京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 3度目の挑戦

2013年04月29日 | HALL家の話

2年前、5歳だったJessieはプレップスクールに通っていました。クロスカントリー大会の朝、母親はカツドンをつくって娘が起きてくるのを待っていました。
  「おはようごんざえもん、ジェシー」
  「おはよう。なにかようかここのかとおか」
  「カツドンつくっておいたからね。しっかり食べて今日はがんばってよ」

「おっとガッテンしょうちのすけぇ。カツドン食べてがんばるよ~!!」 …と、これは言ったかどうか…。

女の子50人ほどで500mを競走しました。練習ではいつも1番というJessieはファイト満々でしたが、油断大敵! 並んで走っていた級友の猛烈なラストスパートに追いつけず、負けてしまったのでした。
失敗は成功のもとよと、小学校1年生となった昨年の大会にのぞみました。が、両親の声援もむなしくやっぱり2位でした。
今年こそ、三度目の正直です! 先日、両親と弟とで駆けつけ大声援を送ったとか。外側からのスタート、やがて1位を確保したまま、ゴールまでもうあと30mといった地点にダントツの1位で戻ってきたのだそうです。これでようやく晴れて!?

このまま走り抜けてはドラマがありません。なんだ、孫が1位の自慢話か!と言われそうです。見せ場がなくてはちっとも面白くないのでしょう。ハラハラドキドキのレース展開こそ期待されるお話です。

だから、ではありませんが、Jessieはあと30mを残して、そこから先ゴールまでのコースがわからなくなってしまったのだそうです。ラインが引いてはありません。なのに、紛らわしいポールがいくつか立っていて、瞬間、どちらへ進むのかハタと考え込んだのでしょうか。朝の雨で、若干のコース変更がなされたにもかかわらず、きっちりコースを誘導する先生もいなかった…。Jessieは立ち止まってしまったのだそうで、結果は4位で終わりました。

本人より父親の落ち込みようが激しかったと笑う娘です。残念でした。意気込み十分、何でも意欲的なJessieではありますが、拍子抜けということもしばしば。これが今の姿なのか、愉快な話題には事欠きません。

【Holiday fun at Shomcliffe Pier. Sofia Morgan of Michelton, Jessica Hall of Waner, Sophia and Ashia Dyball of Sandgate: Calleja Mark】
浜辺で遊んでいた時の写真がローカルの新聞に掲載されたのだそうです。




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 主役は新緑に

2013年04月27日 | こんなところ訪ねて
3月15日、伏見区鳥羽の地にある城南宮で、枝垂れ梅を霊妙なとも言えそうな世界で堪能したものだった。繊細で華麗な美しさだったと記憶している。


あれからひと月と10日も過ぎて、すっかり新緑の世界に変わっていた。
伊集院静氏が「大人の男の気骨に相通じる気がする」と言われた椿の葉のあの強靭そうな一枚一枚が輝くようだった。


昨日から春の文化財特別公開が始まったが、ここでも、孝明天皇が攘夷祈願の際に立ち寄られてちょうど150年になることを記念して、初公開の絵図を中心に、幕末の歴史を物語る所蔵品が展示されているようだ。鳥羽の戦いの火ぶたが切って落とされた地、その轟音と白煙を機に、伏見でも砲火をまじえ鳥羽伏見の戦いが始まっていく…。
拝見してみたいと思ったが、友人たちとの行動だったこともあって「ひとり800円だって」と言う声を聞きながら前を軽くスルーしてしまうことになる。

フジの花を見に行こうと言うのが約束だったのだが、市営地下鉄構内に貼られたポスターを見て気持ちが動いた一人としては大いなる期待外れで終わった。池の端に小さな藤棚だったが、楽水苑のツツジも山吹も、今ここでは主役の新緑に彩りを添えているに過ぎない。


広大な敷地の一角が解放され、驚くほどの規模で藤棚が続く鳥羽浄水場だった。城南宮から徒歩で20分ほどだったか。

爽やかな日本庭園の彩りを目の保養にした友人たちとの小旅行だが、すっと終わった感じの一日に…。
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 春を惜しむ

2013年04月25日 | 日々の暮らしの中で

若い頃から短歌を詠まれ、同人集や私歌集を出されたことがおありだったというUさんの母親が詐欺にあったという話を耳にしました。

遠方のUさんのふるさとでひとり暮らしをされていたお母さんでしたが、認知症がまだらに発症するようになったために各戸が独立したタイプのホームに入居されていたそうです。ホーム入り口で訪問者氏名等の確認すらなく、結果的には出入り自由だというのに防犯カメラの設置もない。セキュリティシステムが確保されたホームではなさそうです。通常は介護者の目も届かないのですから、どんな大事になってしまったのか話しの先に予想すらついて、ただうなるだけです…。

電話によって振り込みを促すだけでは済まず、入居しているホームまでやってくるのだとか。「税務署」の名をかたる人間にその場で何度か現金を手渡しているというから驚きです。領収書1枚ないということです。「電話でおかあさんが何か変なことを言ってきた」とUさんの妹が感じたことが気付くきっかけとなったといいます。お母さんには前回の記憶が失われるということもあったようで言われるままに繰り返し繰り返し、結果、とても言えない額に膨らんでしまっているとのこと…。

様々な問題点を感じながら聞いていましたが、青天の霹靂、ある日突然! Out of the blue. と言うようです。ひとごとではありません。
少しでも良い形で解決が図れるといいのですが、果たして…。お気のどくなことです。10数回にも及ぶ前に、誰かに相談するということがどうしてできなかったのでしょうか。

 
        (こちら、盛夏はとうに過ぎて遠浅の浜で遊ぶJessieとTyler)

昨日の雨はすっかりあがって朝から晴天。カーディガンを持ちながら、七分袖で外歩きが可能でした。
京都盆地の西側をとり囲む山並みが霞みながら幾重にも見てとれました。
     山々はどこへも行かず春惜しむ    岡田日郎

あれほど桜の開花を待ち焦がれたものの春はつかの間、行く春を惜しみながら初夏を迎えるゴールデンウィーク前。特別な予定はありませんが、自由に使える日はそれなりに工夫して何かをしています。せねばならないことがあるかないかだけで、実際何もしないで過ごす日はありません。
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 「ちょいとがんばりゃ、…」

2013年04月22日 | 日々の暮らしの中で
楓の花を見つけました。


道路脇にキャベツ畑です。

日曜日朝刊に、「春キャベツロールキャベツにまかれたい」(小学6年生)という俳句が掲載されていました。坪内稔典先生は早速ロールキャベツ作りにいどまれた様子です。春キャベツをロールキャベツにしてやろう! 私もそう思ったのですが、今夕は絵本点訳の例会に参加するため余裕がなくて、明日回しとしました。

地下鉄鉄烏丸線の終着竹田駅で近鉄に乗り換える頃は午後6時半、嬉しいことにまだ明るさを保つこの頃です。暗さと寒さで冬場はしばしば足が遠のいた例会日。気合を入れて行ってはみても続かず、「ちびまる子ちゃん」の点訳がさっぱりはかどりません。ようやく3冊目の「ひみつ基地をつくろう の巻」が終わるところです。シリーズで抱え込んでいるのはあと3冊、次は「まる子テストで100点をとる の巻」に移ります。大幅な遅れをとってしまいました。

「わたしが、ちょいとがんばりゃ、ザッとこんなもんよ」   ← まる子です。
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 「…花の散らぬほど降れ」

2013年04月20日 | 日々の暮らしの中で

早い夕刻からぽつぽつ降り出した雨。しっとりと、小止みない降りようは、まさに万物へのめぐみをもたらす雨を感じさせる。
折しも今日は穀雨。しめやかな音を耳に、ひとり静かに書に向かえる夜は極上。

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 気づきが心地よく

2013年04月18日 | 日々の暮らしの中で

今日は外出の帰途、歩けるところまで歩いて帰ろうと思いついたまではよかったのだが、日傘も帽子も持ち合わせていなかったのに気付いて断念した。それほど日差しも強かったし、気温も上がっていた。寄り道せずまっすぐ帰宅、着替えて4日ぶりのウォーキングに出た。


楽しいが、少ない知識を活用しようと思うので緊張感もあるベッキー先生との「絵本で英会話」の時間だ。心身の筋肉もほぐれ、フットワークも軽く感じるので体調はいいのだと思う。これまでと違って、決めていた「6km」の距離数にはこだわらなくなった。極力、狭い住宅街から抜け出したいと考えながら道を探してみるが、往復1時間をめどにすると行けるところはそう多くはない。
カメラをポッケに入れて「歩く」こと優先で、だからテンポも速い。8298歩だった。程よい疲労感で心地よい。

公園の砂場の藤棚に紫の色づきがとお目でも目立ってきている。ぐるりの路上は、桜の花びらに変わって椎や樫といった常緑樹が落とす古い葉が重なっている。「春落葉」という季語があるのだと知った。秋の落ち葉と違い、見上げれば緑の葉をつけたままの木々だ。
ひたすらのウォーキングの中で、ちょっと発見をしたつもりになって、実は疲労感も少ないのだった。
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 「言葉という宝」

2013年04月16日 | こんな本も読んでみた

『舟を編む』(三浦しをん著)を読み終わってそう間をあけることもなく、今日はその映画を見ることになった。

奇をてらった表現もなければ比喩の多用もない、言葉を丁寧に紡いだ簡潔な文章の世界にとても好感を持って入り込めた。原作を十分に楽しめた読後感を大切にしたい思いが強かったので、若干躊躇するものはあった。

「辞書は言葉の海を渡る舟だ」「海を渡るにふさわしい舟を編む」
単に辞書作りの編集作業ばかりではなく、書き込まれた様々な心象風景がある。2012年度本屋大賞受賞作品とあれば、やはり活字で読むべき作品だ、と言いきるのは変な理屈だろうか。映画は全く物足りなかった。原作に描かれた深みが、厚みがない。…と感じた。活字を追いながら行間に思い巡らす、想像し思考しながらの読書がまさった一作品であった。断るまでもなく勝手な私見に過ぎない。


映画をみ終わってひと息ついて、友人が読んでみたら(?)と三冊の本を…。彼女の書き込みが残ったページを繰ってみて、迷わず、先ず『おはいりやして 俳句と随筆の愉しい競演』(西野文代著)から読むことに決めた。韻文と散文とを組み合わせた文章は好きだ。そうした文章を書きたい思いがある。中央の一冊、句集はちと苦手。私からは今日の映画の原作を、3冊と1冊で貸し合いっことなった。

「おりにふれてのしあわせは、思い出すことばのあること」と西野さん。

初夏を先取りしたような一日だった。
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 高野街道ウォーク②

2013年04月14日 | 高野街道ウォーク

13日、高野街道ウォーク参加のため4時半起床。身支度を整え朝食も済ませ、家を出る6時半までには1時間ほどの余裕を残して身体のリズムを整える。熊野古道を歩いていた時も同様で、どんなに回を重ねても自分にとって起床後の時間はかなり重要な意味を持つ。
テレビをつけて新聞を開くや、テレビ画面では5時33分ごろ生じた地震の大きな揺れに注意するよう呼び掛けが始まった。ガタガタと音がして揺れ出す。更には、携帯電話が緊急地震速報を受信して初めて耳にする音を立てていた。

幸い大きな揺れはなかったが、京都駅八条口出発予定時刻になっても参加者が揃わない。JRの運休や不通といったハプニングにもめげず、ルートを探して1人、2人、また2人と姿を見せ、1時間遅れの8時半になってようやく出発!

   
12kmの行程で交野市、寝屋川市、四条畷市、大東市、東大阪市と南下した。
お伽草紙の”鉢かづき姫”がかわいい寝屋川市の案内板。ここの四つ辻は南北の東高野街道と東西の奈良伊勢街道とが交わるところだと教えてくれる。「東 なら いせミち」「南 かうや のさき 大阪みち」「北 京 八はた 柳谷 星田妙見道」と刻まれ、安政4年、酒屋の勘平衛さんが父母のために建てたとされる道標だが、以来、伊勢大社や高野山、柳谷観音などに参拝する人々を案内したことだろう、などとある。
「この道は京都の東寺より高野山に至る街道であり 平安の昔より今日まで多くの歴史を秘めている」こんな石の道標にも時々出会える。なかなかイメージできない「街道」歩きだが、そうなんだ、とかすかに救われる思いだ。


  
  野崎参りは 屋形船でまいろ / どこを向いても 菜の花ざかり / 粋な日傘にゃ 蝶々もとまる /  呼んで見ようか 土手の人
  野崎参りは 屋形船でまいろ / お染久松 切ない恋に / 残る紅梅 久作屋敷 /  今も降らすか はるのあめ (「野崎小唄」)

 
200段に近い石段を上がって慈眼寺(野崎観音)へ。かつては、西側一帯は大阪からつながる大きな池(平野池)があったのだそうな。大阪から野崎参りの屋形船が行き来していたという。「お染久松の物語」、二人の塚も境内の一隅にあった。




ゴールは石切剱箭(いしきりつるぎや)神社。大勢の参拝者で賑わっていた本社と絵馬殿の造りは見事だったが、あまり興味もわかない。50分もあった自由行動の時間も、細く長く続く石切参道商店街を途中まで見歩いただけで終えて、バスに戻ることにした。
人生いろいろ、歩行のペースにはひとまずこだわりを捨てて、もう少しだけ踏ん張ってみようかと2回目の参加を決めた。20691歩。
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 「こんにちは こんにちは」

2013年04月10日 | 日々の暮らしの中で
イースターのホリデーだと娘が言ったのはいつだったか…。小学校は休みばっかり多くてと、いつもこぼしている。今日もまだ休みだと聞いて驚いたのだが、それでも確か来週月曜日15日から始まると言っていたようだ。合わせるように日本語補習校の新年度はその週末20日の土曜日だと言ったように記憶する。今朝電話で話したばかりなのだが、まあいつからでも私にはどうでもいいことでもあって、真剣に聞いていないのかもしれない。

 

なんでもJessieの真似をするというTyler。笑顔の写真を多く見せてもらえるこの頃だが、大きくなった。
「こんにちは こんにちは」と言うTylerの声が受話器の向こうから聞こえてくる。「電話の前でお辞儀をしているよ~」とJessieと母親が笑う。取り替えてもらったおむつを持って、専用の容器へポイッとしては「あっと(ありがとう)」とペコリ一礼のJessieだったことを思い出させてもらうことになった。
 
昼までには仕上げてしまわなくてはならない急ぎごとの手を休めて、思わず一緒に笑ってしまう賑やかな朝だった。一緒に暮していれば幼い子供が日毎見せる小さな変化を目の当たりにしながら、その成長を楽しめるのだろうに。ザンネン…。ご無沙汰が1年5カ月になろうとしている。行こうかな。でもなあ…と、こんな調子で結局ずっと決められないままできているのだ。
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 新たな門出

2013年04月08日 | 日々の暮らしの中で

ウオーキングに出てほどなく、ガードレール下にひとかたまりの白いスミレが咲いているのを見つけた。あまり見かけない。これってスミレに間違いない…と思うのだが、自信のなさそのものが無知ぶりを露呈していることで恥ずかしや~。グッと気分も良くなり、3日ぶりのウオーキングに弾みが付いたか、足取りも軽快そのものだった。

桜の様子はと気にかけて何度か足を運んでいながら、いざ開花したと耳にしてからは訪れることもなく過ごしていた。このまま見ずに終わるのはやはり惜しい。
 
 
賀茂川の堤を彩る桜の落花も進んでいた。それでも桜色に照らされながらトンネルを歩き、観光バスが駐車場を埋める上賀茂神社へ。鳥居をくぐったすぐ右手にある「斎王桜」の枝垂れが美しい。「風流桜、」「みあれ桜」などと風雅な名をまとった美の競演にカメラマンの数も多かったこと。


今日は小学校の入学式だった。午後から子供たちの声で賑わった街中の公園は、落花でピンク色に染まっていた。華やぐ春の日和の一日、桜の花の下で人生の新しいスタートを切るたくさんの新入生。そんな初々しい活力のおすそわけをいただいて私もここらで少し気分を新たにし、おさぼりしていたおベンキョ―にも身を入れ直していくとしよう~、かな。


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 花酔い

2013年04月06日 | こんなところ訪ねて
5日金曜日、京都市内は26度を超えて夏日となりました。

「明日は出町柳に12時ね」と確認メールを一斉に送ったにも関わらず、地下鉄の「今出川駅の改札で待っているんだけど」と電話してくる人がいて…。どうやって行ったら良いのかと言われてもねえ~。地上に出て、タクシーで来ちゃえばとそっけなく告げて待つことわずか、発車時間の迫っていた叡山電車に間に合いました。

30分ほどで終着の鞍馬駅です。プラットホームの柱1本1本の両面に赤い天狗さんと烏天狗の面とが掛けられていて、趣ある駅舎が迎え入れてくれます。ひと心地つける落ち着きがあります。季語にもなっている「鞍馬の花供養」、毎年4月中旬に行われ、お稚児さんの練供養や謡曲、狂言、茶事、生け花といった多彩な催し物が行われるようです。今年は明日7日(日曜)から21日まで予定されています。
        母の背の稚児山伏や花供養     内藤 十夜



 
春、桜の季節に訪れるのは初めてです。「雲珠(うず)」と形容される桜が咲きそろう鞍馬寺の春。「うず」とは馬の鞍につける宝殊の形をした飾りなのだそうで、それを彷彿とさせる桜が鞍馬の山にあるというのです。花の形が「うず」に似ているのか、桜の咲く景観が似ているということなのか…。「うず桜」は京都鞍馬山に咲く桜の総称だと広辞苑では説明しています。
どのような景観が楽しめるのか、ケーブルカーでは味わえない空気を身体で感じながらの一歩一歩、全員徒歩にて登りました。


街中の人出は容易に想像できます。高野川と鴨川が合流する出町柳の三角地帯はブルーシートが敷き詰められ朝から場所取りでした。川での水遊びも賑わっていましたが、ここはそんな喧騒とは無縁です。それぞれが心ゆくまで桜を前にわが心と向き合っているのでしょうか。
決して境内を埋め尽くすほどではありませんでしたが、華やかな桜のほほ笑みに誘われて、もうまさに花酔いでした。
        さまざまの事おもひ出す桜かな  芭蕉

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 お念仏にもはるうらら

2013年04月04日 | こんなところ訪ねて

東本願寺の創立の祖、教如上人400回忌法要が一日から始まっている。本日四日、法要結願日中に合わせて参拝することにした。御影堂の西、修理中につき素屋根で覆われた阿弥陀堂内でも上人ゆかりの品が展示されているので合わせて拝観させていただいた。


浄土真宗の宗祖親鸞から数えて12代目の教如上人。父・顕如上人は(11世)は信長と石山本願寺が10年間に渡って対決した石山合戦で指揮を執っていたというが、1558年にその長男として誕生した。
父が朝廷の仲介で信長と和睦するのに対し、信長と本願寺が和睦しては、信長が真宗を壊滅させるのではないかという危機感が広まったらしい中で徹底抗戦を主張したという。秀吉の命で本願寺宗主としての職を弟の准如に譲ることになる(准如は西本願寺設立)。教如上人は家康から土地の寄進を受けて東本願寺を創立する。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった武将と渡り合いながら、独自の教化を行ったと説明されている。

 
日常寺で勤める法要では耳にすることができない初耳の節のうねり、お勤めも70人に及ぶ僧侶によって営まれていくので、そのおおきな波に乗って心を委ねていると、心地よさが体感される。陶酔の境地… とはオーバーかな。
外ははるうららのお日和でした。


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 一家に一冊

2013年04月02日 | 日々の暮らしの中で

第61回学習図書まつりが開催されている。“サクラ咲いたら本屋さんへいこう!”と呼びかける案内を新聞でみかけ、まだJessieが国語辞典を持っていなかったことに気付かされた。時期的には早いのだったか。子供たちにも何年生かで辞書引きの学習過程がちゃんと用意されていたはずだ。小学校入学と同時に辞書を買っていたのかどうか、25年近くも前になることを思い出すのだが、記憶も古びてしまって定かではない。

「すべての漢字にふりがながついて、一年生から使える」とある国語辞典。Jessieは4月には日本語補習校2年生に進級だから、ちょうどいい!?? 学校から指示があるのかもしれない、それを待つべきなのか。それはそうとして一度この目で確かめてみようと書店に足を運ぶことにした。

太い赤字で印刷された見出し語が片側1ページ内にも数多く並んでいる。見開きにしたら真っ赤っか。黒字の見出し語もむろんある。この太くて赤い語は何なのだろう。見方、使い方などを読んでみると、「大事な語」だということを示しているらしい。まっかっかっかなのだから、目も眩むようでたまらない。このような編集で、今の子は見やすいのだろうか。勝手な好みを言うなら、とてもじゃないが…と年齢差も忘れてぼやきたくなった。成長に合わせて辞書類も買い替えていくが、人生で初めて手に取るような初期の国語辞典を久しぶりに手にしてみて、正直驚かされた。

      賑やかにと包装紙を選んでみたが、ちと失敗したみたいだ。
勇み足だったかな…。でも、何より身の回りにあることが大切なのだと思っている。いずれは「辞書を引く」ということも母親から教えてもらいつつ親しんでいけたらよいのだろう。言葉の意味を知るには、そのための方法を知らなければ引きこなせない。言葉から言葉へと、新たな出会いもあることだろう。何を発見するだろうか。どんな楽しみを知ってくれるのだろう。多くは願わない。ただ目に着くところには置いておいてもらいたい。自然と手を延ばしてくれる機会が多くあるようにとだけ期待して。一家に一冊、というには少し…、いや、HALL家にぴったりの辞典だろうか。

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