倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

青木島遊園地存廃問題 =原形復旧工事に見た、長野市の児童への「心の配慮」の無さ=

2023-04-18 | 日記

未だ大きな社会問題になっている「青木島遊園地存廃問題」ですが、一連の経過を経てこの日 多くの市民の思いに背中を向ける形で、遊園地の廃止に向けた「原形回復工事」が始まることとなりました。

このことについては、昨年末から 多くの市民が遊園地廃止に反対し、存続を願っていたところでありますが、市は 表面的な対応を二転三転~しかし その裏では廃止に向けた密約を着々と進めた末に、半ば(市の)一方的な都合に基づき 4月17日を工事の着手日に定め、いわば否応なしという形で(工事を)始めました。

 

 

 

子どもたちが笑顔で駆け回った遊園地に大型重機や作業員が立ち入り、植栽の抜根や樹木の伐採など、これまで子どもたちが慣れ親しんできたものを次々と除去・撤去し始めており、それを目にする心ある地域住民は 一様に心を痛めておられます。

 

 

 

私も関係者に乞われ 現場に足を運びましたが、かかる状況下で工事を見守る中 工事の主体である長野市と児童センターの運営を司(つかさど)る長野市社会福祉協議会(市社協)が、最も心を砕くべき児童センター利用児童に対する配慮が全く見られないことが見て取れ 非常に残念に思わされると同時に、市と市社協の体質のようなものを感じ取ったところです。

 

画像でご覧のとおり、現下の原形復旧工事の模様は 見る者の心を痛めることになっていますが、そのことについて一番に心を痛めるのが、他でもない児童センターの利用児童です。

そのことには誰しも気にかけるべきところであり、周囲の大人の務めとすれば でき得る限り児童に精神的ショックやストレスを与えないよう努力するものでありましょう。

ところが です。

私が現場に足を運んだ際 私は非常に驚かされました。

あろうことか、児童の居場所であった遊園地を壊す工事が、いわば剥(む)き出しのままに行なわれていたのです。

 

 

 

 

私が現着したとき(14時頃)も、遊園地の敷地内では ユンボ(小型重機)や抜根機が稼働し、子どもたちが慣れ親しんだ植栽や 盛夏には涼を取ったであろう木々が無残に切り倒され、抜根機で根こそぎ掘り起こされる様子が、イヤでも目に飛び込んできました。

その様子は 私たち大人の者にとっても少なからずショッキングなものであり、何というか言葉を失うような無残な有様でした。

 

そのうえで、です。

剥(む)き出しのまま 誰の視界にも入る工事の模様は、あろうことか 学校から児童センターに向かう児童の視界にも 否応も無く飛び込んでくるのでした。

 

 

 

工事初日のこの日、学校から児童センターに向かう児童らは あれほど慣れ親しんだ遊園地が無残に壊されていく様子を直接目にすることとなり、一様にショックを受けている様子でした。

中には「遊園地を壊した人を許さない!」と憤ったり、工事の様子を見て情緒不安定に陥り泣き出す子どももいるほどで、多感な児童にとって遊園地が目の前で壊されていく様子は、大人が感じることよりも、その受ける悲しみの度合いははるかに大きく、その心理的ショックはいかばかりかと思われるところです。

しかし実際には、工事は いわば剥き出しのままで行なわれています。

このような児童に対する配慮に欠けた行為(工事)は、もはや所管課(公園緑地課)の範疇を超え、児童福祉・児童教育の面でも大きな問題があると言わざるを得ません。

 

工事が始まる前 長野市は「児童の安全には十分配慮して行なう」旨の表明を行なっていました。

確かに、学校から児童センターへの導線には多くの人員を配し そういう面での安全は確保されていました。

 

 

 

しかしそれは、交通安全などの外見的な配慮のみであり、もしかしたらイチバン肝心な〝児童の「心」に対する配慮〟が全く為(な)されていないのです。

 

私は、当然に長野市は 児童の心情に配慮し、予め遮蔽物(しゃへいぶつ)を設置したうえで いわば残酷であるともいえる遊園地を壊す工事の様子が児童の視界に入らないように配慮すると思っていました。

しかし実際には それが全く無かった。

このことについて現場で職員に問うと、今回の工事の計画に そもそも遮蔽物を設置する内容が盛り込まれていなかったとのことでした。

つまり長野市は、遊園地を壊すことだけが目的であり、そのことで 誰がどのように傷つくのかについては度外視ししたまま工事を進めようとしているのです。

こんな血も涙もない 無碍(むげ)な行政行為はあったものでしょうか。

 

その後 保護者の方からの抗議を受け、児童センターの窓側から遊園地を臨む面には ブルーシートを掛けた遮蔽物が施されたようですが、それとて「言われてからやった」いわば〝やっつけ仕事〟と言わざるを得ません。

 

 

 

・・・・・・。

顧みれば、さきの遊園地への感謝の紙の掲示を阻止したことについて、所管の市社協会長は「子どもたちの気持ちに十分寄り添えずに対応したことを深くお詫び申し上げる。」とし、さらに「子どもたちに寄り添った支援がさらに充実するよう、全職員が一丸となって取り組む。」としたはずであり、そのことについては委託元の荻原市長も同意でおられるところでありましょう。

今まさに「子どもたちの気持ちに十分寄り添った対応」が求められているのです。

にも関わらず やってることは、子どもたちの心に何の配慮も無い「遊園地を壊すことだけを目的とした工事」です。

 

今回の行政行為に際し 私は、所管の公園緑地課の職員では職責に叶わないと判断し、居合わせたこども未来部職員に対し「児童福祉」の視点で、また電話で教育員会に「児童教育」の面で 児童の心に配慮しない工事は大いに問題であることを厳しく指摘しました。

しかし残念ながら、各職員の心に心底響いたかと言えば そうは感じられない鈍感さでありました。

 

これまでも 青木島遊園地の存続を願って活動を重ねてこられたKさんは、この工事の模様を見て「長野市の行政は劣化が著しい」と嘆いておられました。

いったい どこを向いて行政事業を行なっているのでしょうか。

向いている方角が 明らかに違う長野市行政。

その一翼を担う者の一人として、慚愧の念に堪えないところであります。

 

なお この〝剥き出し工事〟について 児童センター保護者有志の方が、工事にあたっては、青木島児童センターに面する遊園地東側と センター利用児童が通行する遊園地北側の面について、工事の様子が児童の視野に直接入らないよう遮蔽物を設置することを市に申し入れたとのこと。

今後の対応如何(いかん)で、市の姿勢が また見えてくるところです。