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深夜25時の月曜日

2014年07月15日 01時47分55秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
プレ2007年リターンズで、どうしょうもなくなっている25時。今日できっと2007年リターンズ決定で、これからどうするよ、と思うところ。
これからどうするよ――と言う言葉を聞いたのは、記憶が確かなら何かのwebサイトだった。それまでやって来た事が、因果応報により終えざるを得なくなって、力果てた、そんな時の心境だったようだ。私も例外に非ず。
自分自身がこの先のこれからの日々でどうしたらよいか?どう進んで行ったら良いか、この歳にもなって解らないと言う信じられないがそんな事を私に書かせるのだ。誰かや何かの事を考え、助言や促進は出来るにしても、いざ、自分自身の事となるとどうも手足が動かなくなるのが私である。何もかもを与えられて生きてきてしまったからと言えばそうだろう。
将来の目標や夢が定まって終らなかった学生時代。卒業する事ないし進級することにやっきになっていて、未来をどうするか――は全く考えず、何とはなしに時代が終わった。世間知らずのあばずれもののままに進んで行ったが故の因果応報を現実に突きつけられるのは、2度目、つまり、2007年までは、まあしゃあないか、で、開き直れたのだが、もはやそうは行かなくなって30代になってしまう始末でなんと情けない話である。
いつかも書いたが「夢も希望もない」。それがあったなら、夢川遥平は生まれなかったに違いない。
昼夜逆転の生活の乱れは隠しきれない。故に、こんな時間に、だらだらと言いたいことを誰の胸にも届かないのに書いている。
夜のが落ち着いてなんか良いなと思うのは、私の心の弱さなのか?夜へのあこがれというか魅力みたいなのを感じたのは10代の頃と言う話は以前にした通りであるけれど、それだけ私には昼間に遊ぶ友達もなければ、親が甘くきょうだいもないのが起因しているようで。別にそれを責めるつもりはなく、10代の頃に感じたり或いは出会った深夜帯の出会いは、私だけにしか解らない或いは何の価値もないかもしれないが、宝であることに違いはないとこれからも信じていきたい。
とは言え、また、あの青木ヶ原樹海の様な出口のない日々を行くのかと思うと気が滅入る。それゆえに何とかそうならないようにやって来たのだがとうとうその繋いでいたものが今日で切れそうなのだ。切れてしまったらどうしようか、と思うし、綺麗にスッパリ切れてくれるかも心配な所である。
醜い肉の塊となった30過ぎの成りの果てになるつもりは、さらさらなかったのだが、気がつけば望まぬままになってしまった。今は、ブログで駄文でも書いてなければやってられないくらいな気持ちである。

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