倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

長沼の魅力再発見に向けた取り組み(イベント) ~一茶の句碑を巡る自転車ツアー~

2022-09-19 | 日記

台風14号が列島を縦断しています。

九州をはじめ西日本エリアで 豪雨による水害や土砂崩れ、さらに 今回の台風の特徴でもある「強風・突風」による被害が報じられています。

自然の城壁ともいえる山脈・山地に囲まれた ここ信州は、「風」による災害・被害は 平野部のような(被害の)可能性は低いと思われますが、松本(旧山形村)エリアなどの広い箇所ではその可能性もアリ、また さきの長野市上野(うわの)地区での強風による火災被害の拡大事例もある(今回は雨を伴うことから同様ではありませんが)ことから、いずれにしても(私も含め)各人においては とりあえずは台風が過ぎ去るまでの間(かん)、今後の気象情報に充分に留意し 万が一のときでも被害が最小限化に止(とど)まるよう、適切に行動してゆきたいところであります。

 

 

 

◇長沼の魅力再発見に向けた取り組み(イベント) ~一茶の句碑を巡る自転車ツアーレポート~

さきの日曜日(14日)、令和元年東日本台風の被災地となった 長野市長沼地区において「一茶の句碑」を巡ることで 地域の魅力を再発見しよう!という趣旨の〝自転車ツアー〟が行なわれ、参加させていただきました。

 

 

 

この活動(イベント)には、さきの台風からの復旧・復興における いわば〝素地(そじ)〟となった取り組みがあります。

千曲川堤防の決壊により 多くの家屋が流失させられた長沼(津野)エリアにおいて、やはり大きく被災した 歴史的建造物ともいえる「米澤邸」について、その歴史的価値から解体を惜しむ声が高まったことから 復旧・保存に向けた市民運動が興(おこ)り「土壁ワークショップ」などを通じて、広く市民に 米澤邸のみならず長沼の歴史的建造物の価値(=長沼の魅力)を伝えようとする活動が緒に就いたところです。

       

[参考]クラちゃんブログ 2022.12/7「長沼の歴史的景観・建造物を守る会…住自協との連携を」

            ↓

https://blog.goo.ne.jp/kz2df777/d/20201207

 

 

あれから年月が経過しましたが、この間も 地域の有志の方々が脈々と活動を継続されており、今回のイベントも かかる「米澤邸」を発着点とし、大きな災害を受けても イヤそれだからこそ、改めて地域の魅力を再発見し それを故郷(ふるさと)回帰・魅力創出につなげてゆこうという、地道かつ大切な不断の取り組みとしておられるのでした。

 

発着点の米澤邸の前庭では、イベントのリーダーでもあるAさんが「久しぶり!」と笑顔で出迎えてくれました。

 

 

 

受付の後ろには、ツアーで使う自転車がズラリ。

車首を揃え「長沼へようこそ!」と言ってくれているようです。

 

 

 

〝出発式〟は、米澤邸の広間で行なわれました。

 

 

 

あれから3年、時間が経過した中ですが、邸内の内装は ほぼ手つかずのまま。

 

 

と いうのも、この(手つかずの)陰(かげ)には、邸宅の本格的な修復には 基礎のやり直しが必須であり、そこを直さない限り そこから上に手を付けることはできないこと、それにつけても (基礎からの修復には)過大な資金が必要との課題があるのです。

こんな現実的な課題を抱えつつも、関係者は地道に活動を継続されているのです。

 

 

 

出発前に 参加者には「インカム」が貸与されました。

後に素晴らしい歴史解説をしてくださる講師のMさんの声を、自転車に乗りながらライブで拝聴できる便利機器です。この機器のおかげで 私たちはイベントを堪能することができたのでした。

 

 

 

 

出発式を終え、一行は てんでに自転車に乗り 小林一茶の句碑をめざして出発します。

この日は 幸い好天に恵まれ〝サイクリング日和〟となってくれました。

 

 

 

 

M講師によると、信州は信濃町で生を受け、その後 結果として多感な人生を送ることとなった小林一茶は、全国を流浪する中 ここ長沼の地にも700有余日に亘って逗留し、その間 多くの俳句を遺(のこ)していったそうです。

 

 

 

今回は そのうちの4つの句碑を巡り、俳句の云(い)われや その時々の一茶の暮らしぶり・句の背景にある時勢や ときの長沼の地勢などについて解説していただきました。

 

 

 

 

域内を移動する途中、長沼堤防に沿ってペダルを漕いでゆきました。

 

 

 

と、「ここで止まってください。」とM講師。

曰く「ここが堤防の決壊現場。堤防の再構築が果たされ、現在 防災ステーションの築造に向けて埋蔵文化財調査が行なわれていますが、ご案内のとおり ここには「長沼城」がありました。」

 

 

 

「長沼城は、徳川家との確執で藩が取り潰しとなり 同時に城までも潰されることとなる数奇な運命を辿ることとなりましたが、ここに その文化財が眠っていたことは史実であることから、私たちは そのことも心に留めながら暮らしてゆくべきでしょう。」と述べておられました。

 

 

 

 

一茶の句は、当時の人々の暮らしの中に溶け込み その暮らしぶりをシンプルに表現しているものと教えていただきました。

 

「門(かど)に立つ 菊や下戸なら 通さじと」

 

 

「綿散るや 小薮小社(こやぶこやしろ) 小溝まで」

 

「てもさても ても福相の ぼたんかな」

 

 

今回の「長沼の魅力発見ツアー」は、広く知られた俳人 小林一茶の句碑巡りを通じ、当時の時勢や人々の暮らしぶりに思いを馳せる生涯学習の機会になると同時に、あの未曾有の災害を経てなお 地域復興と活性化に不断の取り組みを重ねる、地域の方々の力強さのようなものを再認識する機会となりました。

 

 

 

 

被災地復興については、行政においては 既存の社会インフラの復旧と同時に「防災ステーション」や「復興道路」の築造などのハード面・復興局による 住民に寄り添う「心の復興」を期したソフト面での取り組みなどが行なわれていますが、その一方で 今回のような市民による市民活動も大いに尊重し、まさに官民を挙げて真の被災地復興に取り組むべきとの思いを新たにいたしたところでありました。