ネットのニュースで、私たちの身近な社会生活(行動)の中に潜む ときに生命に関わる危険が招いた痛ましい事故が報じられ、他人事でない感を強めると同時に (私の)周辺で起きている事案と関連づけざるを得なかったところです。
ニュース記事は、複数人で草刈り作業を行なっていた男性作業員が 他の作業員が使っていた草刈り機(ビーバー)で足を切られ、生命を失うことになってしまったとのことでありました。
現場は豊橋市の池の周辺とのこと。
おそらく池の淵にうっそうとする雑草のせいで視認が悪くなり(淵を見誤り)池に転落することを防ぐために草を刈っておこうという作業と思われるところですが、そんな場所で重大事故が起きてしまいました。
作業は豊橋市が委託。当時、現場では4人が2人1組で作業しており、被害に遭った人(Aさん/69歳 男性)は 一方の作業員が刈った草を集めていたそうです。
豊橋市などによると、作業を始めた後の午前9時頃ごろ Aさんは他の作業員(Bさん)が使っていた草刈り機で右大腿部を切られ、病院に搬送されましたが約3時間後に死亡が確認されたとのことです。
さらに警察によると、作業中にBさんの草刈り機の振り幅が大きくなり、勢い余ってAさんに当たったことが原因と見られているとのこと。
警察は業務上過失致死にあたる可能性もあるとみて調べていると報じられていました。
この草刈り機は肩掛け式で、通称「ビーバー」と呼ばれ 広く普及しているものです。
私たち田舎に住む者にとっては〝雑草との戦い〟において欠かせない便利な動力機械です。
(資料)
古来「草刈り」といえば、鎌(かま)で行なっていましたが、この「ビーバー」の登場により 飛躍的に作業能率が上がることとなりました。
この機械の特徴(特性)は、何といっても〝小回りが効く〟というところでしょう。
手(鎌)で刈るには範囲が広すぎる・でも大型の乗用草刈り機などは入れないような難儀な場所でも自在に作業でき、回転刃や紐カッターを駆使して効率よく除草してゆくのです。
(資料)
しかし、です。
この「回転刃」が、状況によっては非常に危険な存在となるのです(ご利用者は既にご案内のとおり)
難儀な雑草を刈り取るため 円状の周囲を研(と)がれた鉄製の刃が動力によって高速で回転、触れるもの全てを刈り取ってゆきます。
(資料)
そこには人感センサーなど無く、機械を背負った者の裁量に任せ 草だろうが小木(しょうぼく)だろうがガンガンと切り(刈り)進めてゆくのです。
今回は そんな最中(さなか)に起きてしまいました。
おそらく、作業現場であった池の淵は広々としており 作業をより効率的に進めるために振り幅を大きくして、ひと振りで広い面積を刈ってしまおうとの心理が働いたものと思われますが…。
前掲のように鉄製・円状で高速回転する刃。そこに人の身体が接触しようものなら ひとたまりもありません。
警察によると 受傷箇所は大腿部。おそらく動脈を傷つけてしまったのでしょう。
今回の事故は 恐ろしいものではありましたが、でも これは、地域のどこででも起こり得る事故でもあるところです。
この時期、雨が全然降らなくとも 何故か雑草だけは生い茂(おいしげ)ってゆきます。
今も地域のどこかで、必ずといってイイほどビーバーが稼働し 草刈り作業が行なわれていることでしょう。
言い換えれば、私たち(作業する人)は 常に危険と隣り合わせにいるのです。
今回の事故は、事前の確認不足・現場での目視不足・いわゆる〝ながら作業〟等が招いたものと思われます。
とりわけ (ガソリン動力のビーバーの場合)機械の音が大きく 声が聞こえにくいこと・また 草刈り中は足元しか見ないため 周囲に目が行き届きにくいことなどから、作業の前に相互に安全確認しておくことが肝要です。
作業中は互いに近寄らない・作業を進める方向を確認しておくことなどすることで 刃が仲間の方に向かないようにすることを大前提に、作業中に「オーイ!」などと改めて声をかける必要のないよう事前対応が求められるところです。
また 今回の事故は「慣れ」が招いたものかもしれないとも思います。
かくいう私も この機械をいくらか扱えるため、地域の公園の草刈りなどに出張っては ビーバーを使って除草作業に参加する者の一人なのです。
そんな立場をもってしても、今回の事故は とても他人事とは思えません。
いつも日常的に行なう作業。で あるからこそ、事前打合せと作業中のルール確認を徹底することが ひいては自分の身を守ること・さらには 同じ仲間同士が受傷する(される)などの悲劇につながることを未然に防いでくれることを改めて自覚(自戒)したいところです。
・・・・・。
そのうえで、私の周囲で かかる除草作業に関する難儀(難解)な課題が聞かれているのです。
このこと(課題)自体は、草刈り(ビーバー)そのものが全てというワケではなく、その詳細等については 状況に応じて後日に譲ることといたしますが、いずれにしても 不測の事態がさまざまな出来事を招くことがあること、そのものが「社会」であることを心に留め 日常生活の中で起きる(起きるかもしれない)あらゆる事案に向き合ってゆきたいと思うところです。