倉野立人のブログです。

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自治会加入を巡る社会問題「ごみ出し訴訟」に思う(思わされる)

2022-11-20 | 日記

ネットのニュース記事で「自治会加入・非加入によって〝ゴミ出しができるかできないか〟を巡って裁判沙汰になり ついにそれが最高裁まで上ることになった」との事案が報じられ、非常に考えさせられました。

 

 

 

今回〝裁判沙汰〟になっているのは 兵庫県神戸市の閑静な住宅街(A地区)です。

記事によると、このA地区に住む夫妻が「自治会への非加入を理由に 地域のゴミ捨て場の利用を禁じられたのは違法だ。」と主張し、地元自治会に対し「慰謝料」と「ゴミ捨て場を利用する権利の確認」を求める訴訟を起こしたそうです。

これは〝行き過ぎた「制裁」〟なのか、それとも〝掃除当番の負担を免れた いわば(ゴミ捨てだけの)タダ乗りを防ぐ正当な判断〟なのか…争い(主張)の舞台は裁判所 それも最高裁にまで移る(上る)こととなり、しかして これは、現下の地域社会の横のつながりの変遷ぶりを象徴する事案となっているのではと思わされるものでした。

 

 

このA地区においては、平成31年まで都市再生機構がゴミ捨て場を所有し 誰でも利用可能としていましたが、その後は所有権をA地区の自治会に譲渡しました。

これを受け、A地区自治会は住民による総会を開いて ごみ捨て場に関するルールを決めました。

その主な決めごとは▽自治会の役員や掃除当番を負担する住民の年会費は3600円▽掃除当番などを担わない住民は「準自治会員」として年会費1万円▽会費を払わない非自治会員は利用禁止、との内容です。

 

原告の夫妻は 約20年前からこの住宅街に住んでますが、数年前に自治会から離脱しています。

その際に 役員がルールを伝えて改めて入会を求めたが夫婦はこれを拒否。そのためゴミ捨て場を使えなくなったことから、ゴミ収集車が到着したタイミングで直接作業員に手渡すか 親族に廃棄を頼むしかなくなり、日常生活に支障が生じることとなってしまいました。。

神戸市によると「集まったゴミ自体を回収する作業は行政が担っています、ゴミ捨て場の管理は基本的に地元住民に委ねています。」とのことです(例外として 歩行困難の高齢者や障がい者は戸別回収することもあるとのこと)。

 

この状況に際し、夫妻は令和2年に 自治会の対応は「所有権の乱用」として、損害賠償やごみ捨て場を利用する権利の確認を求める訴訟を神戸地裁に起こしました。

これに対し自治会側は「自治会の会費を払っていないのにゴミ捨て場の利用を認めれば、自治会員との間で著しい不平等が生じる。」と反論しましたが、神戸地裁は翌年9月、夫妻にはゴミ捨て場を利用する権利があると認めると共に 自治会の対応は違法として、計20万円の損害賠償を命じました。

同地裁(裁判長)は、神戸市の制度を踏まえると「地域のゴミ捨て場の利用を禁じられると、家庭ゴミを排出する手段を失う」と指摘し「ゴミ捨て場の管理は、(ゴミ捨て場を)誰もが利用できる行政サービスの一環といえる。一部の住民を排除するのは相当ではない。」と述べています。

この判決を不服とした自治会側は控訴しましたが、大阪高裁は今年10月 一審に続き自治会側の違法性を認めました。

たとえ自治会に入っていなくても 維持管理費などの負担を求めれば済むもので、非自治会員のゴミ捨て場利用を一切認めないのは正当化できない。」と判断、さらに「そうした金銭負担の提案を夫妻にすることなく(ゴミ捨て場への)出入りを禁止としたのは、入会の強制に等しい。」として 計30万円の損害賠償の支払いを自治会に命じました。

但し、(ある意味 肝心となる)一審が認定していた〝夫妻がゴミ捨て場を利用する権利〟は認めなかったことから、この夫婦・自治会の双方が控訴審判決を不服として上告したものです。

 

 

 

この事案に際し、ゴミ問題を扱う「国立環境研究所」の全国調査が紹介されました。

それによると、全国の約7割もの自治体で 自治会への非加入者が地域のゴミ捨て場を利用できない問題を抱えているとのことです。研究所は「自治会加入者は年々減少傾向にあり、その状況下で 住民生活に欠かせない「ゴミ出し」を巡り、住民間の摩擦が生じるケースは増えてきています。」と分析しています。

 

記事はさらに、この〝ゴミ出し裁判〟を端緒に 現下の「自治会運営」を巡る課題にも触れていました。

自治会への加入を敬遠する風潮が強まる半面、自治会の存在そのものを前提(自治会を拠(よ)りどころ)とした行政サービスは多岐に亘るため、運営する側(自治体・自治会)の苦悩は増しています。

今回の訴訟の被告となった自治会のある役員は「〝たとえ自治会に入らなくても当然に行政サービスは受けられるし、それが自治会の財産であっても使うことができる〟という論法がまかり通れば、会員の減少に拍車がかかり 自治会の存続は難しくなる、もっと言えば 自治会の存在意義そのものが無くなってしまう」と吐露しておられたことが伝えられていました。

 

 

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古くは、落語などで聞かれる 長屋(ながや)での「熊さん、八っつぁん」の 味噌や醤油を貸し借りするような古き佳き近所づきあいに端を発し、その後は「町内会」や「隣組(となりぐみ)」などの地域のコミュニティが醸成されて久しい我が国の地域社会ですが、ここへきて その住民気質にも変化が生じ、いわば曲がり角にきていることを実感させられます。

(私も含め)人は、その土地で暮らす以上は「共助」の精神をもって 良好な近所づきあいに努めると共に、自治会にも加入し それなりの役割を果たすことは当然のことと思うものですが、一方で「個(人)」の存在(する権利)を強調し 共助の活動そのものを拒否する人が出るようになってきたことについて、どう捉えていいものか 思慮に悩むところであります。

それが「ゴミ捨て」という 社会生活に欠かせない作業に特筆されたとき、それが行政の責務だから全てを行政が担えという論理と、社会生活に欠かざる作業だからこそ 住民はある程度の役割を担うべき、そしてその鎹(かすがい)としての自治会には加入すべき との論理が咬(か)み合わない状況には、司法も難儀な判断を求められていると言えるでしょう。

今回の訴訟問題は、住民が そこに住む権利と、そこで暮らす義務との解釈の相違が争われているものではないでしょうか。

 

長野市においては 先代市長が、今後の住民自治の在るべき姿を見据え「住民自治協議会(制度)」を提唱 現在に至っていますが、その先見性ゆえに制度の真意が市民に浸透し切らないなままに推移しており、住自協活動も様々な課題を抱えるに至っています。

本市においても (訴訟には至らないまでも)今回の神戸市の事例のような〝ゴミ出し問題(=自治会の加入問題)〟も散見されていることから、今回の件を他山の石と捉え 問題意識を強めてゆきたいと思いをいたしたところでありました。

 

ただ…個人的には A地区で裁判を起こしたこのご夫婦、これからもそこで暮らしてゆくとするならば、そこまで争う意味がどこにあるのか懐疑的にならざるを得ません。

そこで暮らす以上は、日々ご近所さんとカオを合わせるはずなのに それが角(つの)突き合わせる関係になってしまえば、そのことの方が疲労感となってしまうのではないのかなぁ、と。

そもそも、そうまでして自治会を抜けることになったのは 何か別の理由があってのことで〝ゴミ捨て問題〟は そこにくっついてきたものじゃないか、とも思わされるところです。

いずれにしても、高裁の判断をすれば(最高裁が支持すれば)「自治会は損害賠償・原告夫婦はゴミ捨て場を使えない」との 双方にとってマイナスしか残らない判決になることになる…全ての関係者に徒労感の残るものになるのでは と憂慮するところです。