倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

滅私奉公

2021-12-12 | 日記

ネットのコラムで、その生涯を公園にある花壇の手入れに捧げるおばあちゃんの記事が載っていました。

記事によると、公園のそばで独り暮らしのおばあちゃんは、数十年に亘り 公園の中にある花壇の手入れに勤(いそ)しんでおられるとのこと。

日々の水やり・夏場の草取りはもとより、季節ごとに花を植え代えたり 土に堆肥(たいひ)などの肥料をあげたり、花壇の柵が朽(く)ち始めると 自ら工具を持ち込んで修理したり…自分ちの庭なんてもんじゃない、それ以上の愛着をもって手入れし続けておられるそうです。

「なぜ、そんなに熱心に?」と問うと、件(くだん)のおばあちゃん 天真爛漫ともいえる笑顔で「花を見て「きれいだね。」と言って笑顔を見せてくれるのが一番の励みなのよ。」とのことでした。

日々の花壇の手入れのせいか、おばあちゃんの指先は土で真っ黒になっていましたが、おばあちゃんは何ら構うことなく 今日も花壇に向き合っているとのこと。

自分の時間を 言いようによっては犠牲にしてまで、他者の笑顔のために(花壇の手入れに)勤しむその姿勢は、地域に癒(い)やしと和(なご)みのときを与えてくれていることが報じられていました。

 

 

 

 

「滅私奉公」ということばがあります。

これは、自らの犠牲を厭(いと)わず 他者のために尽くす善行のことを指(さ)しますが、私は このおばあちゃんの記事を見て、さきに難病で逝去されたAさんの奥さん(Bさん)を重ね合わせたものでした。

永年に亘り看護師として病院職務に従事されていたBさんは、自らの病気の進行を知ること無く職務に精励されていました。

そんな中、あろうことか自らの身に難病(膵臓がん)の厄(やく)が降りかかってきたのですが、Bさんは それに抗(あらが)うこと無く、まさに自然体で病魔に向き合い 家族愛に囲まれながら、それはそれは惜しまれつつ 早すぎる生涯を閉じられました。

 

Bさんは その生涯を、まさに他者に尽くすことに終始されておられました。

職場においては 患者さんや被験者のために尽くし、家庭においては伴侶や家族のために尽くし、地域においては共に暮らすご近所さんに尽くし…自らを省(かえり)みず「まず他人様(ひとさま)」を旨として生きてゆかれたものでした。

そんなBさんが まさかの病魔に見舞われ、後は 周囲を大いに嘆き悲しませることとなったのですが、そころがその間 Bさんは一切の愚痴や不満を口にせず、その一切をも背負って旅立ってゆかれたのでした。

となれば、Bさんは、世の中の全ての痛みや苦しみまでも自らが背負い、他人様の分まで請け負っていった(逝った)のではないかと思わされるほどの 優しく強い人生でありました。

 

これほどまでに他者に尽くした人を、私は見たことがありません。

優しくも強い人生。

ふたつの話題に触れ「滅私奉公」のことばを噛みしめたものでありました。