暴力はどんな形にせよ、有害で破壊的なものです。
昨夜のアカデミー賞授賞式での私の振る舞いは、
受け入れられるものでも許されるものでもありませんでした。
私に関するジョークはあなたの仕事の一環でしたが、
ジェイダの病気についてのジョークは私には耐えられず、
感情的に反応してしまったのです」
そして、アカデミーの会員を辞退、
追いかけるようにアカデミーが
「2022年4月8日から10年間、
アカデミー賞のいかなるイベントや番組の出席を、
直接であれバーチャルであれ、認めない」
という厳しい処分を下した。

なお、一部には、主演男優賞の剥奪、
という声もあったが、
そういう決定にはならなくてよかった。
投票は既に終わっており、
アカデミーの会員がウィルを主演男優賞に選んだ、
ということは尊重しなければならない。
選考結果は、「総意」という神のわざ、

神聖なものと考えなければ、
賞など存在の意義を失う。

この事件を巡るアメリカと日本の反応
ちょっとしたずれがあり、
比較文化論(それほど大げさではないが)として、
興味深いと思われるので、書いてみる。

まず、アメリカの世論は、
ウィル非難の一色。
「どういうことであれ、暴力はいけない」
という論調で一貫している。
アメリカ社会の暴力忌避の風潮は、
日本で考える以上だ。
また、アメリカ社会の同調圧力の強さもうかがえた。

それに対して、日本では
ウィルに対する同情論が見られる。

公衆の面前で自分の妻を笑いものにされた時、
へらへらと笑っていられるか、と。
特に、ウィルはジェイダが長年の間、脱毛症に苦しみ、
抜け毛に悩んだ挙句、頭を丸めるという選択肢を選んだ、
その苦悩の過程を身近で見ていただけに、
公衆の面前で妻を笑い物にされ、
黙っていられるわけがない、と。

つまり、ウィルも悪いかもしれないが、
そんな行為を引き出したクリスも悪い、と。

「喧嘩両成敗」の伝統のある日本でなら、
「あんなことを言って済まなかった」
「いや、カッとして手を出した俺も悪かった」
と双方が謝りあって、
カメラの前に握手をして、おシマイにするところだっただろう。

ところが、
アメリカではそうではない。
アカデミーの決定でも、
クリスの発言には無罪放免で、
アカデミー理事会は
「異常な状況下で冷静さを保たれたロック氏に深く感謝申し上げます」
と謝意を示している。
冷静に対応した
(つまり、暴力で応戦してかった)
クリスを賞賛さえしているのだ。

その背景には、アメリカには、
政治家や俳優や歌手などのセレブを
公衆の面前でこき下ろす文化があり、
何を言われても、彼らは抗弁できない、
という伝統が存在し、
判例もそれを後押ししている。
「ジョークはクリスの仕事」とし、
ジョークを笑って流せないウィルが大人気ないというのだ。

実際、アカデミー賞授賞式でも、
事件の前にもスミス夫妻はいじられていた。
司会者の一人のレジーナ・ホールが、
ハリウッドのセクシーな俳優たちの名前を挙げた後に、
「ダメね、みんな結婚してるわ。
あ、待って、ウィル・スミスがいるじゃない。
彼だったら、結婚しているけどジェイダは許してくれるみたいだし、
いいかも」
と発言。

というのは、ジェイダは2020年に
20歳年下のミュージシャン、オーガスト・アルシナと
不倫の関係だったことを認め、
2021年にはウィルも、
「結婚外で関係を持ったのは妻だけではなかった」
と、自分も浮気していたことを仄めかす発言をしている。
つまり、「オープンマリッジ」の夫婦として、
笑いのネタにされていたのだ。

この時は、スミスは、自分たちが自ら公言したことであり、
反応はしなかった。
が、何度も自分と妻を馬鹿にされるような発言をされて、
ウィルもイライラしていたのかもしれない。

今回の経過を見て、
アメリカでは、
クリスの言葉は、あまり問題にされていないのが不思議だ。
暴力はいけなくて、暴言は許されるという奇妙なダブルスタンダード。
日本では「言葉の暴力」と言われているが、
言葉の暴力には、言葉で返すべきで、
物理的暴力はいけない、ということだろうか。
そんなに「言葉の暴力」に対して、
アメリカ社会は鈍感なのだろうか。

(なお、ウィルは、グーではなく、平手で叩いている。
ビンタは警告の意味もあって、
拳骨とは違う、というのは、私だけらしい)

では、公の場でなかったら、どうなのか。
私的な会合で妻を侮辱されたら、
言葉では足りず、「鉄拳制裁」に及ばないのか。
また、クリスの言葉が
脱毛症に対してのものでなく、
もっとはっきりと障害者(不具者)に対してのものだったら、どうなのか。
抜け毛の苦しみは、身体的不具者よりも軽いから、
ネタにしていいとでもいうのか。
もし、ジェイダがクリスの言葉に傷つけられて、
自殺でもしたら、
世論は全く変わっていただろう。
言葉ひとつで人を殺すことだってできる
それくらいに言葉の破壊力も大きいはずなのに。

まだクリスは一言もジェイダに対して謝罪の言葉を発していない。
それを批判する風潮もない。
公式の場で、人の外見、その原因である病気に対して
ネタにしていいはずがない。
クリスはジェイダの病気については、
知っていたのか、どうなのか、言及していない。
知らなかったという説もある。
しかし、無知は、罪ではないが、恥ではある。
クリスの発言でスミス夫妻が深く傷つけられたのは
厳然たる事実で、
先に書いたように、
スミスは、
「ジェイダの病気についてのジョークは私には耐えられず、
感情的に反応してしまったのです」
と言っている。
知らない間に言葉で人を傷つけていることもあるのだと、
公の場で発言する人は自戒すべきだろう。

アカデミーは、ウィルの行為に対しては非難しているが、
クリスの言葉に対しては何も言わない。
クリスは2016年のアカデミー賞でも
アジア人を馬鹿にするような発言をして、
物議を醸した人だ。
そのような人物をプレゼンターに起用した責任もあるだろう。

他の司会者の発言も、出席者を揶揄するような発言も多かった。
そういう文化なのだろう。
しかし、アカデミーは、今後、
個人のプライバシーに関するものは発言しない、
という指針を示してもいいだろう。
アカデミーは、「ウィルの行為は式の品格を貶めた」というなら、
クリスの発言も「品格を貶めた」ものとして批判すべきだったのだ。

ネットで見た、次の意見が
最もアメリカと日本の違いを示している。


日本人で同じ事が起きれば
平手打ちした側は法的な制裁を受け
差別的な発言をした側は社会的な制裁を受けるだろう。
勿論手を出した側が悪いとなるのだが
侮辱罪と言う罪もあるし
拳で感情のままに何度も殴り付けると言うよりも
平手打ち一発なので、暴行と言うよりは
指導の範囲だと個人的には思うが
アメリカでは通用しない考え方なのだろう。