☆ alahas ☆

金魚とメダカ、オカメインコと暮らすまめ家の日々。

【 20年度生 】

2011-03-30 20:19:08 | 金魚稚魚育成(実家編)



今日は天気が良いな~と、
病院の窓から外を眺め感じていましたけれど、
魚も人も過ごしやすい1日だったのでは無いでしょうかね~(笑)

週末まで仕事のため、
本日は先日撮影した20年度産のチビ金魚たちの様子を記事に♪



相変わらず大きくならない、うちの金魚たち・・・
私的には大きくならんでも、元気でいてくれれば良いんです、はい…(←えっ?笑)






和金体型+吹き流し尾の個体。
これといって珍しい個体では無いのですが、
時々みせる、この表情が可愛いから私は気に入っています。






この表情も、可愛いから好きなんですよ♪
(親バカ発言ばかりでスミマセン~笑)






こちらの個体は、和菓子ちゃんと同腹個体。
トビだったから、こちらの水槽に移したのだけど…
コンテナケースにいる和菓子ちゃんたちも随分大きくなったので、
近々、和菓子ちゃんたちと一緒に飼育しようとも考えてます。






この間、あるブログにて単尾の更紗和金(大サイズ)が紹介されていたのですが、
立派でした。
このコも大サイズになったら、それなりに魅力的な個体になるのかな~?






これからも気長に~
このコたちを飼育しながら成長を楽しんでいこうと思います♪






“ Make from here a start… I will get over it! ”





【 4.5㎝減 】

2011-03-26 16:30:31 | 金魚飼育日記(実家編)



2階のある水槽。



地震以来、2階にはメイちゃんの水槽しかありません。
そのメイちゃん水槽も、母と話し合った結果、
1階か屋外に移動する予定でいたりです…(^^;)






一見、
何も変わりなく見えるメイちゃんの水槽ですが…
黄色と橙色の印を付けてみました。






黄色印→地震発生前の水位。
橙色印→地震発生後の水位。

この水位差、4.5㎝。
そう言われても、ピンと来ないと思うので、
興味のある方は水槽換水の際にでも試しに4.5㎝測ってみて下さいネ♪(笑)






余震続くため、なかなか元の水位に戻すことが出来ませんが…
10L以下の水量でも、出目ピンのメイちゃんは頑張ってますよ~♪




追記)
皆様、ブログの更新、コメント返信が遅くなりすみませんでした。
水曜日から体調を崩し、木曜日に病院へ診察したところ…インフルエンザと判明。
多分、患者様から感染してしまったのだろうと思うのですが、
今日になって何とか食事が摂取出来るまで回復しました。
(といっても、茶碗一杯のお粥を数時間かけて摂取している状況ですが…笑)

仕事は明日まで、休みをいただいているので、
それまでには体調も戻るとは思いますが、
また皆様に紹介出来る画像が、そこそこ撮れましたら、
記事で紹介したいと思いますので待ってて下さいネ~(^^*)♪





““ I turn to the top and will walk.
     I believe in tomorrow and will live. ””

【 芽 】

2011-03-21 17:43:12 | 植物と虫のはなし



だんだんと…
テレビもフツーの番組を放送するようになった。
呉々も、風化させないで下さいね?

今日は
10時過ぎに目が覚めた。

仕事復帰してから今日まで、
いつも朝8時には離床していたのに…。



外をみると、
雨が降っている。

あの日以来、
管理という管理が行き届いていない飼育ケース。

小雨降るなか、
餌を片手にケースを覗き回る。

私の顔をみて、
餌をねだる魚の姿…。

その一方で、
体調が思わしくなかった魚の亡骸もあった。



水面に餌をまくと
我先にと餌を食べる金魚たち。

沈水症状が酷く、底に横たわった魚に対しては、
そっと身体を起こし、餌がある水面まで身体(口)を近づけてあげる。

大きな口を開けて、
頬張れるだけ餌を頬張る。

人の手を借りなければ、
餌を食べることが出来ない。

それをわかっているのか‐
魚は暴れることなくパクパクと餌を食べる。

・・・・食わなければ、
生き抜くことは難しい。

亡くなった魚の分まで
今いる魚たちには生きて行って欲しい。

そこに在る命には、
亡くなった命が託した想いが宿っている。

沈水症状で、
すっかり横たわった魚だが、今日も諦めずに世話をする。



一通り、
ケースを見て回った後、テレビを見てた。

決死の覚悟で、
防水作業を行った消防士の話題。

茨城産の菠薐草に、
基準値を超える濃度の放射能が検出されたという話題。
人体に影響が無いので問題ないと報道しておきながら、自主回収した菠薐草。

『福島は危険だから、あそこに荷物は届けるな‐』
原発問題により、いわき市では、店に商品が届かないという。

奇跡的に生き残っても、
風評被害で生活が出来ない。

風評被害により、
GS前では車が渋滞し、交通渋滞を引き起こしている。

必要最低限の物を買いに店に行ったのに、
食料は何も無く、何も買えずに帰って来た‐。
震源から遠く離れたこの土地でも、過酷な生活を強いられている人がいる。

過剰な報道は、
人々の生活を苦しめるだけだ。

一丸となって
国を立て直さなければならないというのに‐

不況のなか、
どの家庭も苦しい生活を強いられているのに、
国民は義援金や支援物資、ボランティアと被災地のために尽くしている。

“政府は災害服を着て、あたかも頑張っているようなフリしているけれど、
 東京で、報道人の前で原発の状況を会見しているだけじゃねぇか。
 災害服を着て、本当に思っているなら、
 少しでも被災地現場に行くのが本当なんじゃねぇか?”

大物芸能人の言葉に、
私は共感する。



あの日以来、
我が家の上空にはヘリの音が鳴り響いている。
きっと、
北茨城方面に向かうヘリだろう。

日立市も壊滅状態だというが、テレビで報道されるのは岩手・宮城・福島が中心。
北はどうなっているのだろうか全くわからない…。

日を追うごとに、
人の温情と薄情さが露わに見えてくる。



下記の画像は、
2月の下旬に植えたチューリップ。
















撮影した日時、
2011年03月11日、12時05分。

チューリップの芽が出て、喜んでいた私だったが、
日本の歴史に残る出来事が2時間40分後に起こるとは・・・・。

改めて、
被災に遭われた方々に心からご冥福をお祈り申し上げます。





““ I will stand up beloved Japan again by each person's power! ””



【 大震災 】

2011-03-17 16:33:20 | つぶやき



阪神淡路の街が炎の海に包まれた映像…
いまだに記憶として残る。
当時、高校生の私は遠く離れた茨城の高校で授業中だったが…
それ程、緊迫感なんてなかった。


それから数年の月日が経ち、
社会人となった私は埼玉の病院で働いていた。
偶々休みだった私は、友人の家に泊まり行き、その夜に大きな揺れを感じた。
でもその揺れはすぐにおさまり、友人と近くの百円ショップで出向いたとき、
二度目の地震が襲った。
陳列棚に並んだ商品は次々に崩れ落ち、
友人と“怖い、怖いよ~”と半泣きになりながら身動きが取れなかった。
新潟中越地震に体験したあの怖さも忘れてはいない。



『最近、地震が多いね…』
珍しく仕事休みが母と重なった私は、あの日の午前中、近くの土手に行って、
今年も蓬の葉を摘んでいた。

その日は、愛知から長女の姉が甥っ子(6才)と姪っ子(6ヶ月)が帰省しており、
また翌日には次女の姉も帰省するとのことで我が家は賑やかだった。

『そういえば、お姉ちゃんが服を買いに行きたいと言ってたから…
  午後は隣町へ買い物に行こうか?』
袋いっぱいに摘んだ蓬を持って、家に帰宅した私と母は軽く昼食を取り、
父・母・姉・甥・姪と私の6人で車で20~30分ところにある、
店についた。

トイレに行きたいと甥っ子が騒いだので、
私と母は店の出入り口で商品を見ながら待っていて、
姉は姪っ子片手にトイレに行っていた。
トイレから出て来た甥っ子と合流した私たちは、商品をみながら、
あれこれ品定めしていたときの事だった。
『あれ?なんだか揺れてない? 地震じゃないの?』
母の大きな声で、側にいた私も揺れていることに気付く。

いつもなら…
揺れはすぐにおさまると思ってた。
だが、だんだん強くなる揺れに、私と周囲にいた人たちは店の外の駐車場へ避難し、
揺れがおさまるのを待った。
だが…
揺れはおさまるどころが強さは増し、
店の建物は前後に揺れて、辺り一面『ガタガタ』と大きな音がなり響いた。

あまりの揺れに身動きが取れなかった私だったが、
店のなかから人が出て来るのをみて、店から出てきた見ず知らずのおばあさんに、
手を取り『危ないから、早く外へ!』と、
声を出して手を引っ張った。
頭上では、建物の一部がパラパラと落ちてきて、
かと思ってたら、パッと電気が消えた。

母は甥っ子の身体をしっかり手でつかみ、姉は姪っ子を、
私はおばさんの腕を掴んで…
父は車の側にいた。
おさまることのない揺れのなか、
自動で開かなかくなったドアを従業員が手で開きおさえ、
なかから足の不自由なおばあちゃんがショッピングカートを押しながら出てきて、
それからしてようやく、揺れはおさまった。

足をふらつかせながら、
『今日はもう、家に帰ろう』
私たちは車に乗り込み、エンジンをかけると、
カーテレビから『大津波警報に注意して下さい』という、
アナウンサーの声が聞こえてきた。
(私の住む地域は内陸部なので、津波が押し寄せることはありません。)

車を走らせ、辺りをみてみれば…
民家の瓦は崩れ落ち、信号やコンビニの灯りは消えて…
道路に座り込む人の姿。
ようやく家に着き、庭をみてみると地面は水浸しで…
隣にあったコンテナケースから水がかなりこぼれていた。

家に入ってみると、
居間にあった植木鉢は床に落ち絨毯は泥だらけで、
蛍光灯の外枠も外れ下に落ちていた。
台所の食器棚は大丈夫だったが、水槽が置いてあった玄関は水浸し。
それをみた私は、思い出したように急いで2階へ。

午前中に水槽掃除したメイちゃんの水槽の水も半分まで減り…
電気は完全にストップしていた。
ベタの瓶も水はこぼれ、パネルヒーターは水浸し。
私の部屋は、足の踏み場がないほど荷物が散乱し、タオルを片手に、
こぼれた水の後片付けをはじめた。

そのとき、
再び大きな揺れがやって来て、2階にいた私は1階にいた母に、
『地震だよ!お母さん、外に出るよ』
と声をかけ外に出た。
(後、この地震が3時15分に発生した茨城沖地震と知る)

再び家に入り片付け作業を開始。
しかし余震が来る度に、手を止めて揺れがおさまるの待ち~の繰り返しだったので、
私の水槽片付け作業はいっこうにも進まず…
電気がつかぬままやがて日は暮れて、懐中電灯片手に2階に上がった私は、
寒さで動かなくなっていたヤーオとサンが入ったベタ瓶2本を茫然とみていた。
泣きたくとも泣けずにいた私。

やがて『家族全員で起きていても、どうしようもない…』ということで、
母と姉と子ども2人は寝室で、私と父は居間で蝋燭一本とラジオに耳を傾けていた。
毛布にくるまりながら、緊急地震速報が来る度に、家族全員に声をかけ…
玄関の扉を開け、いつでも出れるように懐中電灯を照らしの繰り返し。
携帯充電も残り1本のなか、ようやく夜は明けて、私は…
疲労困憊のなか、遅れることなく仕事に出勤した。

家に電気が復旧したのは、
地震発生から翌日の、夜七時を過ぎた頃だった。
電気が付いて、ホッと一安心する家族だったが、
仕事から帰り疲れ果てた私は、ウトウトと炬燵のなかで眠っていた。

明けて13日。
こんな状況を承知の上で、葛西から次女の姉が帰省してきた。
もともと、この日に帰省してくる予定だったが、家の状況も確認したくて帰宅。
今後のことについて色々話し合ったりしたが、
こうして家族全員で会うのも久々のこと、
いつどうなるかわからない現実のなかだけに、この時間を大切にしようと話しした。
ブラウン管の向こうでは、総理が輪番停電計画を発表し…
その発表に耳を傾けながら、募る危機感。

『輪番停電により交通機関がマヒするのも時間の問題かもしれない…』
そう予想した次女と長女の姉は急遽、(14日)帰ることとなった。
状況がわからず『茨城にもっと居たい…』ぐずる甥っ子。
母は長女の姉に、
『ここ(茨城)にいると危険だから1日も早く愛知に帰ったほうがいいよ…。』
と言い、私はぐずる甥っ子に、
『茨城のお家は明日、電気が止まっちゃうんだよ。愛知は電気が止まらないからね…
 茨城にまた電気が付いたら、いつでも遊びにおいでね♪』と、
宥めていたのだ。

電車は運休していたり、都内まで大変だったと後、姉から話は聞いたが、
長女も次女も無事に家に着き、私と両親は、余震のなかで…
ガソリン不足に悩まされながらも、こうして今をブログを更新。

昨日、病院から東北地方の赤十字病院への義援金呼びかけがあり、
私も一口ですが、募金に参加しました。
うちの地域でもガソリンは品薄状態、コンビニ行っても何も無く…
近くのスーパーは先日の地震で建物の一部が倒壊し今も営業中止状態。
ドラッグストアーに行けば、原発事故の噂でマスクは全く無くて、
トイレットペーパーや乾電池、蝋燭もない状態です。

でも…
テレビの向こうにいる被災地人たちは、
もっと過酷な環境下で今も過ごしているわけで、
私の想いも皆と同じ、挫けず頑張って欲しいと願うばかりです。
日本は地震が多く、これまでも…
地震が起き被災しては、力を合わせて復興してきた。
地震の規模問わず、諦めず力を合わせれば…
乗り越えることは出来るはずだと信じてます。


残念ながら、今回の地震の影響で…
ヤーオとサンは亡くなってしまいました。
24時間以上の停電により、和菓子ちゃんはもちろん、小さい個体の魚は…
次々と体調を崩していて、ヒーターで温めてあげれば、体調も回復するのでは?
そう思うも、少しでも節電しなければならない今、ヒーターも付けていません。

私を心配してくれたブログの皆様、そして知人の皆様、本当にありがとうございます。
落ち着くまで、まだまだ時間はかかるかもしれないけれど、
ゆっくり時間をかけて水槽環境も修正していくつもりです。
テレビを見る度、私も涙がこぼれますが被災地の皆様…
頑張って下さい。

長々とお話ししてしまいましたが…
時間に余裕が出来たら、
またいつものように魚の様子を紹介したいと思います。






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【 今なお健在 】

2011-03-06 18:51:11 | メダカ飼育日記



今日の茨城はポカポカ陽気で…
花粉症持ちの私には、嬉しいようなそうでないような1日~(^^;)




さて、まめ家の緋メダカたち。
冬眠失敗して☆になった個体もいましたが、それでも30くらいは残ってます。
それにしても随分と痩せちゃいましたね…(^^;)






緋メダカのお隣にいる白メダカ。
こちらは冬期、1匹も落ちることなく過ごしてます。
緋メダカとの違いは何なのか謎…(笑)






でっ・・・
そのまたお隣のケースにいるMIXケース。
こぼれ紅、琥珀ヒカリ、楊貴妃ヒカリ、青ヒカリの4種とそのF1個体たちが、
このケースにいるのですが…






左下にいる琥珀ヒカリが、最近のお気に入りとなってます♪(笑)






琥珀ヒカリ×青ヒカリの間に生まれた個体も、まずまずのヒカリを放してますが…
今年は余裕があれば、“ミユキ”を導入しようかとも検討中♪(笑)






一昨年、近所のおじさんに頂いた緋メダカ。
気が付けば、今年で2年目になるんだけど頂いた時点で、そこそこ大きかったから…
もしかしたら2年目突入しているかもしれないね♪

うちにいるメダカのなかで、一番の古株だけど、
古株メダカ3匹は未だに健在。
他のメダカたちも、この緋メダカのように長生き出来るかな~(^^*)♪




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