『火定(かじょう)』(「火定」とは、仏道の修行者が火中に自ら身を投じて入定(にゅうじょう)すること、と広辞苑にある)のカバーを外してみました(左端)ら、本体は赤一色。表紙を開き(中)、さらにもう一枚めくると書名・タイトルが記された「扉」というページ(右)。いずれの面も真っ赤っかです。
タイトル、「火」の文字、メラメラ燃え上がる炎の装画、どれをとっても心理的に平穏ではない衝撃性がある。さらにこの赤一色の装丁で、圧迫感のある不穏な気分に落とし込まれている。おまけにスピンまでが赤い。人間の心理をついた魔力が、扉のむこうへといざなう。澤田作品4作目、初めて単行本で手に入れた。文庫化されたとき、果たしてこのような楽しみを味わえるものかどうか。
物語の世界の扉を開く。時は長屋王を排斥した藤原4兄弟が国政の執権者の座を占める世へと時空を超える。聖武天皇の御代。
市井に高熱を発症する者がぽつぽつ現れる。疫病蔓延の予兆なのか? 新羅帰りの官吏、筑紫から寧楽へやってきた若い夫婦、酒家の妓、…。この女、なぜか急に熱が下がったが、それを芋虫の姿をした病平癒の神様のご利益だと口にする。
帯からは、「人間の光と闇」「絶望と希望が交錯」「数え切れぬほどの死の中にあってこそ、たった一つの命は微かなる輝きを放つ」などと言葉が拾える。
現実に戻れば、市内でも未だに感染者の報告がある。感染ルートがたどれるケースばかりではない。どちらかと言えば自粛気味な日々だが、新聞で〈高齢者「自粛一辺倒では失うもの大」〉の見出しが目に留まった。人との交流が大切だとある。今日のように朝から時折ザーッと雨が降る日には読書三昧の言い訳が立ち、気持ちは楽みたいだ。
ようやく読みだした『火定』。きっとまた、頭の中をかき回されるのではないか。
赤ずくし・・・思い切った装丁ですね。
読みたい本だけど、例によって文庫本化を待ちます。
文庫本では、このような赤い装丁じゃないでしょうね。
1年先か…楽しみ。
すご! ですね。ほんと、赤ずくしです。
赤く燃え上がる炎は何の象徴だろう…。
封じ込めた心の奥の本心と向き合う…。
など、所々で引っかかりながら少し読み進みました。
発行から3年ほど後とかですから、来年にはと期待したいですね。
文庫本の良さが言われる中で、改めて単行本ならではの「装丁」の趣向に思いがいきました。
それぞれに工夫が凝らされますね。
単行本ならでは趣向であり、内容の激しさを読者の視覚に訴えようとする、出版社の意気込みを感じさせます。
歴史にも、仏教界にもうとい爺にとっては「遠い世界」なのでしょうが、解説を聞かされるだけで興味が沸いてくるようです。
コロナ感染者は依然として厳しい数値。
自粛の最大の楽しみが読書に向くことは、羨ましくも真似のできない時間の使い方ですね。
わかりにくいですが、トップの写真に目を凝らしますと、燃え盛る炎の中に地獄の様相?で人が描かれています。
そして裏には多くの屍。
疫病が平城京を覆いつくそうとする勢いですが、「火定」と題して作者は何をどう描こうと?
展開の見えない世界に浸って楽しんでおります。
見えてしまうようなものはオモシロクナイ小説ですよね。
「雨読」という言葉がありました。読書は雨の日ばかりでもありませんが…。