カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

『この日に彼は帰ってきた』

2010-11-21 18:18:18 | Weblog
 ぼくは、信じていた。


 1分、1秒も疑うことなく


 信じきっていた。


 そして、いつもいつも心にとめて


 祈っていた。


 教会まつりの朝に


 彼は、帰ってきた。


 おだやかな初冬の


 そして


 いつもにも増して人々でにぎわう教会に


 彼は、帰ってきた。


 ぼくは、こんなところにいるから


 会えないけど


 感謝の気持ちは


 伝わると思う。


 教会でのチカラの使い方や考え方について見習うことが多かった。


 歳もそれほど離れていないし、こどもの親だし


 一時期プータローをしていたときには、司教館でいっしょに働かせてもらったこともあったり


 頑固で、一本気で、伝えることに不器用なところがあったりして


 でも教会のことには人一倍まじめで、アツくて


 お互いに口には出すことはなかったが


 いつも共鳴、共振していたと思う。


 そしていつもリスペクトがあった。


 戦友ということばが思い浮かぶ。


 そうなんだよな~


 教会まつりにもアツかったんだよな~





 サハリンで


 しくしく泣きながら


 パソコンと向かい合ってます。






 でもね


 神さまのふところで


 再会するっていうたのしみがひとつ増えたってことなんだよね。


 


 ぼくは、


 あなたのことがすきでした。




 神さま、


 彼と彼の家族、彼と携わったすべての人たちに


 あなたの息吹をそそいでください。


 彼との出会いとほんの少しのお別れというプロセスによって


 ぼくたちの信仰が、更に強められますように。




 サハリンの空は

 
 きりっと蒼く澄んで


 無精ひげでにこにこ笑っていた彼の心の中を


 彼のサンクチュアリを


 ぼくに見せつけているようです。





 彼は、この日に帰ってきた。






 神に感謝。
Copyright© 2010 Luke8488

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2 コメント

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Unknown (湖西祥平)
2010-11-22 01:12:29
ありがとうございました。
今日のミサでこの日にふさわしい一説が忘れられません。
それは「あなたは今日、私と共に楽園にいる」
「帰天」それは悪い意味ではないと思っています。
そして、これからは私達が一歩一歩進んでいく番です。
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おとうさんの生きざまを (luke8488)
2010-11-22 22:47:12
いちばん近くで見て、感じていたあなたが
これからどんな風に生きていくのか
みんなが楽しみに見守っています。

みんながついてるから

だいじょうぶ。

安心して、思い切って、
そして、周りの人のこともおもいやって。
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