報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

ロンドン同時爆破事件について②

2005年07月12日 21時29分54秒 | ■対テロ戦争とは
< 「アル・カイーダ」脱走 >

 11日、在アフガニスタン米軍当局は、バグラム空軍基地(カブール北方50km)の収容所から、アラブ「アル・カイーダ」のメンバー四人が脱走したとアナウンスした。四人の国籍は、シリア、サウジ、リビア、クウェート。現在、全力を尽くして捜索中ということだ。四人は、非常に危険な人物であるとも。

 バグラム収容所では「アル・カイーダ」やタリバーン容疑者を収容しているとされている。ということは、グアンタナモ収容所並に、警備が厳重なはずだ。そこから脱走することができるのだろうか。もちろん、バグラム収容所を実際に見たわけではないから、脱走できない、と僕が断言できるわけではない。そういうアナウンスがあったと認識するだけだ。信じる信じないは、別問題だ。

 ただ、ひとつ言えることは、実にタイミングがよい、ということだ。7日にロンドンで衝撃的な爆破事件があり、その数日後にバグラムで、危険な「アル・カイーダ」メンバーが脱走とは。
 そして、当分は、この二つの事件をめぐって世界のメディアには「al-Qaeda」の文字が飛び跳ねることだろう。

< 時限爆弾 >

 アメリカ政府の治安機関は、ロンドンの爆破事件を受けて、「自爆の可能性を排除しない」と発表した。

 ロンドンの爆破事件では、爆破当初から「時限装置」もしくは「携帯電話を使った起爆装置」が使用されたと発表されている。複数地点での爆破が、ほぼ同時刻に発生したからだ。しかし、なぜかアメリカ政府機関は、”自爆”の可能性もあると世界に示唆したいようだ。

”自爆”の場合、ほぼ同時など考えられない。もちろん全員が時計とにらめっこしながらなら可能とはいえるが、そんなことには何の意味もない。自爆の場合、もっとも効果的なタイミングで爆破できるから、そういう手段をとっているのだ。

”自爆”の場合は各自の判断で爆破すればいいが、「時限装置」の場合は、時差は禁物だ。もし仮に、5分おきにセットしたとすると、最初の爆破と最後の爆破では15分の差が出る。最初の爆発の報を受けて、避難が可能となるかもしれない。そうなると、同時爆破の心理的インパクトはほとんどなくなる。
 事件を報じるメディアが、たとえば、こう表記したとする。
「ロンドンで同時爆破テロ、二発は難を逃れる」
 人の心理というのは、とても微妙なものだ。失われた命よりも、救われた命があることに安堵する。そして、犯人に対して、怒りよりも勝利感を持つ。この場合、爆破は「失敗」と言えるだろう。
複数の時限爆弾の場合、絶対失敗しない条件は、同時爆破以外ない。
 ロンドンの同時爆破事件が、”自爆”である可能性は、まずない。
 では、なぜアメリカ政府機関は、わざわざ「自爆の可能性を排除しない」と発表したのだろうか。

 いまや、テロ=自爆=「アル・カイーダ」。
 という固定観念が完璧にできあがっている。
 しかし、今回は、時限装置もしくはモバイル起爆だ。おそらく世界中で、「なぜ自爆ではないのか?」と考えている人は多いはずだ。アメリカ政府の「自爆の可能性を排除しない」という不自然な発言の意図は、犯行はあくまで「アル・カイーダ」である、という印象を強めたいからではないのだろうか。

 爆破事件があるたびに、不可解な事例が出てくる。
 しかし、ひとつ言えることは、ロンドンの爆弾は、少なくとも「命が惜しい人」が計画実行したということだ。

< 平時に戻ろう >

 いまイギリス政府は、ロンドン市民にこう呼びかけている。
「仕事に戻り、普通の生活にもどろう」と。
 同時爆破事件から、まだ一週間も経っていないのに。

 犯人は、まだ特定されてもいないし、自爆で死んだわけでもない。もちろん、逮捕されてもいない。いまだ、ロンドンに潜んでいるかもしれないし、爆薬を貯蔵しているかもしれない。もしかすると、次の攻撃の準備が出来ているかもしれない。様々な可能性が考えられる。本来、市民は十分警戒し、出来る限り外出は避けるべき時期なのだ。
 にもかかわらず、「普通の生活に戻ろう」?
 あまりにも、早すぎはしないだろうか。
 しかし、どこかで聞いた台詞だ。

 911テロのあと、ブッシュ大統領は国民にこう呼びかけた。
「いつまでも悲しんでいては、テロリストの思うつぼだ。さあ、平時に戻ろう」と。

 そんな発言をして、もし次の攻撃が発生したら、大統領弾劾だろう。次の攻撃はないことを確信していなければ、そんな発言はできないのではないだろうか。
 そして、トニー・ブレアー首相も、さらなる攻撃などないことを知っているのかも知れない。