福娘。の2003年のシングル『夏ノ花』から、篠原美也子の2003年のナンバー、『ダイヤモンドダスト』を、聴いてみる。 マウンド登板もないままに、ただ、敗北のままに、輝くから――
篠原美也子のアルバム『満たされた月』(1993年)から、『満月』を、聴いてみる。
満ち足りた瞬間でも、影はあって、切なくも淋しい。
2011年の篠原美也子のアルバム『花の名前』より、『何もない』を、聴いてみる。
感じるものが、何もない――
1994年の篠原美也子のナンバー、『ありふれたグレイ』を、聴いてみる。
旧い時に、聴いた時の心のままに。
篠原美也子のアルバム『海になりたい青』(1993年)より、『ひとり』を、聴いてみる。
永遠に、求め続け、形造る、「ひとり」と言う、1つの人となり。
2007年の篠原美也子のナンバー、“countless”、アルバム『桜花繚乱』(2007年)より、聴いてみる。
時代の政変はあっても、無数の哀しみ、は、そこにある。
2002年の篠原美也子のアルバム、“bird's-eye view”、より、『夜間飛行』を、聴いてみる。 夜の果ての朝。 そこで、受け入れられるのは、私ではない。あなた、である。
篠原美也子『ガラスの靴』(1998年)を聴いてみる。
昨日までの、楽園、と言う、ガラスの靴が、今、無くされる。
篠原美也子“Good Friend”(1996年)を、聴いてみる。 この歌詞の中身を、この人になら、と言うシーンが描かれたものを、見てみたい。
2005年の篠原美也子のアルバム“us”から、“HOPE”聴いてみる。
期待なんて、ない。
けれど、作れる状態、は、あっては欲しいかな。