この10日(日)に、統一地方選挙の一環として「長野市議会議員選挙」が告示を迎えます。
議会改革の一助として実現した「議員定数の削減」によって 現有39を36議席に削減した中、実に50名を超える候補者が立候補することとなっており まさに激戦の様相を呈することとなっています。
さらに言えば、とりわけ今回の長野市議選には いわば多種多様な候補者が名を連ねておられることを実感します。
これまで 選挙の不文律でもあった〝地盤・看板・カバン〟を持たない人(とりわけ若い人)が複数名に亘り立候補を表明、その詳細は存じませんが おそらく独自の手法・独自の人脈等を駆使して、今までに無い活動を展開しておられることでしょう。
このことについて、私自身は「多様化」という視点で歓迎すべきことと思っています。
時代は正(まさ)に ジェンダーフリー・SDGsの傾向にあります。さまざまな立場の人たちが多様な意見や考えを持ち それを議会という場で述べ合い議論を深める。
これは間違いなく ややもすると前例踏襲・旧態依然を旨とする市議会(行政)に新味をもたらすものでありましょう。
何というか、一色で同じ方向にだけ向いて泳ぐ魚の群れに 色とりどりの魚が混じった様相とでも申しましょうか…いずれにしても 選挙結果によっては、議会という池州(いけす)は今までとは違う眺めになると思います。
そのうえで私は、今回の選挙は 長野市政にとって大きな節目となることを予感するところです。
市行政においては 市長が交代して半期が経過しようとしており、その評価(真価)が問われることになっています。
さきのブログで触れたとおり、各紙においても「荻原市政をどう評価するか」が焦点となっており、かかる市政に向き合う議会の姿勢そのものも問われていることになっています。
「令和元年東日本台風」さらに「コロナ禍」を経て誕生した新市長に対峙する議会構成を占う今回の長野市議選。
さまざまな事柄が変遷する中、これからの市議会がどのようなメンバーで運営されることになるのか…このことについて 市民の関心が高まり、高い投票率をもって審判が下される環境ができることを期待するばかりであります。
かくいう候補者の一人である私とすれば、前掲の多様性を受け入れつつ 私は私なりに時代に則(そく)した新たな感性を磨きながら、今の市民・これからの市民の方々のニーズに応えられるよう活動を活性化してまいる所存であります。
そのうえで 今の荻原市政については、私は正(まさ)に是々非々「迎合も対立もしない」スタンスで向き合っています。
一部の議員の中には、まるで飼い犬のように彼に盲従する人もいれば あたかも親の敵(かたき)のように激しく対立する人もいます。
しかし、主体はあくまで市民。私たちは、市民の方々に選択された者の一人に過ぎないのです。
つまりは その行動の原資(基準)として「市民はどう考えるか」「市民のためにどうあるべきか」だけを考えて行動すべきところであり、そこを履き違えてはならないと強く認識するところです。
その行動基準をもって、市政をチェックする。
行政行動(事業)が 市民益に叶っていれば了(りょう)とし、そうでなければ否定(否決)すべきところです。
そういう点では、私は「成果主義」を挙げるところです。
このことについては、先日のブログで述べた「予算主義⇔決算主義」に通じるところですが、市行政の行為(事業)について「やっただけ」で終わることを許さず そのこと(事業)がどのような成果をもたらしたかまでを検証し、そこでようやく事業の善し悪しを判断すべきと考えています。
とりわけ、市民から預かった血税を支弁する以上は「○○をやりました。」だけの子供の日記のような報告ではなく「○○を行なったことで、▽▽のような成果がもたらされました。」までを聞いたうえでチェックを重ねてゆく。
そんな作業の積み重ねこそが、真に市民の期待に応える(議会の)行動となると改めて認識しているところです。
で、その(市行政の)「成果の検証」について 此度(こたび)典型的な事例がみられています。
さきに 荻原市長が、海外からの観光需要を取り込もうと 初めて「海外トップセールス」を行なったのです。
荻原市長とすれば 就任後初の〝外遊〟で、タイと中国に出向いたものです。
これは、9/1からタイの首都バンコクで開かれた、日本の伝統的な食や文化などの魅力を広めようと8年前から行われ 約12万人が訪れる人気のイベント「バンコク日本博」に参加したものだそうです。
そのオープニングセレモニーでステージに上がった荻原市長は「長野市は冬のオリンピックを開催した国際的な知名度の高い都市である一方、都市と自然が融合したとても素晴らしい街です。果物をはじめ おいしい食べ物がたくさんありますので、タイの皆さんの心をわしづかみにできると自信をもってやってまいりました。」とスピーチしたことが報じられていました。
というのも、長野市に宿泊した外国人環境客は 延べ11万7,000人余り(コロナ前)もあり、このうち中国とタイからの観光客が台湾・オーストラリアに次いで多いことから 市長は初めての外遊先として、伸びしろがあるこの2か国を選んだとのことです。
この「バンコク日本博」では、自ら長野市の観光PRブースに立ち 果物などの特産品などをアピールしたそうです。
さらに市長は、タイの人気情報番組にも出演し、軽妙な語り口で 長野市の果物を引き合いに「フルーツ好きな(タイの)人にはたまらない街だと思います。ぜひ私はタイの皆さんに長野市に来ていただきたいと思う。」と愛好を崩して長野市をアピールしておられました。
さらに市長は タイの日本大使館や日本政府観光局などを訪れて懇談したほか、現地のスーパーなどを視察して日本産のフルーツの販売状況など確かめられたとのこと。
その後は 中国を訪れ、首都・北京や長野市の姉妹都市である石家荘市(せっかそうし)などを訪問、現地の旅行会社などに長野市の魅力をアピールしたとのことでありました。
市長は、今後も積極的に海外でのトップセールスを行ない 外国人観光客の誘致や農産物の輸出などに力を入れていきたいとしたとのことです。
ここまではイイ。かつてのオリンピック金メダリストがなった市長として海外に出向き、長野市を広く内外にアピール。今までの市長に無い個性をもって 長野市の〝露出〟に努める姿勢は評価すべきところでしょう。
そのうえで です。
私(=市民)が注目(検証)するのは「今回の外遊で どのような具体的な成果がもたらされるか(もたらされたか)」であります。
さらに言えば、その「成果」については その〝中身〟が問われるところでありましょう。
よくいう「長野市のことを精一杯PRし、好印象を得てきました」とか「タイの情報番組でパーソナリティと有意義な時間を共有してきました」などの〝抽象的な成果〟では、市民は納得してくれるでしょうか。私は「否(いな)」だと思います。
市長と一部の職員が経費(市費)を浪(ろう)して遠く海外まで出向く以上は「ガンバってきました」などとの成果報告では許容されるものではなく、そこには 例えば向こうの農産物移出事業体と大型契約を結ぶとか、長野市への訪問を確実に促すべく観光エージェントと提携するなどの「具体性」が求められるところであり、そこまでの成果が見込めないままの〝成果〟であれば、それは まさに外遊「ただ遊びに行っただけ」との誹(そし)りは免れないところでありましょう。
重ねて申せば、私は 市(市長)とは 迎合も対立もしません。
むしろ、市(市長)のことを案ずればこそ「成果」を求めるのです。
彼を〝裸の王様〟にしないために。
・・・・・・。
このことを典型的な事例とするように、私(=市民)は 今後も市(市長)に対し「成果」を求めてゆきたいと思います。
ただただ予算化し「やっただけ」の事業・ただただ設置し ロクな稼働もしないような設備を許さず、それらが何をもたらし 市民益の向上に資したか(そうならなかったか)を厳しくチェックし、そのうえで 市民も市(市長)も「良かった」と共々に言い合えるような市政をめざし、自分(議員)なりに機能してゆきたいと 心底から思うところです。