日記

楽しい行動を書きとめる

史跡探訪・・・・今、語り継ぐ遠近(おちこち)めぐり

2013-01-19 | 日記
<2013.01.19>

古代政治発祥の地 明治・昭和・平成を歩く

 大津市瀬田の「源内峠遺跡復元委員会」主催の「古代政治発祥地を歩く」史跡探訪にウォ-キングを兼ねて参加しました。厳寒の中、AM8:30にJR石山駅前に集合、募集定員は先着60名となっていたが、人気の史跡探訪のため70数名の参加者がありました。
本日の探訪は石山駅を出発して近江国庁跡をメインとしたもので、 ル-ト上の史跡に立ち寄りコ゜-ルはJR瀬田駅までの総歩行距離約10Kmの探訪コ-スです。

<石山駅前集合風景>                       <探訪ル-ト>


AM9:00に三班編成で石山駅前を出発、まず最初に壬申の乱で敗北した大友王子を祀っている御霊神社(ごりょうじんじゃ)に、境内には膳所城から移築された本丸黒門も残されている。

<御霊神社>                      <膳所城から移築の本丸黒門>


「瀬田の唐橋」を渡り俵藤太の百足退治ゆかりの寺「雲住寺」へ

<瀬田の唐橋>                      <雲住寺>

 
瀬田の唐橋を臨む丘の上にある堂ノ上遺跡は古代の交通と密接な関わりを持つ官衙(かんが=役所)で「勢田駅」の可能性があるといわれています。
 
<堂ノ上遺跡>


途中、建部(たけべ)大社に参拝し、近くの辻末製菓舗で瀬田名物「たにし飴」をお土産に買いました。「たにし飴」はニッキ味で瀬田川の「たにし」に似ているところからの命名だそうだす。神の食する食べ物のようです。

<建部大社>


<たにし飴>


近江国庁の周りには道路に沿って官衙(役所)が立ち並び、官庁街を形成していたそうです。
中路遺跡(ちゅうろいせき)は、近江国府に関する遺跡で、瓦葺の建物が立ち並んでいたそうで、瓦片が出土しています。
青江遺跡(あおえいせき)は近江国府と同じ模様の瓦が出土し、奈良時代中ごろには施設が存在したと考えられるそうです。

<中路遺跡の瓦片 ?>                    <青江遺跡>


惣山遺跡(そうやまいせき)は正倉院のような建物が12棟立っていたそうです。頑丈な礎石、国府の中でも重要な施設があったようです。

<惣山遺跡>                        <惣山遺跡の建物の礎石>


官衙(役所)が立ち並んでいた各遺跡を巡り、マスコットの鉄ちゃんの歓迎を受け、12:30分、本日のメインである「近江国庁跡」に到着。
近江国庁は現在の県庁に当たる官衙で奈良時代前半に置かれ平安時代後半まで存続していたようです。現在の県庁、警察署、裁判所、税務署にあたる役所として、近江の国の統治と都との連絡にあたっていたようです。昭和38年と40年の発掘調査で中心施設が明らかになったようです。昼食時の温かい豚汁サ-ビスは最高の御馳走でした。

<歓迎を受け近江国庁跡に到着>               <豚汁>


<広大な近江国庁跡>                    


近江国庁跡を後に、「淨光寺」に立ち寄り、着衣を一切つけていない、下腹部に蓮華形をつけるだけの裸形阿弥陀像にお参りしてきました。裸形阿弥陀像は半裸を含めて日本に3体しかないめずらしい仏像だそうです。

<淨光寺>


東レ敷地内の窪江城跡、若松神社境内古墳を探訪してJR瀬田駅に無事ゴ-ルインしました。
車では無理、歩いてみないとわからない、実に沢山の史跡を巡り、満足した一日でした。