倉野立人のブログです。

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「検証」の重要性と〝難しさ〟

2023-06-13 | 日記

報道等で、大手芸能プロダクション会社(J事務所)において 元経営者(故人)から(かつて所属した)タレントが性被害を受けたとして告発した問題について、当該J事務所が「外部専門家による再発防止特別チーム」を組成して「検証」を行なうことになったことが報じられました。

 

 

 

それによると、この検証チームは 検事総長経験者・精神科医・(性暴力などの被害者支を実践している)臨床心理の研究者で構成され、件(くだん)のJ事務所とは一切関わりを持たず 第三者委員会としての機能を有しているとのこと。被害を申告する人たちに寄り添い 同事務所の過去の対応上の問題点を調査・検証し、ガバナンス上の問題に関する再発防止策を提言し実行を求めるそうです。

おそらく今回の案件で このような経過(検証チームの組成)となったのは、組織の絶対的カリスマであった創業者の過去の所業について 内部(身内)だけで事実確認をして結論を出すことは無理だとの判断に至ったものであろうことが推察されるところですが、この判断は賢明であったと評価されるところです。

先ずは、過去にどのような事実があったのか・そのことによって どのような被害が及ぼされたのか・そのうえで 今後、組織としてどのような道を歩んでゆくべきなのか等が白日の下(はくじつのもと)に検証に付され、二度と類似の事案が起こらないように努めてゆくことが求められるところでありましょう。

 

「検証」この作業は、組織にとって ある意味では難儀な作業であると同時に、(組織を)再活性化させるためには〝通らなければならない道〟でもあると思います。

自らの組織の内部で起きた問題点、それもとりわけ 外部から(問題点を)指摘されたときに、自ら(問題点を)炙(あぶ)り出し、何が悪かったのかを自らの手で白日の下に晒(さら)し評価を受けることは、勇気を要することであります。

できることなら、臭(くさ)いモノには蓋(ふた)をしたまま やり過ごしたい。そう思うのは人情というものでしょう。

しかし、それでは 組織は堕落の一途を辿ることになる。

 

一方で〝誰が検証するのか〟も、その検証の成果を左右することにもなると申せます。

今回のJ事務所においては、事務所とは一切関わりを持たない 第三者(それも有識者)が検証チームを組成し検証作業に当たるとのこと、これは 主観を持たずに客観的に事態を分析する面において有為なものと評価されるところです。

「身内が身内を裁(さば)く」との言葉がありますが〝検証〟とは言っても、例えば 問題が起きた組織の内部の者が検証チームを組成しチェック作業を行なうと、それは概して身内に甘いものとなり 下手をすれば忖度(そんたく)が加味された、当該組織にとって(逆に)都合のイイ検証になりかねない危うさがあると思われます。

 

その点において、長野市では(従前に触れましたが)さきの「青木島遊園地問題」について、庁内に検証委員会を設置し 一連の経緯を「検証」することになっています。

 

 

 

[参考]5/30付ブログ「青木島遊園地廃止の経緯 庁内に委員会設置し検証へ」

           ↓

https://blog.goo.ne.jp/kz2df777/d/20230530

 

ただ、この〝長野市版の検証〟は「身内が身内を裁く」の典型的なものであることから、どこまで(身内に)厳しく また第三者(=市民)から納得を得られる検証になり得るかどうか 懐疑的な面は否めないところでありますが、市(市長)が「検証に付する」と宣言したのですから、その客観性などについては その(検証の)推移を見守るところです。

 

事ほど左様(ことほどさよう)に、社会活動を行なう組織(団体)においては、これまでの業(ごう)を適切に見直すためにも「検証」を行なうべきところが多々見受けられるところです。

前掲のとおり「検証」は できれば避けて通りたい難儀な作業ではありますが、そのことに着手することで 組織が真に再活性化することを思って、敢えて茨(いばら)の道を選択する勇気を(各組織に)求めたいところであります。