日記

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近江の史跡 「西野水道」・「田川カルバ-ト」 を訪ねて

2012-09-20 | 日記
<2012.09.20>

 レ大米原校32期地域文化OB研修活動として、9月20日長浜市の「西野水道」(旧高月町)・「田川カルバ-ト」(旧びわ町)を訪ねました。

◆西野水道
西野水道は「近江の青の洞門」と呼ばれ、度重なる余呉川の氾濫により大きな被害を受けた西野村民が、西野充満寺住職・西野恵荘の指導のもとに、1840年から6年の歳月をかけて、びわ湖への排水用岩穴を完成させました。
機械のない手作業での工事、石工の挫折と交代、村民の生活困窮と意気の衰え、落盤事故、など数々の困難を乗り越えて村民の執念の大土木工事でした。

<MAP>                       <案内所>
  

案内所でテ-プによる説明を聞き、長靴、ヘルメット、を借り、持参したヘットライトを付けて水道内部を見学しました。

<水道入り口>
 

水道内部は、全長約220m、高さ約1.5m~3m、幅は約1~1.5mでよく手作業で頑強な岩をくりぬいたものだと感心しました。道内は真っ暗で、涼しく、しかし背の高い人は頭上に注意。

<水道内部>
 

<水道出口(びわ湖側)>              <びわ湖の景色>
  

<昭和25年開通の放水路>            <昭和55年開通の現在の放水路>
  

◆田川カルバ-ト
昔、田川は落合町で高時川、姉川と合流して、びわ湖に流れこんでいたが、長い間に姉川と高時川の川底には上流から流れる土砂がたまり川底が高くなっていった。そのためわずかな雨が降っても姉川、高時川の水が田川に流れ込み、唐国、月ヶ瀬、等の田畑、家屋が水没していた。
高時川の川底の下に暗渠を作り、田川の水を直接びわ湖に流す計画を立て、月ヶ瀬の前田荘助らの尽力により、明治18年に田川カルバ-トが完成、その後改良、改修が重ねられた結果、現在は田川カルバ-トによって生活がまもられている。

<MAP>                          <田川カルバ-ト出口>
  

話には聞いた事があるが初めて現地を訪れて、素晴らしい知恵と努力に感心するとともに、私達の生活は先人達により守られていることを実感しました。
引き続き山東町清滝にある、近江の名族京極氏の菩提寺「徳源院清龍寺」に向かいました。