倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

繰り返される災害・事件事故

2022-09-07 | 日記

ここのところ、過去に起こった災害や事件・事故が再び発生する事案が相次いでおり 憂慮に堪えないところです。

 

5日の午後 静岡県内にある認定こども園で、またも「園児置き去り」の 常識では考えられない事案発生の報道がされ、言葉を失いました。

それによると、5日の朝に園児の送迎にあたった園バスが 目的地の保育園に着いた後、6歳の園児(Aちゃん)を乗せたまま車両を放置(駐車)し 5時間を経過した後になって発見、既に手遅れになったとのことです。

後の詳報によると、この日は常勤の運転手が休みで 臨時的に理事長(70歳代)がハンドルを握り、添乗も担当外の職員が臨時的に勤めたようです。

 

 

 

この園バスは、こどもを乗せて園まで来たものの 全員が降りたことを確認しないままに車両を施設から離れた駐車場(屋外)に移動し、そのうえ、Aちゃんが実際に登園していないにも関わらず 担任による欠席の確認は行なわれていなかったとのこと…他の情報だと、この保育園はアプリで出欠確認をすることになっており そこ(アプリ)では(Aちゃんが)出席していることになっていたようなのです。(が しかし、いつもの顔(Aちゃん)が見えない時点でおかしいと思わなければいけないでしょうが)

さらに、この日 園バスのハンドルを握った理事長は「(園児の降車の)確認は、同乗の職員が行なうものと思っていた。」と供述しているとのこと、園運営の総括的責任を担うべき理事長が 降車の点呼の有無を確認すべきところ、添乗の職員(これまた臨時)に任せ切りにしていた実態は 由々しきことこのうえないところです。

聞けば、この日の園バスの利用者数は わずか8人。車両自体も「バス」とはいえ ワンボックス型の大型乗用車程度のサイズで、車内をひととおり点検するのに さほどの手間がかかるとは思えません。

 

前掲のとおり この「園児置き去り」は、つい昨年 発生したばかりです。

2021年7月に、福岡県中間市の保育所でも 全く同様な過失事案が発生しており、なぜ 当時の反省が活かされてこなかったかと、憤りさえ覚えるところです。

 

 

 

また これとは別に、6日の午後 長野市内で大規模な火災発生のニュースが速報され、驚きと共に、その後になって報じられた被害の大きさに言葉を失いました。

6日午後3時頃、長野市上野(うわの)の住宅地で1軒の家屋の火災が発生 すぐに119番通報がされ消防車18台が出動しましたが、折しも市内には台風の影響で 瞬間風速12,8mの強風が吹いており、それに煽(あお)られた火の手は瞬く間に拡大し 少なくとも住宅など13棟が焼ける大きな被害となってしまいました。

 

 

 

これだけの被害が出ながら死傷者が発生しなかったのは不幸中の幸いと言う他ありませんが、いずれにしても 平穏な日常生活をアッという間に奪われることになったことには、かける言葉が無いというのが正直なところです。

この火災の報に接し 私(だけではないでしょうが)は、去る平成28年に発生した「糸魚川市大規模火災」を思い出させられました。

同年12月 糸魚川市街地の中華料理店の失火により発生した昼火事は、折からの強風に煽られ 風下に向かって一気に延焼、約140軒もの建屋を焼失する大規模火災となってしまいました。

この火災と 6日の火災の被害拡大の共通点は「密集」と「強風」でありました。

現場はいずれも 建屋が隣接する地域であり、そこに吹いた強風が 被害を容赦も無く拡大させてしまいました。

火災発生時、強風さえ吹かなければ…と思ったのは 私だけではありません。

 

災害や事件・事故は かくも繰り返されるものでしょうか。

ただ、前掲の火災や たび重なる自然災害については(火災の主原因は「人為(じんい)」ではありますが、この場合は「強風」に注目)如何(いかん)ともし難いところであるけれど、後段の「園児置き去り」については、まさに「人災」防ぐべくして防げる事案でありました。

たった6人の(園児の)乗降を なんで確認しなかったのか(後の理事長の供述に「慣れていなかった」とありましたが これは言語道断の所業)、担任の保育士も「居ないので休みだと思った」と供述していますが、日常的に来るハズの園児が(家族の)連絡も無く休んだ時点で不信感(心配)を抱き、家族や周囲に確認するのが当然のことなのに それを「(休み)と思った」との安易な思い込みで(確認作業を)スルーしている実態…。

この一連の怠惰(たいだ)なミスは、仕事を片手間で行なっていること・仕事に真摯に向き合っていないこと・そして何より 預かった園児を親身になって看(み)ていないことの証左ではないか。

こども園などで幼児保育に当たる保育士は、いわば〝親代わり〟として (園児を)預かっている間は「親」として その職責を全うするものです。

で あるとするならば「こども」が間違いなく園に着いたか・施設で安全のうちに時間を過ごしているかを 目配り・気配りしながら見守るのが「イロハのイ」であり、それが 居ないこと・(送迎バスから)降りなかったことに気づかず、その後も気に留めることなく時間を過ごしてしまうことは 職責の放棄と言っても過言ではないと思います。

 

私自身、ここ数日でクローズアップされることになった〝繰り返される事案〟に 非常に残念な思いをさせられるところであります。

「もう二度と同様の事(こと)は起こってほしくない。」みなさんと同じく抱く願いは、どこまで(いつまで)届くのでありましょうか…