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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

寺は…石山

2025年04月03日 | こんなところ訪ねて

京阪石山坂本線には昨年度のNHK大河ドラマ関連のラッピングカーが走っていたが、石山駅もこのような色調で化粧されていた。昨年はどれくらいのお参りがあったのだろうか。
放映中に訪れることはなかったが、2日朝のテレビで座主・鷲尾龍華さんが、ほころび始めた桜を背景にインタビューに応じているのを拝見し、石山寺を訪れてみた。

石山寺は天平勝宝元(749)年、聖武天皇の命を受けて良弁(ろうべん)によって建立されたと伝わる。
琵琶湖に流れ込む川は数々あれど、流れ出る唯一の川である瀬田川のほとりにあって東向きに建つ東大門。この門は頼朝による寄進で、仁王像は運慶・湛慶作と伝わるものだから、平安の女流文学を代表する女人たちが目にすることはなかったのだ。



参道を進み、石段を上がりきると目の前に巨岩がそびえ、一段高いところに多宝塔が建つのも目に入る。
本堂への階段を上がると、参拝者の一つのお目当てなのかもしれない源氏の間。



ここから琵琶湖が見えることはないし、参籠しここで物語の構想を得たとかが言い伝えや紫式部の伝説だったとしても、私は学生時代から京都に住む伯母を訪ねて一緒に川沿いを歩いてお参りするなど、やはり古を偲んだりしたものだ。

桜は思っていたよりずっと開花は遅れていた。未生の美、満開の美しさを想像しておこう。

山内には本堂手前(桜の後方)に蓮如堂があり、浄土真宗中興の祖といわれる蓮如上人の六歳の御影や遺品が祀られている。

蓮如が生まれたとき父の存如は20歳だった。本願寺の当主となる存如が高貴の女性を正妻として迎えることになり、蓮如の母は幼いわが子を残して黙ってすがたを隠したのだった。
蓮如6歳。立ち去る前に、鹿子の小袖を着た蓮如の姿を絵師に描いてもらい、その絵を抱えていずこともなく去った。切ないような母と子の物語。
のちに蓮如は母の行方を探し求め、その絵師を見つけ出し、同じ絵をもう一幅描かせたと言われ、それが「鹿子の御影」と呼ばれ現存している。

石山の人だった。石山に隠れ住んだのではないか。石山観音の化身だった。蓮如の母の様々な物語が生まれた。人びとは五百年以上もくり返し伝えつづけてきた。
大事なのは、蓮如をそういう人として受けとめたい、という民衆の心根が、物語を支えてきたということで、物語と言うのは、歴史的な信ぴょう性とか真偽とかとはまったく別ものだ

 ー と五木寛之氏が『百寺巡礼 第4巻』で書かれているが得心する。


現世利益の観音信仰に思いをはせてひと巡り、門を出た。門前の店でちょっと一服していると雀がやってきて、ちょんちょんちょん。
「うつくしきもの。瓜にかきたるちごの顔。雀の子の、鼠鳴きするに踊り来る。・・・」
(枕草子 151段)

コメント (2)
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