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記憶の蔵書をこの曲にのせて

2014年07月15日 23時57分42秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「古い写真を見つけて、笑い転げているあなたは。少し神が伸びたけれどもそのくせあの頃より若い。何て、なつかしい写真。並んだ幾つもの顔から、忘れかけてた色んな事、思い出して切なくなった。風のかたちに憧れて、いつか風になろうとしてた」(篠原美也子『なつかしい写真』 1994年 より引用)

この「引用」も7年前はマイブーム的だったな、と思う。今も当時も変わらないが、こんな「引用」が好きだし、「」を特定の単語を強調する意味で使うの好きなんだよなぁ、と思う。
彼是取り出して眺めてみる――心の中の何の役にも誰にも誇れず理解されない「思い出」或いは「記憶」と名のつく「蔵書」が増えたなぁと改めて思う。
思い出してばかりいるのは、前へ先へ進むのを拒んでいるからなんだろうな、と思う。1994年前後もなんかそんなだったっけ?と思う。ファンのシンガーがラジオで自身の思い出話を語るのを聞くのが好きだったしその話の中身になぜか心をひかれた。ファンのシンガーをモデルとした京野世佐美物語を書き出した当時も、京野の思い出話を書くのがなんか好きだったようにも思える。

 何もかもがうまくいかなくて行き詰まった頃に、何故か過ぎ去った日々は黄金の輝きとなって私を照らすように思う。戻りたくはないあの頃に。あの頃のが今より良かったかと言われれば大して変わりもせずで。けれど、何かそんな過ぎ去りし日の何の役にも立たない過ぎ去りし日の蔵書が時々、ぱーと輝くから不思議である。
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振り返ってみて――

2014年07月15日 23時55分32秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
暇人パワーって恐ろしいなと思うが、2007年の今時分に観ていた深夜アニメの話はこの記事に、それ以外にまつわる関連話や持論をこの記事この記事で書いているのだが、当時の書き方は文章の感じが読み手を意識してなのか、です、ます調で何か硬いなと思ったりしたのだが。
自転車レースアニメに野球アニメ、バスケアニメに関する話も書かれていたが、7年前に自転車アニメ“Over Drive”なんてやってたんだ~と驚き、野球アニメでは、『おおきく振りかぶって』の第1期がやっていたのか~と思えた。今年2014年の4月半ばで自転車レースアニメ『弱虫ペダル』は『M3 ―その黒き鋼―』の為に観るのをやめてしまったが、野球アニメは『ダイヤのA』を観ていて、あの当時とかわんねえな私、と思えた。スポーツものなんて嫌いと思っていたのにその当時観ていたのかと驚きをかくせない。バスケアニメの話、今年の4月まで『黒子のバスケ』の第2期を観ていて、ちらっと何かの折りで記事化していたりして、歴史は繰り返すではないが、伏線みたいに自分中になりを潜めていたのかと気づいた。ただそれだけの話を長々と書いても誰の胸にも届きはしない。

涼風鈴子「ごくろうさんねえ」
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7年前の手と頭の中にあったもの

2014年07月15日 23時24分33秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
2007年の人生ドン底期の頃が再びやって来たという話は何度もしているが、あの当時の、時間をもて余していた中で、手にして頭の中にあったものは、物語を書くと言うことといまも変わりなく観ている深夜アニメ鑑賞そして、以前紹介した、今から20年年程度前のレトロなゲームだった。あの当時の暇人パワーって凄いなと我ながらに思う。他人に決して誇れるものではないが、時間が膨大に出来た分、気の済むまでのやり込みが叶ったのは幸いと言えようか。
深夜アニメ、あの当時は、おおきく振りかぶって、クラナド、クレイモア、ゾンビローン、キスダム、ギガンティックフォーミュラや鉄のラインバレルあたりもやったいたのか?と思うが、今ではお馴染みの東京MX等のUHF局の視聴が出来なかった為、本当に偏って観ていたようにも思う。それらを観ていても、何の人生の足しには成らず、ああ楽しかった、や、なるほどそうか――とある意味では哀しい自己満足の域で、それは今も変わらないかな。
物語の作成は、先日、しっつこく紹介した夢川遥平ストーリーを始め、あてもなく意味もなく好きなように書いていて。時間があったのと作るうえにおいてはなるべく誤字脱字なきように読み返したり、当時は掲載するにあたり字数制限もあったので、それも加味しながら、編集したりで、個人的にはかなり楽しめたのだが、何にも成らなかったのは事実であって。よくも書いたなと思うが、それは本当に暇潰しでしかなく誇れるものではない。それでも、未だに嫌いになれない物語も幾つかあってみたりして。
急行特急TH発2007年第二期は、どんなドン底になるか想像もつかない。また胸の奥に刻まれる様な自己満足物語を書いたりしてと思うが。あの当時の暇人パワーは凄いもので、物語つくるのに、変に凝って、今ではなくしてしまった構成創作ノートにあれこれ書いてたなぁと思う。blogと言うツールの創熟成期であり、広まりつつある時期でもあったように思う。
でもそう言う誰にも誇れず誰にも理解されず自己満足の境地に一人で陥るのが私は好きなようで。何の成果も結果もそこにはないのだが。
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Afternoon on Tuesday【0715】

2014年07月15日 16時00分11秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
霞田阪奈「どうも~霞田阪奈です。管理人の生活が崩壊したらしいですが、私は出てきてしまいました」
冥王星猫「にやあ」
霞田阪奈「をやキモ猫さんも御健在で」
冥王星猫з‐|兎さんが月に白馬と共に帰りますと、私は消えます。時間の問題です|
霞田阪奈「あらまそうなの?詳しいことは知らないですが」
冥王星猫з‐|やはり、白馬ですよ。プラチナでも良いですが|
霞田阪奈「プラチナねぇ――へー。うん、うん、いんじゃない?この感じならノープロブレムオールでしょうねえ」
冥王星猫з‐|そうでしょ?そうでしょ?白馬はこんなのです|⌒白馬の王子様他リスト
霞田阪奈「どれどれ?あらま、これもまたいいぢゃない。あたしも欲しいわ」
壁|こっこ)「兎以外にはやらないけどね」
霞田阪奈「ん?その声は?」
涼風鈴子「涼風鈴子どす」
冥王星猫з‐|こいつはどうも|
涼風鈴子「キモ猫に用はないうがあ」
霞田阪奈「なんかその台詞、兎さんみたいですね」
壁|ひゃー
冥王星猫「!!」
涼風鈴子「来たぞ、来たぞ、もうすぐ月に白馬と帰るのが」
壁| ̄ひゃー⌒○冥王星猫з‐|ああ、ひっぱられます、ひっぱられます|
涼風鈴子「まあ今のうちだな。あの猫も年貢の納め時が来たにだよ」
霞田阪奈「みたいね。まあ仕方ないですわね。あんな猫じゃねえ」
涼風鈴子「んだ、んだ」
霞田阪奈「我々もいつ消えるか解りませんが、またお会い致しましょう」
全「さよならー」



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相鉄特急海老名行き

2014年07月15日 14時36分27秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
2回目の乗車。

“Limited Express”とこのタイプの表示器装備車は初めて見た。


↑英字表記はなかなか強引な感もだが、標準タイプなところもある。

↑高速バスかと思えたのは私だけだろうか?


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2007年の頃に戻る

2014年07月15日 13時27分52秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
開き直っても仕方ないが、7年前のあの頃に戻ることになった。これからどうするよ――金の切れ目が縁の切れ目で、もう生きて行けないままに行く事になる。なんつう不器用さだよ、と誰かからも笑われる日々の始まりに、焦りと飽きれと絶望で満ちた。
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夜風感じて26時

2014年07月15日 02時19分43秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
ちょっと外に出て夜風に当たった深夜26時。
湿った梅雨時の風は決して心地よくはなかったが。
風を感じて――と言うことを思うようになったのはここ2週間くらいだろうか?新しい風を感じたい、或いは、新しく良いものを風が運んでくる気がしたというか願ったのはこの苦境から脱したいからなんだろうな、と思う。外気を取り込んで膨らむ部屋のカーテンの膨らみを見ていたら、何か、良いこと・良いもの運んで来てくれないかな、と思えた。
今日これからの私に味方になってくれるものは何もない。それならばせめて、無形で掴めない風はどうか味方になってはくれないか?と苦しい時の神頼み的に思う。何で誰かや何かは常に私の味方とならないのだろうか?人間不信への第一歩はそんなところから始まるんだよなぁと思うのだが、それやって楽しんでいる連中が大いに腹立つのだが。
風に運ばれて、或いは、風にもたらされた、良いものを此の手にして、希望や未来をつかめたならどんなに良いだろうと思う。
風を感じて、風に吹かれて、風に導かれて、今は良いところへと行きたいし、自分の味方となる風に私は出会いたい。
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深夜25時の月曜日

2014年07月15日 01時47分55秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
プレ2007年リターンズで、どうしょうもなくなっている25時。今日できっと2007年リターンズ決定で、これからどうするよ、と思うところ。
これからどうするよ――と言う言葉を聞いたのは、記憶が確かなら何かのwebサイトだった。それまでやって来た事が、因果応報により終えざるを得なくなって、力果てた、そんな時の心境だったようだ。私も例外に非ず。
自分自身がこの先のこれからの日々でどうしたらよいか?どう進んで行ったら良いか、この歳にもなって解らないと言う信じられないがそんな事を私に書かせるのだ。誰かや何かの事を考え、助言や促進は出来るにしても、いざ、自分自身の事となるとどうも手足が動かなくなるのが私である。何もかもを与えられて生きてきてしまったからと言えばそうだろう。
将来の目標や夢が定まって終らなかった学生時代。卒業する事ないし進級することにやっきになっていて、未来をどうするか――は全く考えず、何とはなしに時代が終わった。世間知らずのあばずれもののままに進んで行ったが故の因果応報を現実に突きつけられるのは、2度目、つまり、2007年までは、まあしゃあないか、で、開き直れたのだが、もはやそうは行かなくなって30代になってしまう始末でなんと情けない話である。
いつかも書いたが「夢も希望もない」。それがあったなら、夢川遥平は生まれなかったに違いない。
昼夜逆転の生活の乱れは隠しきれない。故に、こんな時間に、だらだらと言いたいことを誰の胸にも届かないのに書いている。
夜のが落ち着いてなんか良いなと思うのは、私の心の弱さなのか?夜へのあこがれというか魅力みたいなのを感じたのは10代の頃と言う話は以前にした通りであるけれど、それだけ私には昼間に遊ぶ友達もなければ、親が甘くきょうだいもないのが起因しているようで。別にそれを責めるつもりはなく、10代の頃に感じたり或いは出会った深夜帯の出会いは、私だけにしか解らない或いは何の価値もないかもしれないが、宝であることに違いはないとこれからも信じていきたい。
とは言え、また、あの青木ヶ原樹海の様な出口のない日々を行くのかと思うと気が滅入る。それゆえに何とかそうならないようにやって来たのだがとうとうその繋いでいたものが今日で切れそうなのだ。切れてしまったらどうしようか、と思うし、綺麗にスッパリ切れてくれるかも心配な所である。
醜い肉の塊となった30過ぎの成りの果てになるつもりは、さらさらなかったのだが、気がつけば望まぬままになってしまった。今は、ブログで駄文でも書いてなければやってられないくらいな気持ちである。

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YUME GA HOSHII......

2014年07月15日 01時20分12秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
Yume ga hoshii,saikin so omou.
Ikirumokuteki to Jinsei ni yume ga tokuni hoshii.Soreha shigoto ni okeru tomo itte iikamoshirenai.
Nankai mo itte iruga nananenmae to onaji jitai ga okirukotoga kakujituni natta ima,korekara sakino hibi wo doshiyouka to omotteiru.Tokuni kore toiu yaritai kotoga aruwakejya nai.Konotoshi nimo natte nasakenai hanashi nanodaga.
Jinsei sekkeizu ha osokutemo sanjyuu kurai madeniha mottenai to ikenaimono daga nanto naku mainichi wo sugoshite shimatta yueni kou natte shimattanoda.
Korekara dou shiyouka.
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コミック『1週間フレンズ』1巻から5巻を読破

2014年07月15日 00時57分58秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
今更な話であるがこの話で書いた続きになってしまうけれど、とりあえず5巻を読破してみた。
やはりアニメ版はアレンジが加えられていたんだな、と改めて思う。なかなか全てをそのままに――とはいかない現実があることは知った上になるのだが、長谷と藤宮の関係をかなり色濃くアニメでは描いていたんだなと思えた。二人はどう見ても友達以上で、端で見れば恋人になるのは言うまでもないけれど。
いつかに書いたけれど、「友達になってください」と言う言葉がそんなに今、言いにくくなっているのだろうか?とも思う。皆友達、なんて、ありふれたものがそうでなくなってきているのだろうか?かくいう私も友達を棄てて来たので何とも言えないのだが。ふと考えさせられるものがそこにはあった。
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