報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

コンゴ内戦(3)

2005年01月16日 05時52分16秒 | ●コンゴ内戦
──内戦のコンゴへ──

 ルワンダの首都キガリからコンゴ民主共和国の国境までミニバスで3時間半。
 途中チェックポストもあるが、それほど厳しいものではなかった。国境地帯の治安は安定しているということだろう。
 国境に到着し、ルワンダを出国。遮断機を越えて、コンゴへ。

 ようやくコンゴに着いたと安心したのもつかの間、イミグレーションで、ビザなしの滞在は8日間と宣告された。費用は60ドル。延長も8日ごとに60ドルが必要。しかも、パスポートはイミグレーションに預けなければならない。これではゴマから他の地域へ移動できない可能性もある。パスポートは預けられないと粘ったが、聞き入れられなかった。「ちゃんとこの机の引き出しに保管するから安心しなさい」と言われたが、粗末なイミグレーションの机を見るとかなり不安になった。パスポートはあとで何とかするしかなかった。
 カスタムでは、荷物を徹底的にチェックされたあげく、カメラの持ち込み料が100ドルと言われ、キレそうになった。しかし、ウソだろ、とも言えない。ノートのはしっこを少し破いた即席の領収書を渡された。100ドルが何の価値もない紙切れに化けた。

 タクシーで市内のホテルまで行き、荷物を降ろすと、すぐに地元のカメラマンのワボ氏という人物にコンタクトを取った。見るからに人の良さそうな人物で、あらゆることに協力してくれた。
 撮影許可証の取得、ビザの取得、反乱軍の航空機の搭乗許可などだ。

 撮影許可書は、ワボ氏のはからいと、ウガンダで取ったプレスカードのおかげで問題なく発行された。費用100ドル。しかし、この紙切れは、その価値がある(はずだ)。
 パスポートを取り戻すためには、ビザを取得しなければならなかった。ビザの取得には、反乱軍から許可書を取り、国境のイミグレでパスポートを回収し、そしてイミグレ本部へパスポートを提出するという手順だった。しかし、反乱軍へ電話連絡したうえで、指定された時間にオフィスを訪れても、いつも担当者がいなかった。
 同時に別の部署で、キサンガニという街への搭乗許可を申請したかったのだが、これも指定された時間に行っても担当者がいなかった。ビザの許可書とフライト許可書のため、反乱軍のオフィス二ヶ所を行ったり来たりしているうちに、日がすぎていった。

 しかし、どちらの許可書もついに手にすることはなかった。
 だが、ビザも取れたし、反乱軍の輸送機にも乗れた。
 最終的には、フライトを翌日に控えた日に、反乱軍の広報担当者が痺れを切らして、勝手に口頭で許可を出した。というより、「かまわんから、イミグレに行ってこい」と言われた。国境のイミグレへ行き、「許可が出た」と伝えると、あっさりパスポートを渡してくれた。パスポートを持ってゴマのイミグレ本部へ行き、ここでも「許可をもらった」と伝えると、ビザ申請は受理された。数日前には、「反乱軍の許可書が必要だ」と追い返されたのに。力が抜けそうだった。書式料10ドル、ビザ代107ドル。ようやくビザスタンプの押されたパスポートを手にした。

 パスポートを持って、反乱軍オフィスへ行くと、翌日の朝6時に空港へ来いという。結局、搭乗も口頭での許可になった。
 この二つの許可を取るために、五日間走り回ったのだが、口頭の許可でいいのなら、初日にすべて完了していたはずだ。この五日間は何だったのか。疲れた。でも、内戦中の国だから、こんなものか。

 まあ、とにかく撮影許可書、ビザ、フライト許可がそろい、これですべての準備は完了した。

 地元カメラマンのワボ氏がいなければ、ゴマでまったく身動きが取れなかったかもしれない。カンパラのムゲルワ氏もそうだが、カメラマン仲間というのは、実にありがたいものだ。黙っていても、こちらが必要としているものをすべて理解してくれる。そして二人とも惜しみなく協力してくれた。
 ワボ氏には、コンゴを出るときに、カメラの三脚を進呈した。安いが、バンコクで買ったばかりの新品だった。飛び上がるほど喜んでくれた。彼のアルバイトに役立つはずだ。カンパラにもどったときに、ムゲルワ氏にもレンズ保護のフィルターやレンズクリーニングのセットなどを進呈した。
 二人とも、古いカメラを大事に使っていた。
 いまもいい写真を撮っているに違いない。

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