京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

尼寺「孤高の姿をとどめて」

2019年02月26日 | 日々の暮らしの中で
明日は奈良の正暦寺と円照寺を訪ねて、参拝のツアーに参加します。


円照寺さんは通常は非公開ですが、この2月に3日間だけ公開される門跡寺院です。
その3回目にあたる明日、これはキャンセルが出たことでつかんだチャンスでした。
白洲正子さんの『かくれ里』に収められた「山村の円照寺」を読み返して、気持ちを明日に向けている感じ…。
団体でこうしたツアーは久しくなくって、いつからだろうと振り返ると、2017年の8月に羽黒山五重塔を目指して?思い切ったとき以来になります。
どっこも遠出していないなあと、ちょっと寂しいような。だからか、ちょっと緊張もあるようです。
近鉄奈良駅まで出て、集合場所へ。今夜は頑張って早寝して、明日に備えます。
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「親鸞ファン」

2019年02月25日 | 催しごと・講演・講座

  
「親鸞ファン」と講題に表現されたのは釈撤宗氏(聞き手)だったそうですが、コピーライター・糸井重里さんのお話を聞いてみたくて西本願寺の聞法会館へ。10時半開演のため10時に着けばと出かけましたら、すでに長蛇の列。開場後は詰めて詰めて、詰め合った大広間。

信者ではなく「親鸞ファン」。けれど限りなく近い感覚で、親鸞への思慕、憧憬の念がおありなのだそうだ。
今のこうした親鸞への気持ちは、例えば祖母から話を聞くとか、小耳にはさんだとか、関心のある仏像や寺を訪ね参拝する、などしてきた日常から、いつしか育まれていったものだおっしゃる。交流のあった吉本隆明氏も、親鸞との関わりのきっかけを「家が浄土真宗だったから」と言われたとのこと。

言葉に触れ、教えを学び、ぎりぎりのところまで近づいたとき、この先のことは、わからないけれど身をゆだねることができる、見えない世界とつながれる、と最後に思い切って崖からジャンプできる人を信仰心があると人と言えるだろう。かなり「宗教的才能がある人です」とは釈氏。ここに「信者」とそうではない人との差をみることができる。


いろいろ抱えながら生きなければならない人たちの思いをどこまで広く応援できるだろうか。一部の出家者のためではなく、在家での広がりは大事だ。
everyone(誰でも)の立場で救いとる親鸞。何か特別な修行を課すでもなく、ただお念仏をと説く。「こんな自分でもいいのか!?」という思いは、花を咲かせる最後の小さなタネ(糸井)である。親鸞は、そういう思いの人をも救いあげてきた。

現代人は、自分の苦しみに合う道具はないか?と求めるが、むしろ、不安定な言葉から自分の内面を掘り下げ、どれだけ心をのばしていけるかが問われてくる。個々によって違う背景、環境。これ一つで効果があるという、インパクトある言葉はないが、今日一日に、よりよく関われるものが潜んでいる。
「ああこういうことか…」と加齢とともに親鸞に近づける、「思想家親鸞」の魅力を語られた糸井さんでした。

私の耳は、自分が聞きたいと思う言葉だけをからめとっていた、ということで、勝手に解釈し、摘まみ出した。それでも残しておこうと思って…。私の中では、「信じる」という感覚がいつもうすぼんやりしたまま…。隠しておきたいことなのかもしれないのだけれど。

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春の温みに

2019年02月21日 | 日々の暮らしの中で

春のぬくみに…

この小さなおちょぼ口がなんともかわいくて、大好きなアセビの花。
ここのところの春を感じさせる温みに目を覚まし、ささやきを交わし出したようです。
まだ目覚めぬ頬は、ぽうっと赤みを宿して時機を待つってところかな。

「小人の国の提灯の風情」と言われた方はどなたでしたか。

やがて酔ったように咲き競うと、辺りは盛んなお喋りで満ちるのです。
人を待つことも喜びですが、今日はどう?と訪ねるのもまた愉しです。
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いのち潤す

2019年02月19日 | 日々の暮らしの中で

「鶴橋へ行こう」と娘家族から誘われて、「うーん、今ちょっと手を離すのは惜しいところなんだけどなあ…」という思いがよぎった。
これが、その日でなければ二つ返事だろう。中途半端に書きかけの文章があったのだ。
それもこれも内心のこと、気持ちよく「いいよ~」と受けることにした。

週末を遊んで、間があいた。
筆を執ればなんなりと書き出せるという具合にはいかない己の力を知っているのだから、断ればいいものを。
「人生は選び。限りなく選ばねばならない面と、授かりとしていただかねばならない面との両面がある」
かつて、このような言葉で青山俊菫尼僧がお話だった(’18.9)。

今日は二十四節季の一つ、雨水。朝からしとしと、いのちを潤す雨が降る。眠ったような頭もよみがえれと、静けさの中で少し気を張ってみた。
〈謂いおほせて何かある〉、と思い出している。何もかも表現し尽くしていいということではない。
余韻がなければ、なんてつまらない…。

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待つ楽しみで

2019年02月13日 | 日々の暮らしの中で

優雅な花を咲かせる一日花。「美人薄命」の言葉通り、短命です。
夏の終わりになってもやわらかく花びらを広げて楽しませてくれます。

「枝ぶりが日ごとにかはる。。。。。」

よく見ると種ができているんですよね。
もらって帰ろうか…? 思いながら何度も行き過ぎてます。

芽を出すのを待つ楽しみ。
このタネをまいてみようかなと思うのですが…。


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「夢こそ未来を切り拓く」

2019年02月11日 | 映画・観劇
「ゆーき ちーらちら」
頻繁に電話をかけてくるLukasです。
「??… うん? ゆきがふってるの!? ゆき ちーらちら ね」
言われて外を覗いて、こちらも「ゆーき ちーらちら してるよー」の朝。


JR奈良駅にほど近い〈なら100年会館〉まで、京都駅からみやこ路快速で向かいました。近いようで、ちょっとある。遠くはない奈良です。
 
  第8回 万葉オペラ・ラボ公演「遣唐使 阿倍仲麻呂の夢-東アジアを駆けぬけた風の男-」

阿倍仲麻呂と玄宗皇帝が碁を打ち、敗けた者は自分が一番大事にしているものを相手に差し出すという約束をする。玄宗が最も大切にしているものは、仲麻呂だった。だから、仲麻呂が勝てば帰国させるつもりだったのだが。99連敗していた玄宗が勝ったことで、仲麻呂は「夢」を差し出した。
「夢がないのは絶望だ。夢こそ未来を切り拓くもの」と。

仲麻呂の夢を飲み込んで、玄宗も彼が見た夢の世界にいざなわれる。そこは日本。大和の国、風の森だった。男風の明日香風、春日風、生駒風、初瀬風が覇を競う。大和の風の王を決めるようだ。女風のときめき風、うらみ風、風の老婆も艶を競い合う。
年に1度の風たちの饗宴で、歌合戦が繰り広げられる。

 

映像、プロジェクション・マッピングの演出もあり、出演者のプロフィールを見てもその道を歩む方ばかり。素晴らしい市民オペラでした。ピアノ演奏に打楽器、尺八、そこに合唱団。音楽に、歌に、身体がほぐれていく心地よさ、楽しさです。
「オペラ」の歌唱も、ミュージカルとは違って素晴らしいなあと心から思いました。「オペラ」初体験でした。

風たちの「勝負」はつかず、…大団円を迎える。

  ♪風になれ 風になれ 風になれ
    走り出せ 走り出せ …

      今日のことは今日の風が決める
      明日のことは明日の風が決める
      ……

そうだなあ、そうだなあと、歌詞は気持ちの中に入ってきます。

「ある人が、私にこんな皮肉を言ったことがある。オペラは、パリかローマか、ニューヨークでやるもので、奈良の田舎でやるもんじゃない。しかし、それは違う。このオペラのソリストが、いつ世界にはばたくかわからない。オペラとは、そういう芸術なのだ。それも、阿倍仲麻呂のように」
脚本の万葉学者・上野誠氏の言葉の中にこんな一節が。

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ぽっと灯した火

2019年02月09日 | 日々の暮らしの中で

ブログ開設から4000日目になるようだ。
その折ごとに、いろいろな自分が残されているなあと思う。本を読んで、講演会に参加して、映画を観て、いろいろなところに足を運んで、影響を受けた言葉、心に残った言葉の数々は、意識して記すようにしてきた。なんの意味があるのか、やっぱりわからないけれど、ここには、そうやって生きてきた自分がいて、年月がある。だからなおさら備忘録と言う言葉などでまとめてしまいたくはない。

「今を生きる」、何かとてもきれいな響きだけれど、それほど容易なことではないと思っている。けれど、難しくても、窮屈でも、今を生きることに意義があるのだとは思う。この頃、一歩踏み出す気力に勢いがなくなり、おまけに気分のムラが増えて、このまま「選択」という言葉を隠れ蓑にしているうちに、自分の世界を小さくしてしまうのではないかと不安もよぎる。せめて「まあいいか」を減らそうと思った年初めだった。

昨年の9月。奈良の円照寺さんに伝わる山村御流の生け花展を見て、その佇まいに心を打たれた。それを機に、普段は未公開だが季節限定で早春の参拝ツアーがあることを知った。12月半ばから募集は始まっていたという。余裕がなくて失念し、年明けに思い出したところ、すでに3日間とも完売、満席だという返事だった。キャンセルが出るのを待つしかなかった。人気なのだと諦めたが、たまたま開いたネット上では、いずれの回にも空きが出ていた。

飛びついたっていいはず。それなのにこの4、5日は逡巡し、例の「いいかなあ…」「寒いし、やめとこか…?」「来年機会があるとは限らない。命あるかだって…。それでもやめておきますか…?」と葛藤が続いた。ここをクリアーする、しないは大きな問題のような気もする。だから今日、決断をした。
また一つ、やっとこさ道を定めた成り行きが残されることになった。心に小さく灯した、温かな火。


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大切なものはそっと守る?

2019年02月07日 | 映画・観劇

夫がノーベル文学賞を受賞することになり、授賞式のために二人はストックホルムへ向かう。
教授と教え子の関係から妻となって、夫の作品に妻が手を加える若き日の回想シーン。才能ある妻が夫を支えてきたことが描かれていく。夫は書かれたものを編集する。女性が本を出しても売れない、読み手がないという時代に、その才能はそうやって活かされた。妻は部屋に籠って作品を書き、夫が称賛を浴びる。これを内助の功とは言えまい。

ストックホルムに入って、二人の空気はどことなしに変。「妻は書きません」「彼女は僕の人生の宝です」…。夫のスピーチを聞く妻の顔がこわばる。溢れる感情が映る。妻の怒りは大爆発。二人の間に亀裂が走る。激昂した妻は別れを切り出した。
ストーリーに目新しさもなかったし、こうした何かの瞬間にスイッチが入って大きな溝を生むことは、夫婦間にしばしばあることだろう。覆水盆に返らず…。

40年抱え込んでいて、40年目に堰を切ったようにあふれ出す思い。怒りは言葉となって現れる。さあて、なんの怒り。何を大切に生きてきたのか。
二人をつないできたものは。彼女にとって尊敬と愛情は、別のものだったか。
自分の力なしに夫の名誉もない。だとしたら、妻が書いた作品でスポットライトを浴びる夫と、そうしたシナリオを描き上げる妻とでは、どちらが主役なのだろう。そんなことを考えた映画だった。疑いの目で近づいてきた記者に、妻は最後まで夫の名誉を守ろうとする。


目立たないところでそっと咲く花、大切にしたくなります。
人生でも…。大切なものはそっと守る??
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春立つ日

2019年02月04日 | 日々の暮らしの中で
雨が上がり、潤いに満ちた空気感がある。そこに薄陽が漏れる。あたたかな立春の朝だった。

「踊る煩悩 3匹退散」。こんな見出しで、昨日の雨の中での蘆山寺(上京区)の厄除けを祈る「追儺式鬼法楽」の様子が伝えられていた。欲深さ、怒り、愚かさという人間の煩悩の象徴が三匹の鬼。鬼さんたちはかなり練習を積むようだ。節分で豆まきもしなかったが、今朝の気分のよさは何か格別。

午前中はこの気分のよさを保ったまま机に向かった。先日書き上げてはみたが納得いかずに、推敲というより大幅な手直し、練り直し…。
安易にまとめてしまったなあ、という思いがあって、ここまで何度も書き直している。と、書き出した時とは少し違う方向が見えてきた。こんな苦戦の連続だけれど、ガ ン バ レ ル んだなあ…。

午後から大阪へ。娘が住まう最寄りの駅で落ち合って、互いに渡し物の交換をした。電動自転車で、前にLukasを乗せて現れた。小さな身体が全力で走り寄ってきました。
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試される

2019年02月01日 | 日々の暮らしの中で

夏場には風にワサワサと音をたてるほど葉が密生するロウバイの木。その葉の量たるや見事だが、すべてを落とし尽すと、ふかふかに積もる。
ゆうに3メートルを越え、4メートルにも近いが、いつからあるのだったか。知る限り最初から高木だった。
裏へ出たところにあるので、下の流しから出る使用済みの水を桶ごとバサーッ! 木の根元周辺には生ごみが埋められた。この大胆な目のかけ方、もちろん義母のしわざだったわ。

       
     香りよく、透けるような花をほころばせている。

この月は本腰を入れて、すべきことをするつもりだ。焦って中途半端にしたくはない。怠ければ遅れを取る。目的は決まっているので、この一つのことに努力しよう。…と心に決めた如月の一の日。
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