倉野立人のブログです。

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青木島遊園地廃止問題 =長野市議会3月議会で登壇=

2023-03-02 | 日記

開会中の 長野市議会令和5年3月議会の個人質問で、発言の機会を得て登壇しました。

 

 

 

この議会で発言の機会をいただいたことから、通告に基づき質問させていただくところでしたが、先日 荻原市長の方から「青木島遊園地は廃止」との発言が飛び出したことから、このことについての検証を余儀なくされることになりました。

当初の質問原稿の案文の中では、これまでの市の取り組みについて同情と敬意を表し、そのうえで課題をより良い方向へと向かうよう提案する構成となっていましたが、こと ここに至っては、そういうワケにはゆかなくなってしまいました。

したがって発言内容もゼロベースとなってしまいましたが、私はもとより、青木島遊園地の存続を願う多くの方々から疑問と翻意を促す声が寄せられていますので、それら切実な声を受け、私のできる範囲で検証させていただきました。

 

市長は、青木島遊園地廃止の理由を昨日になって「地権者は新たな土地利用を計画されており、関係者との調整を重ねてまいりましたが、これ以上 土地をお借りすることは断念せざるを得ない状況にあります。」と述べ、地権者への土地の返還が廃止判断の理由と述べられました。

そうなってくると、これまで市のHPで公表されてきた「廃止を判断した6つの理由」は はいったい何だったのかと言わざるを得ません。

この点についての説明、これまで掲げてきた6つの理由の意味と、なぜ市長の熟慮の結果がこれ以外の「新たな理由」であるのか、その整合性について、所管と市長の双方に質(ただ)しました。

 

 

 

これに対し 市長ならびに都市整備部長は「廃止の判断は あくまで6つの理由でありました。」と答え、それをもって地権者をも(廃止に向け)説得したとの答弁でした。

この発言は、後の項目につながります。

 

市長の上げた廃止理由は、いかにも「地権者自らが新たな計画を立てたから廃止」と聞こえますが、実際は逆ではないでしょうか。

8月22日の市長レク資料によると、昨年2月に、市の方から地権者に対し、遊園地を廃止する旨を説明し了承を得た、とされています。

地権者はそれを受けて、土地を塩漬けにするワケにゆかないので新たな計画を立てることになったものであり、元を質せば、遊園地を廃止し新たな計画を立てるよう仕向けたのは 他ならぬ市の方なのです。

それを裏付けるように、2月7日11時に所管職員が地権者を訪ね、廃止報告と現状復旧について説明しようとした際、地権者は「突然廃止にすると言われても困る。そもそも当時の関係区長がどうしても必要な遊園地であるため是非協力してほしいとお願いされたものである。そんなに簡単に廃止していいのか。」と強く疑問を呈し、それに対し理由をつけて食い下がる職員に「もういい。突然の話しで今は何をいわれてもダメだ。」と毅然とした態度で職員を追い返しているのです。

 

 

であるにも関わらず、市は遊園地廃止を言い張り地主を説得した。遊園地廃止は地主の意向ではなく市の仕掛けなのではないでしょうか。

このことについて、所管は市長にどのように報告し、市長はそれを受けてどう考えられたのかを質しました。

 

 

 

これに対し 市(都市整備部)は、一連の経緯を述べるだけで 市の〝本音〟の部分に言及ことなく終始し、市長も「反省」などを口にするばかりで、深層を語ることはありませんでした。

 

おそらく地権者は、市に説き伏せられる形で廃止を受け入れ、であるとするならば新たな計画を立てようということになり、その後、存続の世論が高まりに押されて住民説明会以降に、今度は存続できないかとの逆相談を受けたが「今さら何だ!」と突き返したことと思われます。

その、二転三転した末に地主に断られたのに、市は それ(地権者の最終判断)をもって「地権者の判断」としての廃止理由としたのでしょうが、そもそも苦情者の苦情に安易に屈し、あげく区長会を使って出さなくてもいい廃止要望を出させ、あげく止(とど)めは地権者の意向として廃止を判断するという、事(こと)の発端と理由の全てを市民に押しつける姿勢そのものが間違っていると言わざるを得ません。

これら一連の事(こと)の処し方について、どのように考えて対応したのかを質したところ、市(都市整備部)は「あくまで最終判断は市が行なった。」としたものの、その経過の中で主体的・積極的に動かなかったことへの振り返りの弁が聞かれることはありませんでした。

 

また、側聞すると、地権者は市の廃止連絡を受け、昨年7月頃に不動産業者を使って遊園地敷地の測量を行なっているとのことでした。

このことは、市長の言う「地権者の新たな計画」は、昨年の時点で既に始まっていたことを意味します。

このことと、きのう市長が明言した「廃止理由は地権者都合」をつなぎ合わせると、去る2月11日の住民説明会が意味をなさなくなってくるのです。

表向き市長は「住民の声を改めて聞きたい」として住民説明会の開催と出席を果たされ、そのことについては私も含め、その「逃げない姿勢」に内外から高い評価が送られたものでした。

しかし、その裏では、地権者に遊園地廃止を説明し了承を取り付け、地権者が新たな計画への着手を余儀なくされるもそれを容認していたことは、他でもない市民への背信行為であり、時間を割いて会場に足を運んだ280名もの地元住民はもとより、集会の推移を固唾を飲んで見守っていた多くの市民・もっといえば全国民に対する重大な裏切り行為であったと言わざるを得ません。

市長が、廃止の理由を地権者都合と言うのなら、あのとき「ニュートラルで考えたい」といった言葉は一体何だったのでしょう。市民の目を欺く美辞麗句だったのでしょうか。

あのとき、会場に集まった人たちは、市長が真剣になって話しを聞いてくれ、然るべき判断をしてくれると信じていました。

しかし実際は違っていた。地権者交渉は2月11日以降だと言ってみても、その下地はそのはるか以前に固められていたのではないでしょうか?

あのときも、市の廃止の理由は、相変わらずの6つの理由を朗読しただけでした。ことここに及んで、廃止の理由が地権者都合であるならば、なぜ集会の際にその経過を報告しなかったのでしょうか?

 

 

 

これらを踏まえ、住民説明会を行なった際の状況について質したところ、市(都市整備部)の答弁は「廃止の理由は あくまで「6つの理由」だったので…」のオウム返しに終始。

 

さらに市長に対し、住民説明会の時点で 一連の市と地権者とのやり取りについて知ったうえで集会に臨んだのか質したところ「知っていた。但し交渉の途中だったので言わなかった。」とのことでした。

市長は言いました「あくまでニュートラルで説明会に臨みたい。」と。

実際には廃止に向けてギヤが入っていたのです。これは市民に対する重大な背信行為と言わざるを得ないでしょう。

 

 

次に放課後児童の扱いについて質しました。

昨日の答弁の際、市長は、聞くところによる「オギワラビジョン」に基づく青木島小学校の校庭ならびに施設の活用する旨を羅列しておられましたが、その現実味はあるのか。直ちに実行されるのでしょうか。

聞くところによると、市の所管課が児童センターを訪れ、学校施設の活用について関係者に打診したところ、実際には 受け入れが春休みなどの長期休みが中心になること・校庭利用に向けては複数のスタッフ加配が必要なこと・狭隘な青木島小校庭においては、これ以上 とりわけ低学年児童を遊ばせることは新たな事故の危険性があることなど課題が多く、周辺環境が現状のままでは、もし遊園地を廃止しても直ちにその代替の役割を果たすことは現実的に困難であること、あまりのリスクの大きさに直ちに低学年児童を学校利用に混在させることは不可能と回答されたそうですが、その厳しい結果は市長の耳に届いているのでしょうか。

市長への報告の状況について質したところ、市(こども未来部)は「今後想定され必要となる さまざまな対策について報告しました。」旨の答弁でしたが、児童センター関係者が「現時点では(対応は)無理!」と突き返した〝現実〟まで具(つぶさ)に報告されたかは懐疑的でありました。

さらに、学校施設の活用に伴い 支援員などのスタッフの加配が求められ、所管で対応しているとのことですが、加配したスタッフは 当然に保育士などの有資格者であるべきですが、現在の状況はどうか質したところ、青木島児童センターにおいては退職者が相次ぎ人員が不足している中、若干名を採用したが、それらは有資格者ではないとのことでした。

今後、他の施設からの応援も含めて対応するとのことでしたが、人員配置については難航している様子が窺(うかが)えました。

このこと(スタッフ)については、現場の人からも「言っては何ですが、誰でもイイというワケではなく 単なる数合わせでは困ります。資格を持ったうえで 目配り・気配りの効く人じゃないと、とても放課後児童の安全は守ることはできません。」との声もあり、(今後の手配が)非常に心配されるところです。

 

また、市民から「学校への移動の際などに何かあるか心配です。」との声が所管課に寄せられたとき「あ、それは保険に入っているから大丈夫です。」との実に子どもへの配慮に欠けた事務的に回答されたと嘆きの声が寄せられたことから、その事務的対応についてどう考えるか見解を質したところ、市(こども未来部)は「万が一のときには保険対応するので大丈夫です、という説明だったハズですが、伝え方(伝わり方)が悪かったなら謝罪します。」とのことでした。

このことについては了(りょう)としましたが、非常にナーバスになっている保護者対応に当たる所管課の対応如何(いかん)で 長野市全体のイメージが左右されることを肝に銘じてほしいところです。

 

 

 

この度の遊園地廃止と児童の学校施設受け入れなどさまざまな変更は、児童センターの上位機関である市社会福祉協議会の職員も寝耳の水との声が聞かれていますが、社協との情報共有はされているか質したところ「新たな体制については これから」とのこと。

市長の言う「オギワラビジョン」は、裏付けのないまま進んでいるようです。

 

また 隣接する保育園においては、交通事故等の危険の可能性を背負いながら遠くの場所への「お出かけ保育」を余儀なくされていますが、この状況、徒歩0分に安全な遊び場があるのに遠くに行かなければならない状況についてどう考えるか、見解を質したところ、市(こども未来部)からは、お出かけ保育の大切さを説明されると同時に、交通安全については万全を期しているとのことでありました。

いずれにしても、未満児さんが遊園地を使えなくなることは残念の極みでありましょう。

 

さらに 市長は昨日「学校内の施設や今後見込まれる余裕教室を使って、子どもプラザへ統合することで、放課後も学校外に移動することなく、安全に伸び伸びと過ごせるようにしてはどうか」と明言されましたが、そのプランは現時点で青木島小学校に伝達され、学校の了解は得られているのか、教育委員会に状況を訊いたところ、ここでもやはり「これから」との答弁でありました。

このことからも、さきに本会議で市長がブチ上げた「オギワラビジョン」は 現場の裏付けの無いまま、市長の「思い」だけを語ったもののようで〝課題はこれから〟の感…懸念だけが募るところでありました。

 

 

また昨日、私が市長答弁の内容と共に驚いたのが、市長が その(遊園地廃止)発言の直前に、質問議員から「子どもの権利条例」の発言が出されたこと賛同し「私も「子どもまんなか社会」に向けて共々に取り組みたい。」と言った、その舌の根も乾かぬうちに「青木島遊園地は廃止します。」と言ってのけたことでありました。

この真逆の主旨の発言を続けざまに行なったことには、耳を疑うばかりでした。

遊園地の存続こそが、国連の定める「子どもの権利条約」の第31条にある「子どもが休息し かつ余暇をもつ権利」さらに「子どもが文化的、芸術的、レクリエーション的および余暇的活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する」を遵守するところであり、これに反することは、本市がめざすべき子どもの権利条例の上位規約である国連条約に背くことになってしまうのです。

この、いわば矛盾する発言について市の姿勢を質したところ「子どもの遊ぶ権利を守るために小学校校庭を整備します。」旨の答弁。

それに対し「子どもたちは 他でもない青木島遊園地で遊ぶことを「子どもの権利」として主張しているんです。」かみ合わないやり取りでした。

 

そして、市長の言う「オギワラビジョン」青木島版の実現のためには、相当の時間がかかることが想定されますが、この間の「子どもの居場所」についてはどのように確保するか、その見通しについて質したところ「できるだけ早く」とのことでありましたが、後の同僚議員の質問では 遊園地廃止後スグに転換は無理であることが明らかになったことから、今後 他でもない放課後児童にしわ寄せが出るのは確実な情勢であります。

 

 

一連のやり取りを通じて、改めて 青木島遊園地廃止は「出来レース」だったことが再認識されました。

そしてその結末は、(前掲のとおり)そもそも苦情者の苦情に安易に屈し、あげく区長会を使って出さなくてもいい廃止要望を出させ、あげく止(とど)めは地権者の意向として廃止を判断するという、事(こと)の発端と理由の全てを市民に押しつける姿勢そのものが間違っていると言わざるを得ません。

こと ここに至れば、苦情者の苦情そのものも演出だったんじゃないかと思わされるほど 市への疑心暗鬼は膨(ふく)らむばかりであります。

そんな顛末に 市職員自体も振り回され始めています。

何より、これまで不自由を強いられてきた放課後児童が、さらに可哀想な状況に置かれるのではないかと思うと 不憫(ふびん)でならないところです。

関係するみんなが笑顔になれない状況…たかが遊園地存廃の問題が、されど市民益に関わる 自治体運営の根幹に関わる事態になりつつあります。

このまま「遊園地廃止。これにて一件落着。」というワケにはゆかないでしょう。

 

 

質問時間も終盤に近づきましたので、私が個人質問で登壇することを聞いた 青木島地区に住むお子さんから寄せられた「しちょうさんへのおてがみ」を披露させていただきました。

 

 

市長さんへ

公園をなくさないでください。

なぜかというと 公園がつくられるのはうれしいですが、なくなるのは とても悲しいです。

わたしも悲しいです。

あそんでない子はあそびたくてもあそべません。

もう一度 考えなおしてください。

 

 

 

 

しちょうさんへ

しちょうさんは、まえのせつめいかいで、あそんでもいいといっていましたが うそですか。

なくなったらあそべません。

わたしは まだまだずーっとあそびたいです。

なくさないでください。

 

 

 

 

市ちょうさんへ

しちょうさんは「子育てしやすい町」といっていましたが 今はどうですか?

しやすいですか、わたしは とてもしにくいと思います。

もう一度考えてください。

 

 

健気(けなげ)な子らが 一生懸命書いた「しちょうさんへのおてがみ」胸が詰まる思いです。

議場で効いた荻原市長は、いったい何を思ったのでありましょうか。

 

 

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