カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『武士の一分』

2010-12-13 05:05:05 | Weblog
 戦国時代のお話のようです。




 「われわれの部隊は、ある意味最前線ではなく


  出動機会は少ないが


  一年に一度


  大きな戦(いくさ)に立ち向かわなければならない。
 

  そのために綿密に慎重に準備を進めて欲しい。


  そして、戦う意欲を持ち続けていてほしい。


  われわれは、外様という立場にあるかもしれないが


  心して事にあたって欲しい。」





 ひとりのものがおずおずと申し出た。


 「この場で戦い続けることが難しくなりました。


  自らのお家の事情もあり


  常に助太刀することがかなわぬゆえこの部隊を離れることをお許し願いたい。


  しかし、いつでも参戦する所存であります。」


 たしかに最前線のように毎日戦うわけではないのだが


 人手は重要である。


 しかし、事情が事情のようなので


 こころよく送り出すこととした。




 数日後伝令がやってきた。


 「お伝えします。この度あなた様は最前線の騎兵隊の隊長に任命されましたので、お取り計らいいただきたい。」


 出番の要請にはよろこんではせ参じることにした。


 風の噂で


 あのお家の事情を理由にわが部隊を去ることとなった者が最前線に配属されることを打診され快諾したと聞いた。


 正直、どういうことなのか理解に苦しむ。


 戦の頻度は、わが部隊よりもはるかに多い。


 ましてや最前線である。中途半端な気持ちで立ち向かうことは、どのような事態を引き起こすのか考えるまでもない。


 同じ味方であることはまごうことなき事実であるので腹に落とそうと思うが


 ことのほか喉のあたりに引っかかっているような


 あまり気持ちの良くない状態が続いていた。




 そのような空気を察してか


 あるお方が声をかけてくださった。




 「そなたは、人数を集めたいのか、戦力を集めたいのか。」



 「戦力に育つことは可能では・・・。」と言いかけて


 頭の中の霧が晴れて


 喉もとに詰まっていた何かがとれる感覚に、はたとわれにかえった。


 そういうことだったのか。






 戦いの荒れ野には


 ただ


 木枯らしが


 寒々と


 吹いているばかりであった。


 何を思い悩むことがあろうか


 ここで立ち止まるわけにはいかないのだ


 次なる戦いのために


 準備をしなければならない。












 神に感謝。
Copyright© 2010 Luke8488

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