報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

石油のためなら国際法も無視

2006年05月29日 16時16分13秒 | ■東ティモール暴動
ティモール海の石油をめぐるオーストラリアの歴史的動きを簡単に見ておきたい。

地図:The La'o Hamutuk HPより
http://www.laohamutuk.org/Bulletin/2003/Aug/bulletinv4n34.html

1972年、インドネシアとオーストラリアは、両国の海底領域を当時の原則である大陸棚で画定した(地図、赤線)。しかし、東ティモールの宗主国ポルトガルはこれを拒否。この部分が空白になり、ここに「ティモール・ギャップ」が生まれた。(地図、黄色の区間)

1975年にポルトガルが東ティモールを手放すと、インドネシアは東ティモールを武力占領。このときオーストラリアの関心は「ティモール・ギャップ」の解決だった。

ジャカルタ駐在のオーストラリア大使、リチャード・ウールコットが本国に送った密電の内容が後に明らかにされている。「領海線に関して残っている『ギャップ』を埋める」合意に達するには、「ポルトガルや独立後の東ティモールよりもインドネシアを相手とする方が容易と思われる」。
http://www.diplo.jp/articles04/0411-3.html

かくして、オーストラリア政府は、インドネシアによる不法な東ティモール武力支配を24年間容認することになる。

1989年、72年の大陸棚条約を基にして、オーストラリアはインドネシアと「ティモール・ギャップ条約」を調印。ティモール・ギャップに共同開発地域(ZOC:地図、赤い網部分)を設け、資源を折半にすることを決めた。

1994年、石油発見。インドネシアとオーストラリアによる石油の採掘が開始。インドネシアによる東ティモール支配が不法である以上、これはインドネシアとオーストラリアによる「盗掘」であり「略奪行為」である。

1999年、東ティモールで住民投票。24年におよぶインドネシアの武力支配から開放され、国連による暫定統治がはじまる。

2000年、国連東ティモール暫定統治機構とオーストラリアの間で石油開発で合意がなされる。89年の「ティモール・ギャップ条約」はそのまま継承された。ただし、ZOCはJPDA(合同石油開発)と改名され、資源の分配は東ティモール90%、オーストラリア10%と決められた。しかし、この分配の数字はあくまでJPDA区域に限られている。地図を見れば歴然としているが、青い斜線の部分にも資源がある。実は、青い部分の方が資源は圧倒的に多いのだ。

JPDA区域にある資源は、ティモール海全体の20%に過ぎない。東ティモールはこの20%のうちの90%を得るだけだ。つまり、ティモール海の資源全体のたった18%に過ぎない。

しかし、ティモール海の資源は国際法に照らせば、100%すべてが東ティモールのものになる。それを国連とオーストラリアは18%にしてしまったのだ。

国連海洋法条約(UNCLOS、94年発効)によると、2国間の距離が400海里に満たない場合は、その中間線が領海線とされる。地図の青い点線が両国の領海線だ。そうすると、資源はすべて東ティモール領海にあることが誰にでも分るはずだ。ティモール海の資源は100%東ティモールのものなのだ。それが、18%しか与えられないというのは、国際的な詐欺としか言いようがない。そのような詐欺が、2000年に国連とオーストラリアによって合意されたのだ。

東ティモール側が、国際司法裁判所に提訴する姿勢を見せると、なんとオーストラリア政府は、国際司法裁判所の管轄から脱退してしまった(2002年3月)。国際海洋法裁判所での審判も拒否。オーストラリアによるこの暴挙に対して、国際社会は見て見ぬフリを決め込んだ。

2002年5月、東ティモールは正式に主権を回復(独立)する。21世紀最初の国家となった。

オーストラリアは、東ティモールとの間で領海を画定しないまま、現在でも石油採掘を続けている(ラミナリア・コラリナ油田)。つまり東ティモールの石油を「盗掘」し続けている。その額はすでに10億ドルとも言われている。




チモール海油田・天然ガス田の見取り図
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/lao35.html#oil
オーストラリアに横取りされる東ティモールの石油資源
http://www.diplo.jp/articles04/0411-3.html